例えば、人間の体は車体で、心臓や肺や脳は車の部品やガソリン、車に乗る人が人間の魂だと思っています。
どれが欠けても車は動きません。
しかし、人間は車に乗らなくても動く事ができます。この人間を魂に例えるとしたら、やはり魂はこの世に存在し続ける可能性があるのでしょうか?
同じキリスト教でも死んだら土に返って魂も残らないとか、天国へ行く、地獄へ行く等あると思いますが、実際の所死んでみないと分からない事なので、とても気になってしまいます。
でも、この世には幽霊が見える…という人が存在します。どれが本当でどれが事実無根なのか分かりません。あなたの意見を聞かせてください。
長く生きれば生きるほど、自分の肉体一つでさえ完全に思い通りにならない
ということがわかってきます。
むしろ、気分とか体調とか肉体的ストレス?というようなわかりづらい形で
肉体に意志がずいぶん左右されています。
そういう意味で、肉体にある意志を左右するような部分が魂かなと思います。
脳で肉体の調子を左右して脳に還元しようと考えるとすると、
昔の日本人は非常によくコントロールできていました
(早起きするとか、菜食とか、運動するとか)
だから、よっぽど変な電磁気などの出ている心霊スポットでもなければ
あまりしょっちゅうは左右されない、いい魂だったのかなと思います。
逆に、今の人間は、心霊スポットなどにわざわざ出かけなくても、
そこらじゅうに存在するケイタイの強い電磁波や気温などの変動で
脳が誤作動しやすくなっているのかもしれません。
私は、魂=肉体と考えています。
例えば、子供の頃の自分と、今の自分と、100歳になった時の自分は別人とまでは言えませんが、完全に同一人物とも思えません。
酩酊状態の自分と今の自分、同一だけど、ちょっと違う。あの人は他人だけど、他人ではないくらい私と似てるなど経験があると思います。
これは、肉体の構造(勉強したり成長したりで脳の構造が変化する)が変化することで、自我=魂が変化。もしくは、自分と同じような思考回路やフィーリングを持っている人は、自分と同じような脳の構造を持っている気がします。
そのため、肉体=自我=魂であると考えています。
また、幽霊が見えると心から思っている人は、現実に居るかどうかは分かりませんが、少なくとも、その人がそう信じているなら、その瞬間だけは、その人には真実として見えたのですからアリではないかと思います。
ちなみに、私の場合、幽霊は見えませんが、不幸な出来事がよくある場所や、昔、火葬場だったところなど、なぜか分かります。ただ、そういった場所ではよく火葬が行われやすい地形であるとか外的な要因を単に汲み取っているだけに過ぎないだけかもしれませんが、よくあたります。