街を見渡せば、100通りの家族に100通りの家。家をのぞいてみれば、それぞれの暮らし振りが面白い!“イエ・ルポ”とは、実際に見たり聞いたりしたイエの話、またはご自分の家の暮らしの中で生まれたユニークな工夫やアイデア、習慣や出来事をミニルポ感覚で書き込んでもらう“イエ・ルポタージュ”コーナーです。
*〈今週のお題〉に沿った、みなさんが知っている面白いイエの話を教えて下さい。
*〈今週のお題〉以外の話題のイエ・ルポも常時自由に投稿して下さいね!
イエ・ルポ #021 THEME「家族それぞれ?イエの中での役割分担」を教えて下さい
→ルポ例はコチラ
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20070420
※今回の「いわし」ご投稿は4月25日(水)正午で終了とさせて頂きます。
※参考にさせていただいた「いわしへのコメント」には、【いわしポイント×20pt】を差し上げます。
※初めてのご参加になる方は必ず「イエはてな」ご利用ガイドをご一読ください。
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20070325
誰からもいわれずに各人がお家をケアするってえらいですね。我が家はいつも母に注意されて行動すると言う具合でした。
私も今どこかを縄張りにするとしたら、、キッチンですね。使いやすいキッチンへの道は長いです。
分担ではなく、縄張りなんですね。
自分の縄張りを自分の意志で維持する。
凄いシステムです。
どうやったらそんな素晴らしいシステムになっていけるんでしょうね。
家族共用部分は、自分も気を付けてきれいにしなくてはと思うのですが、
どうしても他人任せになったり、
自分が掃除する時も、やらされているという意識がつきまといます。
でもそれを縄張りという意識に変えていけば、
とてもやり甲斐が出てきそうですね。
私も家のどこかを占領してみたくなってきました。
いわばこれは「家庭内資本主義」と言えますね。共産主義が理想のままで終わってしまったのは(いや、終わってはいないのかもしれませんが、とにかく現状終わったかのように見えるのは)、人の「所有欲」を無視していたところに、そのひとつの原因がありましたよね。何でもかんでも国家所有。市有財産を認めない。そんなことをやっていたら、人は何の意欲も持たなくなってくるわけです。
家庭内の家族共有部分が、まさにそれ。家族の所有であって、自分のものではない。少しは掃除手伝ってよ、なんて言われたって、そんなもんオイラの役目じゃないだろうでおしまいです。
ところが玄関が自分の縄張り、廊下や階段が自分の縄張りということになってくると、これは俄然やる気が出てくるわけですよね。そして誰の縄張りが一番心地よいかを競うようにすらなってくる。家庭内競争原理の導入です。
しかも、MINTさんの家の資本家は皆さん心が広い。けっして自己の縄張りを独占しない。縄張りを家庭内公益に資することに最大の喜びを見いだしている。このあり方は、家庭の理想像の一つであると共に、社会の理想像でもありますよね。
いやー、素晴らしいです。ほんと、いったいどうやっていったら、こんな素晴らしいシステムが家の中に定着するのか。まったく驚きと言うほかありません。私は玄関を端正に保つことに燃えているMINTさんの弟さんに、私設ピックアップ賞を差し上げたいです。いや、ほんと。
わが家はあまり役割分担を意識しない家で、たとえば食後のお皿洗いも、特に誰がやるとは決まっていないような家です。しかし家の中に、それぞれの縄張りがあります。
たとえば玄関は弟の縄張りで、弟は玄関を端正に保つことに燃えています。休日になると風呂の残り水をバケツで運んでタタキをタワシで磨いています。しゃがみ込んで一生懸命ごしごしやっています。靴を乱雑に脱いだりしておくと、弟からクレームが入ります。
続く廊下と階段は父の縄張りで、以前はワックス磨きに凝っていたようですが、ある時廊下と階段は滑りにくさが命だと考え始め、それ以来一貫して雑巾掛けと乾拭きに燃えています。私が足首をくじいた時、階段に手すりが付きました。
それ以外はだいたい母の縄張りですが、最近キッチンはだんだん私の縄張りになりつつあります。正確にはだんだん占領しつつあるという感じ。料理にはそれぞれ独自の手順がありますから、棚のスパイスの並び順ひとつにしても、それぞれに使いやすい順番があります。そういうのを密かに私流にリニューアル中なのです。でも和食はまったく母にはかないません。味噌醤油に手を付けるのはまだまだ百年早いという感じです。