北海道大大学院の長谷川英祐助手(進化生物学)らの研究により実証されているようです。
http://www.toonippo.co.jp/news_hyakka/hyakka2003/20031228.ht...
http://www.o40.org/blog/archives/2005/06/post_66.php
「怠けアリや仕事熱心なアリをそれぞれ取り出してみても、やはり、怠け者は怠けたままで、ハードワーカーは働き続けた」というあたり、人間社会の縮図を見るような悲哀を感じてしまいます。
ごめんなさい。2回目です。
2つ目の「そのまじめな働き蟻ばかり集めると、やはり何割かか必ずさぼる」の方は、下記のサイトにもあるように、実証はされていないようです。
先ほど紹介したように、北海道大大学院長谷川英祐助手らの実験では逆の結果がでています。
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/month?id=81317&pg=200310
ついでによく聞くのが、「よく働くアリだけを集めても、そのうちの2割は、やっぱりさぼるのだ」と言う話。この話から、「さぼってる人間を切り捨てていっても、新たな人間がさぼるようになるのなら、リストラってのも、結構無意味な話だよなぁ、リストラするよりも、リサイクルを目指す方が良いだろうに・・・」という話の展開で使われやすいわけですが、正確な情報ソースが分からないわけで、これはリストラに反対するための都市伝説の一つなのか?。
いえいえ、関心を持って頂いてうれしいです。なまけものが、きゅぴーんと働き者になるというのはいいなあと思ったのですが・・。
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/itimuan/maru/old8/aya788.html
こちら参考になりそうです
>仕事をしない蟻にも何らかの役割がある(かもしれない)という説を単純に人間界に当てはめるのは危険ですが、人間界の場合はそうした人材がガス抜きの役割をしていることがあります。
この言葉も非常に興味深いですよね。
仕事しない蟻にも、なんらかの役割がある。。。
全てが成り立つのは、人も蟻も色んなモノが居てこそなのかもしれないですね。
さすがです。的を射てますね。ドジな蟻が逆にえさを新規開拓・・いい話ですね。
以下、わたしのスクラップより(科学的な証明ではありません)。
http://www.linkclub.or.jp/~ohtuka/D30/MWQeenAnt/MWQeenAnt.ht...
── 《女王蟻発見 20010602》
── いかなる集団にも、役たたずの無用者は存在する。
http://q.hatena.ne.jp/1154428267#a580725
── 《弱きものの伝説 20060802》
わたしは、ファーブル抜きに昆虫を思いうかべることができません。
ファーブルは、観察抜きの仮説や、推測にもとづく実験をいましめて
いるようです。蟻については、ラフカディオ・ハーンの考察が微妙です。
── 人間を低くし、動物を高めて、接触点を作り、次いで同視する点
を設ける。これが現在流行している高遠な学説の一般的方向であった。
また今日でもそうだ。ああ、この至高の学説──これは今の時代の病的
流行である──の証明の中には、大学者エラズマス・ダーウィンのあな
ばちのようにお笑い草に終るものがどれくらい、堂々と主張されている
ことか、実験の光に照らしてみたらわかることだろう。
── 山田 吉彦・林 達夫 訳《ファーブル昆虫記(一)19930616 岩波文庫》P149
── ところが、以上述べてきたことは、すべてこれは、真の「昆虫世
界のロマンス」への、ほんの序説に等しいものなのである。
この驚くべき文化に関連して発見される、最も驚くべきことは、性の
抑制の発見である。蟻生活のある進歩した種類のものにあっては、その
大多数の個々のものに、性というものがぜんぜん欠如しているのである。
さらに高等な蟻社会になると、性生活は、だいたいにおいて、その種族
の存続に必要な範囲内だけに、存在しているものらしい。けれども、そ
の生物学上の事実そのものは、その事実が提供する倫理上の意味ほどに、
驚くべきことではない。というのは、この性的機能の実践上の抑制、な
いし調節は、じつは、自発的なもののように思われるからである。
── Hearn, Lafcadio《虫の研究・蟻》
── 小泉 八雲/平井 呈一・訳《怪談 19650916 岩波文庫》P180
むずかしかったですけど、「いかなる集団にも、役たたずの無用者は存在する。」は素敵です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E5%B7%B1%E7%9A%84%E3%...
「利己的な遺伝子」によれば、アリの巣の働きアリは、「全て同じ遺伝子」の個体だそうである。すると、働き者・怠け者分布は、常に同じの方が妥当にも思えます。
しかし、同じ遺伝子を持っている「細胞」でも、人間の体内では、皮膚になったり消化器官になったり目になったりするので、配置交代をかけても、期待した働きをしないのかも知れません。
どちらかといえば、前者の方が遺伝子保持のためにはリーズナブルといえるのではないでしょうか。個体の維持よりも遺伝子の維持を優先するならば、自分と同じ遺伝子を生産する女王アリの維持を優先し、その世話に関与するアリのバッファをいつも設けておく。つまり故障していない個体を保持するため、「何もしない」。世話アリの個数が少なくなったら、バッファから無傷の個体を召還する。
工場の生産管理からいえば、ネック工程である「卵生産」をフル稼働させ、その他の工程は、このネック生産に速度を一致させる必要がある。このため、その他工程には、余剰人員が必要で、稼働率は6~8割が通常状態になっている必要がある。つまり、怠けているアリ(余剰人員)がいない場合には、ネック工程をフル稼働させていないのであり、この巣は卵の生産量が減少するため人員減少傾向に陥り、滅亡する可能性が生じるはず。つまり、「能力はあるけど働いていない働きアリ」が常に存在しなければならないのです。
後半むずかしかったですけど、前半おもしろかったです。
このあたりで終了しますね。なまけものの存在価値もあるとわかってうれしいです。
「働かないことでコロニーに何らかの貢献をしている可能性もある」
ここ知りたいですね。わたしの存在意義も含めて(笑)