ご意見をお聞かせください。
http://www.j-cast.com/2006/08/21002622.html
余りに極論ではないかと思います。
それでは線引きはどこでなされるのでしょうか。
具体的にお聞かせください。
牛肉や鶏肉、豚肉は食べるが、猫は殺しても良いのか、というお話だと思うのですが、いざ目の前に牛や豚がペットとして飼われる環境があれば、若干の嫌悪感が出るかもしれません。もし世界各国に猫を食べる風趣があった場合(猫好きですから考えたくはありませんが)、牛や豚と同じ考えを持っていた可能性はないとは言い切れません。
そうしたことを踏まえて、線引きはどのようにされますか? 家畜は殺すがペットは殺さない、そういった倫理観に反発を覚えてらっしゃるのですよね?
日米欧のように犬を愛する文化の国から見れば、韓国の「犬食」は
「残虐」であり「動物愛護法違反」です。
そして、鯨食が欧米からは野蛮と批判されているのは周知の通り。
ヒンズー教徒から見れば、ビーフを平気で食べている我々などは
信じがたい人種でしょう。
ということで、文化によって「食べていい動物」「タブーとされる動物」は
異なります。
求められているのは、相手の国のタブーを認めることです。
線引きをする必要はありません。
根本的に、個人的~または社会的「感情論」に基づく「動物愛護法」自体が
悪法だと思ってます。
動物殺しを違法化する要件としては、
「種が絶滅に瀕しているかどうか」という観点のみでいいのです。
そしてこの「絶滅危惧がどうか」という基準は、感情的文化論を離れて、
客観化できる基準ですので、判断基準としても妥当です。
「食べる/食べない」で線引きをするなら。
「食べられる動物はなんてかわいそう、食べてるあなたは残酷よ」系のベジは大嫌いですが、この精神障害作家が言っている事はそのレベルですらないと思います。
この作家が殺した猫を食べてたら一切文句つけようがないですね。
ただ牛やブタと同じように猫を食べただけの人で、別になんてことない話です。
でも食べてないからやっぱり問題なわけで。
まあそれを言ったら「キャッチアンドリリースの釣り」なんて立派な動物虐待。
魚に針刺して水に戻すのはいいって勝手に人間が決めてるだけなんですよね、結局。
釣った魚はありがたく食え!と思います。
この作家、タヒチの道を死んだ鶏探して車で走り回ってる、見つけたら回収して食べる、みたいな事までプロムナードで偉そうに書いていましたから、殺した子猫や子犬も食べればいいんです。せめてそれなら一貫している。
倫理感や感情論抜きでオッケーなら、人間はどうなのよ?
絶滅危惧種どころか増え過ぎなんだから殺しちゃってもよいってか?
カニバリズムが一般的なとこだってあるんだからその文化も認めて?
同意できんね。
http://d.hatena.ne.jp/orochon56/20060821#p1
に同意
なぜ可愛い動物(猫)は愛護されて、無害ながら「キモイ」ムカデなどは
駆除されるのか?
少なくとも、「見た目の可愛さ」で刑罰を定めた「動物愛護法」はおかしい。
猫を愛護するのなら、ムカデも愛護すべきだし、そうでなければ猫殺しも合法化すべき。
猫を可愛いと思う人が多いのは理解できるが、そのような感情を以って刑事罰を定めてはいけない。