「英語が話せないと恥ずかしい」
「英語は話せるのが当たり前」
「英語がぺらぺらなやつはかっこいい」
世間にはそんな雰囲気はありませんか?
何年も英語を勉強しても何かの役に立つ意思疎通レベル (たどたどしくも英文メールが出せる、海外の空港やホテルでトラブルを乗り切るなど) に達しない人が多いように思うのですが、いっそのこと英語の学習は中学校からに戻して、さらに選択授業にするというのはどうでしょうか?
1年生の時にはアルファベットと簡単な会話だけを覚えるとして、2 年生以降は外国語を選択させる。英語を受けない人は、ほかの外国語から選ぶとか。
国際社会で英語が必要なのはわかりますが、身にならないことを延々と続けても意味がありませんし、時間とお金の無駄ではないでしょうか。
今の英語教育では、「英語は話せなくても恥ずかしくない!」と思います。
小さい頃から「国際化の時代に君たちは~云々」とかいう説教を食らいながら、そのくせ成果のでない英語の授業を受けている子供がかわいそうではないでしょうか?コンプレックスを植え付けられているかのようです。
賛成・反対、いろいろ意見をお願いします。
本来、役に立つ学問を、身に付けることなく履修していくのは、英語に限った事ではありません。
化学や生物を履修して身に付けていれば、血液がサラサラになる!なんて宣伝文句に騙される事もありませんし・・・・
恥を恥と思わなければ、英語を話せなくても恥ずかしくありません。
数学を履修していながら、帰納的な考え方の出来ない人も、恥ずかしくないでしょうね。
テストの点数は、単なる効果測定でしかありません。
それも、授業に対する効果測定であって、身に付いたかどうかの効果測定ではありません。
社会から隔離されすぎた学校にも問題がありますが(社会人から教員になる人をもっと増やすべき)
社会に巣立つ自分をイメージせずに進学する生徒さんにも問題がありますね。
英語は、単に会話や読解記述の為だけでなく、日本語から得られるモノとは違った思考方法のトレーニングにもなります。
ちなみに、目的を達成すればそれでOKなのが社会ですから、たどたどしくてもキチンと目的(たとえば商談だったり契約だったり)を果たしていれば、何の問題もありませんよ。(役者じゃありませんので)