かつて、心は心臓にあると信じられていました。
多くの現代人は、脳内記憶として存在すると考えています。
あなたは、身体のどの部位に在ると思いますか?
頭・顔(額・眼・鼻・口・耳)、首・肩・胸・足・腹・臍、手・指。
爪(手・足)、髪・眉・睫・鼻毛・耳毛・産毛・頬髭・顎鬚・脛毛。
五臓六腑=肝・心・脾・肺・腎、胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦。
http://www.kadokawa.co.jp/sp/200405-05/photo02.html
The Da Vinci Code
http://q.hatena.ne.jp/1183571182#a734911
心の在処
── 心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食え
どもその味を知らず。── 《礼記・大学》
「心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味、此謂修身在正其心」
アイデンティティの問題ですよね。「どこからどこまでが自分か」と。
心というのは「私は」という一人称で語るものだと思いますので。
爪を切り離したらそれは自分か、髪の毛は、腕を切り離したら?
昨日の私と今日の私は同一人物?
記憶を失った私は私なんでしょうか。
そもそも「私は」と考えているのは誰なのか。
心というのはイメージとしては核のない、だけど色の濃いところがある、ぼんやりとした「集まり」のようなものでは。
だからどこからどこまでとはいえないけれど、「だいたいこのくらい」とはいえる。
刻一刻と形とありようを変えて、移動することも、削り取ることもできる。
一度に一つのことを考えているわけではなくて、実は複数のことを同時に感じ、考えていて、たまたまその強くなった「粒」が結びついて「私」とか言い出す。
「どこにある?」という問いに答えるとすれば、
「関連するすべてのところに、一つではなく」
という感じでしょうか。