出来るだけ簡潔なお言葉でおっしゃって下さい。
子供に限らず、ぶん殴ること自体いけない気はするがw
ぶん殴るのは、僕もいけないことだと思うんだけど、
ぷん殴るくらいえぇやろ、と思うんですよね。
子供は、いかなる理由があっても暴力は否定されるべきである
僕は正反対です。いけないことをした子はお入りペンペン!
悪いことは悪いことでも、本当に悪いことをした子、
あるいは同じ悪いこと2回目の場合、パンツ脱がしておしりペンペン!
(空いてるときに、授乳室を貸してもらえば、何とかなるでしょう。文句言うような店には、もう行ってやんない。)
やっていけない暴力があるのは事実です。それは本当に、どんな理由があったとしても使ってはいけません。
しかし、だからといって全ての暴力を禁止するのは、おかしいと思います。
続きは、また今度考える。(疲れた)
悪いことをしたら苦痛を与える。この考えが大きくなったものが、今の時代の特徴的な戦争の理由です。
善悪の判断の結果として暴力を用いることが一番悪い。悪者がどのツラさげて子供を叱れるか、ということなんだろうと思いますよ。
言葉の通じない年齢の子供には、殴っても(叩いても)良いと思います。
頭や身体を力一杯殴るのではなくて、悪戯した手を軽く叩く程度は。
言葉が通じるようになれば、暴力で済ますのではなくて言葉で諭すようにするべきだと思います。
そのくらいはいいでしょ。
しつけと憂さ晴らしの違いかな。
今の多くの教師も、子供で憂さを晴らしてる感じです。
教育的指導ではなく、教師が弱者を虐待して憂さ晴らし。
生物は、自分の身をもって体感したことじゃないと、学習できないんです。本を読んでの学習は、文字というvirtualを通じた学習です。だから、どんなに頑張っても限界があります。
映画だったら、少しはマシです。映画には、音があるからです。音はrealです。
言葉で諭す
子どもがそんなことでわかってくれるんなら、苦労はない。
悪いと理解するから行動が矯正されるんです。悪いと分かっていることなら、表情で諭すだけでも伝わります。
しかし、悪いと理解していないなら、叩いても嫌なことをされたという理解だけ。次にまた同じことを繰り返します。結局、叩くという行為は、教育的価値を持ちません。
2歳くらいの幼児ですと、大人のすることに興味を持ち出して、色々と手を出したがるのですが、言葉によるコミュニケーションがまだ充分に取れない状態です。
まだ「悪いことだ」と理解させるには、言葉だけでなくそれに伴った行動も必要な段階だと思います。
これが幼稚園に上がって集団生活を経験し、他者と関わることが増えれば多少変わるのでしょうが。
本気で怒ることなどほとんど無いですが、「これだけはやってはいけない」という時はすごく怒ったフリして手を叩くくらいは必要だと思いますよ。そのあたりは母親とも意見は同じです。
無論、危険を回避する努力も必要ですし、いきなり叩くのではなく、まずは言い聞かせてみることも大事ですが。
たまたま自分の機嫌が悪い時に口だけではなく手が出てしまった、というのは戒めなきゃと思っています。それでも疲れている時とか睡眠不足の時など、なかなか感情をコントロールするのが大変です(^^;)
子供の将来のために思って怒って「ぷん殴る」のは「しつけ」だと思いますが、自分の感情のはけ口の対象にしているのはただの「虐待」や「弱いものいじめ」なので(・A・)イクナイ。
私も子供(5歳,2歳)2人いますが、どんな話でも理解できるほど頭育ってないです。子供育ててる経験からですけど、子供のうちは理性が育ちきってないので、感情的にしか判断できないことが多いです。例えば、
「夜歯を磨かないと、虫歯になる」と教えて、そのことを知っていても、めんどくさいとか遊びたいとかの気持ちが強いと、自分から磨こうとしません。調子に乗ってると、何度言っても、歯を磨きにいきません。で、最後には力ずくで磨かせることになる訳です。今のところ叩いたり、殴ったりはまずしませんが、必要という考えはあります。
精神的な力で解決できない場合は、時として物理的な力で解決することは必要だと思います。少なくとも、親と子の関係では、言葉で足りない部分(言葉自身覚えてる段階ですし)を、行動で示す必要はあります。
言い換えれば、大人になっても言葉の足りない人、理解力の乏しいひとには、罰や武力といった強制力は必要だと思います。行き過ぎはよくありませんけど。
被害者の立場であっても、暴力や不当な支配に接していくと、それを問題解決の手段として選んでいいんだといういう認識が生まれてしまいます。
子供は、いかなる理由があっても暴力は否定されるべきであるという確固とした基準の下に育てられるべきでしょう。