えー、日本語の助数詞っていらなくないですか?
いる/いらない、なぜ?なに?どうして?
ご意見をお願いします。
※横レス好きの皆さんごめんなさい。今回は趣旨に沿ってください。
言語をただの意思伝達の道具としか見なさないのなら、その考えは合理的だけれども、文化としては死。
文化としての死は私としては承伏しかねます。(お互い個人的意見ですから。)
写真を「一葉」とか 硯を「一石 」とか 扇を「一握 」とか。
「つ」「個」だけ残されるなら全部無くなっても余り変わらない
火元と思われる質問主の俺様が来ましたよ。
まず、「○個」と、「ひとつ、ふたつ、……ここのつ」の「万能数助詞」はないと困ります。ただし「10つ」は、逆に、あると困ります。俺様が「tenつ」と読んじまうからです。つまり、「○つ」は「九つ」までです。この点については俺様はかなりの過激派です。校正で「10つ」を見た場合、容赦なく赤ペンで「つ」に「トル」と書くでしょう。
単に「数えるため」に用いられているだけでなく、さまざまな成句・慣用表現に入っているものも、何らかの圧力等で廃止・禁止されると日常生活に困難をきたすことになります。「一本勝負」の「本」、「六帖間」の「帖」(表記としては「六畳」もあり)、「三面記事」の「面」、「大山鳴動して鼠一匹」の「匹」など。いちいち「畳6つ分のスペースを有する部屋」などと書かされた日には、俺様が今ここでしているのは英語からの翻訳ですか、という感じです。(なお、現実には他人が「畳6つ分」と言っても多少の違和感を覚えるだけで、特になんとも思わないでしょうが、校正の仕事で「畳6つ分」を見たら、どうせなら「6帖分」か「畳6枚分」だろうと指摘はします。)
「犬が二個」、「ピール瓶が三個」、「文庫本が四個」など、「○個」ではちぐはぐな感じがするものについては、現状の数助詞が存続されることを望みます。また、「犬が二つ」では、その犬の年齢が二つであるのか、犬Aと犬Bがいるのかが判然としない、といったような実用上の便も考慮されるべきと考えます。
また、仮に万能数助詞以外を全廃してしまうと、「付箋紙が五個」のように「付箋紙のブロックが五」なのか、「ブロックからはがされた付箋紙が五」なのかがわかりづらい事例が必ず発生するということがあまりに明らかであるため、「○枚」や「○杯」、「○粒」(「ブドウが五個」では「ブドウの粒が五個」である可能性も、「ブドウの房が五個」である可能性も、いずれも否定されない)などの存続も求めます。
ただし、「蝶は『頭』で数える」といった専門的なもの(左記URLは「教えて!goo」の質問経由)は、多くの場合、俺様には関係がないので、正直どっちでもいいと思います。そう数えたい人はそう数えていてくれて構いませんが、俺様は「チョウチョは一匹、二匹」で数えます。それを許容していただきたい。俺様がチョウチョを「一頭」ではなく「一匹」と言うからといって、「国語力のない奴」と扱われたくはございません。
なお、俺様は、写真を「一枚、二枚」ではなく「一葉、二葉」と数える人に接すると、感心し、また敬服し、「師匠!」と慕います。たぶん。
# 以上、思いつきで、一人称を「俺様」で通してみました。あと、カギカッコ外では「万能」以外の数助詞を使わずに書きました。数助詞を使わないとやっぱ大変です。
マイナーな助数詞だったり、メジャーな助数詞でも限定された状況ならば、対象物を直接言葉に出すことなく、助数詞を使用するだけでそのものであることが自明になります。
直接的な表現を避ける日本語でありますから、そのような表現の仕方はスマートと感じます。
なのでいるかなあと。なくしてしまうのはもったいない。
「3階立てのアパートが3棟建っている」という文を、助数詞を使わないで(日本語で)表現することはなかなか難しいと思います。多分、出来てもこれよりも長文になるでしょう。
あと「枚」などは物の形状も表してますよね。「何かが一枚落ちた」と「何かが一つ落ちた」では喚起されるイメージも違ってくると思います。
それに要らないほどあっても、使うものは限られてますし、大概は「個、つ」で代わりが利きます。あっても別に弊害になりませんが、なくなれば多少なりとも不便です。
私は「要る」と思います。
合理性ばかり追求するとハングルみたいに味もそっけもなくなってしまう。
言語は思考その物であり、PCのプログラムじゃないんだから、多少複雑だろうが難しかろうが、色々な表現方法があった方が良い。
それに、文学が廃れてしまう。
俳句や短歌もひどくつまらないものになる。
「いる」「いらない」ではなくて、(便利に)使えるという意味で「あった方がよい」。
基本的に数を示す場合、単位があるわけですが、その単位を示すものとして生活や社会上で有意有効ということです。
靴を一足、箸を一膳で「セット」で通りますが、靴をふたつ、箸を2つでは「不揃いでもよいのかい?」というツッコミが来そうです。
水をひとつ...さて、一滴ですか?一分子ですか?それともコップ一杯かな?..という意味で「ある程度の量的なセットを示す」ことができます。
つまり、日本語では数詞は有効で、これをなくした場合にどう表現するかで、結構面倒なことになります。
すでに数詞を組み込んだ言い表しが標準的にあるわけですので、数詞をなくして数詞以外ですんなりと簡便に表現するのは無理でしょう。
お酒を一献...これは軽く一杯という意味なんですが、お酒が一杯で終わったためしがないわけでして..orz
ちなみに私はいらないと考えているわけではない・・・かも。。。です。
「1つ」の「つ」も助数詞だよ「1の水」だと分かり辛いけど、お店とかでは「お冷1」等で注文することもある。
有るのに慣れてるから無くなると違和感がある、最低限「つ」「個」くらいは使うでしょ
助数詞がなくなると、感情移入ができないので、
「人」、「匹」、「つ・個」、これだけあればいいかな?
「これは本当はこういう数え方をするんだよ」みたいな知識は、面白いけど、正直無駄に感じます。
例えば、「1杯の水」も助数詞がなければ「1つの水」となってしまい、意味がわかりません。
水のように数えられない名詞はわかりやすい例ですが、数えられるものでも、よりそのものの表現をはっきりさせる上で重要だと思います。
> そもそも「いらない」と思われる理由は何ですか?
ほんと。