こういう事らしいです。
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区名や町名が「阿倍野」であるのに、駅名は「阿部野」と異なっている。阿倍野区内には阿部野神社があり、こちらの表記の方が古いらしい。1923年(大正12年)の開業当初は大阪天王寺駅と称していたが、早くも翌年に大阪阿部野橋駅へと改称されている。
案内表示・方向幕等はしばしば「あべの橋駅」と略記・仮名混じりで表記される(16000系特急車の前サボでは更に略して「あべの」とのみ表示されていた)。これは2004年3月までは「あべの橋」と称されていたためで、この年の(近鉄ではダイヤ改正とは言わない)から駅構内の看板がすべて大阪阿部野橋に架け替えられている。またそれまでは、車内アナウンスでも「次はあべの橋」となっていたが、これを境に「次は大阪阿部野橋」と変わっている。現在、順次電車の行先案内表示も「大阪阿部野橋」に書き換えている。なお、近鉄では同時期から、それまで慣例化していた旧国名を省略した駅名表記を、順次旧国名を併記した正式な駅名表記に改める(例:「西大寺」→「大和西大寺」)ようになっており、その一環と思われる。
ちなみに、大阪市バスは今でも「あべの橋」(正式には「阿倍野橋」)を停留所名としている。
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あべの橋はアニメにもなったことがあるそうで、有名なところみたいです。
一番大きな原因は近鉄が阿倍野区にあるのに対して、JRと地下鉄駅が天王寺区にあることだと思います。
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さて、阪堺電車ですが、現在は天王寺駅前が終点でしたが、開業当時は天王寺西門前(四天王寺の門前と考えてください)まで路線を持っていました。
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その時から停留所の名前は”天王寺駅前”になっていました。当時はまだ近鉄(当時は大阪鉄道)は未開業で、阿倍野停留所は別にあったので、停留署名としては妥当だったと思います。
その後、路線の一部を大阪市に譲渡し、終点が天王寺駅前になって、駅名もそのままになっているというわけです。
(なお、当時は停留所の位置ももっと北よりの、いわば天王寺区に合ったとも聞いております。)
さらに、これにより大阪市電が北から阿倍野区の所まで乗り入れたため、大阪市電の停留所が阿倍野橋になり、そのまま市バスにも引き継がれてあべの橋のバス停になったと思われます。
(参考文献:大阪市交通局七十五年史)
区が違うからでしたか。ありがとうございます。
ありがとうございます。