ものを数えるときに、本当は「○個」で数えるのではないと知っているのに、「○個」と数えてしまっている、ということがあれば、具体的な例をお聞かせください。あるいは誰かがそう言っているのを聞いて違和感を覚えた、ということでも……。


「平仮名の作文、『八つ』を『はちつ』=国語力低下、教師9割が実感-岩波書店調査」という12月8日の報道記事で、「数え方を知らずに、何でも『個』とする児童がいたという」とあるのを読んで、「自分も含め、大人が何でも『個』にしていることもあるかも」とふと思ったので、質問してみることにしました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071208-00000048-jij-soci

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「小説」は「○個」で数えますか? nofrills.seesaa.net2007/12/09 18:46:14

だんだん「自分の感覚」とやらが怪しくなってきているなか、

今日12月9日は夏目漱石の命日だなあと思っていたら思いついたのですが、

「小説」を「○個」で数える、または誰かがそう数えているのを見聞きしたことがある、という方、

もしいらっしゃったら、ひとことでもいいので、このツリーにレスをください。


「書籍」ではなく「小説」です。例えば、

「『彼岸過迄』、『行人』、『こゝろ』は、三作とも読んだよ」

ではなく、

「『彼岸過迄』、『行人』、『こゝろ』は、三個とも読んだよ」

と言うかどうか、ということです。

ホンでは?? to-ching2007/12/10 19:37:57ポイント5pt

 一本二本では???

本でも作でもなく… Vermin2007/12/11 02:47:36ポイント3pt

小説の数え方は「編」ですね。一編、二編…。

あと「個」は物体としてそこにあるもの、っていう感じがしますので、小説を「個」と数えるのには違和感があります。せめて「つ」ですかね。

岸田國士が戯曲を「二個」と数えている例がありました。びっくり。 nofrills.seesaa.net2007/12/11 06:31:16

このスレの親投稿で挙げた『彼岸過迄』、『行人』、『こゝろ』は漱石の後期三部作と呼ばれるもので、例としてあまりよくなかったのかもしれませんが(小説を数えるには「三本」、「三編」、「三点」などいくつもの数え方がありますが、「三部作は三作とも読んだ」というのが最も自然だと私は感じます)、思いついて青空文庫を検索してみたら、次のような例がありました。岸田國士の文章です。


 関口次郎君【注:劇作家・演出家 (1893 - 1979)】の第二戯曲集が出た。

 目次に関係なく、作品の出来栄えから、と云ふよりも、寧ろ、僕の好みから本書に収められた九篇の戯曲に等級をつけるとすれば、先づ左の如くであらう。

……

 『秋の終り』一篇が代表する関口君は、当に思想的に云ふところのモラリストである。……

……

 喜劇小品と銘うつた二個の『十五分劇』は、何れも、作者の皮肉屋たる本性を露骨に示したもので、……

http://www.aozora.gr.jp/cards/001154/files/44545_26811.html

ここでは小説ではなく戯曲ですが、岸田は「九篇」、「一篇」のほか、「二個」を使っています。正直、びっくりしました。

なるほど「作」も間違いではないんですね。 Vermin2007/12/11 21:01:39ポイント2pt

確かに三部作を「三編」や「三点」などと、あえて云い直す必要もないですね。

しかし、例の文章は興味深いです。

強調したい場合や、続く文章との兼ね合いを考えて、あえて「個」を使うのも手だと感じました。後に続く「皮肉屋、本性、露骨…」などという強烈な言葉を受けるには、「篇」の柔らかい感じよりも、「個」の持つ無骨さが合っています。

「個」は「存在」そのものを表現している感じがありますよね。なんというか否定できない力があるというか。(目に見える、触れる)物体に使わないと違和感があるのも、このせいでしょうか。

でも、例はやはり表現者のそれですね。一般的に小説を「個」と数えるのは難しいと思います。それに、私のまわりでもあまり聞きませんし(小説の話などしないというのもあるけれど)。

「個」の持つニュアンス nofrills.seesaa.net2007/12/11 21:30:59

Verminさん、深い読みですね。確かに、岸田國士の例は、ひとつの「表現」としての「二個」という語の選択、という気がします。


> 「個」は「存在」そのものを表現している感じがありますよね。なんというか否定できない力があるというか。

そうですね、まさに。


青空文庫で「二個」という用例を探したときに、「二個」と書いて「ふたつ」と読ませているものは別ですが、英語のindividualの概念を強く引きずっているように感じられる「二個」がいくつかありました。漱石が『虞美人草』の藤尾とお糸について語っている文はその最も顕著な例だと思いました。


> (目に見える、触れる)物体に使わないと違和感があるのも、このせいでしょうか。

そうかもしれません。つまり、「一個」はそれ自体で輪郭を備えた個別の物体について使う、という意識のようなものが、どこか深いところにあるのかもしれません。そういえば前のスレッドで「水一個」という表現に私が違和感を覚えたのは、「ペットボトル一個」ではなく「水一個」だったからだ、と思います。その場にいて「水」ではなく「ボトル」を目にしていれば、違和感は多少軽いものだったかもしれません。(まあ、ペットボトルでも自分は「一個」ではなく「一本」と言いますから、違和感ゼロというわけにはいかないと思いますが。)

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