THEME:「窓」「貝殻」「テーブルマナー」+「言い伝え&おまじない」
「今日をちょっと楽しく、イエで過ごすいつもの時間を素敵に変える小さな魔法のサプリがあったら…」と展開してきた “リブ・ラブ・サプリ”コーナーの続編のひとつ、FORTUNEバージョン。FORTUNEとは「幸運・幸せ」。毎回のテーマに沿って、イエと暮らしに幸運を呼ぶコト、ハッピーにするコトを思いとともにメッセージ下さいね。
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※質問は8月11日(月)正午で終了させて頂きます。
私も日本で普通に食事をする場合は、残さず食べる主義です。また残る程、大量に作ってしまったら翌日に食べています。食糧不足が頭にありますし、何より動植物の命を頂き、食物を作ってくれている農家・酪農家の方にも失礼ですから、食べ物を粗末にはしません。
しかしながら、お国柄によってはマナーとして料理を少量わざと残す文化もあります。
以前にも少し話題になったのですが、中国や韓国、またアラブ圏の食文化では、お客様には食べきれない量を出すのが接待のマナー。客側も「申し分なく、十分もてなしてくれましたよ」という意味で料理を残して、礼をあらわすのがマナーとなっています。
>http://q.hatena.ne.jp/1176872048/88103/
ただ、各国同じように食事を残す文化があれど、必ずしも食べ物を無駄にしているわけでもなさそうです。
例えば中国の場合、大皿に料理が盛られていて、自分の小皿に移して食べます。大皿には少量残して礼を尽くすのですが、自分の小皿に移した分はちゃんと食べないといけない・・・、以前そんな話を聞いたことがあります。
韓国の場合はレストラン等で出る大量の残飯を、家畜の餌として再利用しています(家畜が食べても大丈夫なように、残飯に混ざりがちな爪楊枝も食べられる素材で作られています)。
また、アラブ圏のサウジアラビアでは、客の残した料理は本来は子供が食べるものであったようですし、レストランから出る残飯の量の多さが問題になったこともあったようです。
http://www.aii-t.org/j/maqha/magazine/30years2/12.htm より引用
当時の風潮として多くの人が結婚披露宴をホテルで催しました。その際食事が多量に余り、無駄に捨てられるケースが見られるようになりました。従来のやり方ですと、来賓が食事を頂いた後は退席し、次に家族や子供達も参加し、残らずきれいに平らげます。主催者は、失礼のないように大量の料理を用意します。・・・
やがて、そんな風潮に疑問をはさむ市民の声が聞かれるようになりました。見栄を張り、大盤振る舞いをする行為に誰もが、自分達の行為は正しいのだろうかと反省し始めました。
お国柄・食文化・接待といったマナーが理由で、食事を残すという場面も時には必要になるかもしれません。それはそれなりにその国の文化を尊重する、という意味合いもあるからです。
文化としてのテーブルマナーは、相手次第で変わります。ただ、上記のサウジアラビアの例のように、食糧問題も意識して食文化が変わっていく地域や国も出てくるかもしれません。私としては、多かれ少なかれ、建前として文化としてのマナーが残っても、食物が何かしらの形で、無駄にされないことを期待します。
一概に出されたものは・・・というのが結果無理強いに繋がり、健康被害に至る可能性があるので、
「好き嫌いは駄目」等の一元的な言い方で物事を進めると危険な場合があります。
マナーは、基本的に同一文化圏においては、万人が守り合うことが前提です。しかし「出された物を残さず食べる」というのは、ちょっと身体的に無理な人がいるわけですよね。アレルギーの問題だけでなく、摂取カロリーの問題も絡んできますし、さらに様々な病気ごとにに避けるべき成分などが存在します。
したがって、これは個人のポリシーや努力目標と考えるべきで、他者に強要することは好ましくない、むしろ強要しないのがマナー、ということになってくると思います。
ちなみに、和食に限って言えば、食べられない料理は、箸を付ける前なら下げてもらってもマナー違反ではないんです。一回でも箸を付けたら不味いから下げろということになってしまい、大変失礼な行為になってしまいますが、そうでなければ、下げてくださいとお願いしても、ほとんどの場合、失礼には当たりません。
アレルギーだから、持病で医者に止められているからといった理由だけでなく、宗教上の理由とか、食習慣上不慣れだからといった理由でも差し支えありません。というか、いちいち理由なんか言わなくていいんですけどね。とりあえず大人の世界では、そういうことです。
子供に対する食育指導は、子供の体調を知り尽くした保護者などが、子供の体に最適な料理を使って行うべきでしょうね。そうでない「もったいないから食べなさい」は、逆に調理する側の努力として、食べ物が残らないように配慮していくことが大切ではないかと思います。
死んでいる植物・動物に思いをはせたり、作り手の苦労を想像することは子どもに教えていきたいとは思いますけどね。ただでさえ繋がりを感じずらい世の中なので。
まず、食物への感謝などは、一緒に食べるご家族の思いが、そのまま子供に伝わっていくものだと思うんですよね。これこれこうなんだからこうあるべきだ、といった話が通じるのは、かなり子供が大きくなってから。でも、もっとずっと小さな頃から、理屈抜きで伝えていきたいものってあるじゃないですか。食べ物に対する感謝の心というのは、そういうものではないかと思うんです。
また、子供がある程度大きくなってきたならば、残さずに食べることよりも、残すなら再利用可能な状態で綺麗に残す、そして残した物の再利用を考え、親子で一緒に楽しく実践してみる、なんていう指導方法もあると思います。
「残さないで食べる」という形ひとつにこだわらず、そこで教えたいエッセンスを複数の方法で伝えていける方法考えていく。その方が、きっと子供の心には強く響いていくと思います。
私は自分で料理をするようになって、
はじめて本当の意味での食への感謝の心が
少しずつわかってきたなぁと思っています。
食べる立場にいるだけだったらわからなかったことが、
自分で家族のために料理をするようになってわかってきました。
残さずに食べるという考えはすばらしいことかもしれませんが、
でもそれは食べる立場からだけの話。
今は食育っていうんですか?
なんか食事を通じた教育みたいなことにとても熱心になってきているみたいですが、
私は本当の食育には、作る立場になってみる経験も必要だと思います。
子供の食育を考えるためにお父さんもキッチンに立ってみる、
みたいなこともできたらすばらしいだろうなぁと思います。
嫌いだから、や(味が好きじゃない)おいしくない
などという理由で残すことはうちでは絶対許しません。
でも、残さないために無理に食べるのもいいとは思えないので
初めから、このぐらいなら食べきれるか様子を見て盛るようにしています。
外食時は子供が食べきれないことも考えあらかじめ自分の分を少なめにします。
そうしてきたところ、子供たちも「これ好きじゃないんだよねー」といいつつも
きちんと食べるようになりました。
私の周りでは、みんなでどこかへ行くのにお弁当なんかを買うときも
うちは量だけ考えて、どれを買っても子供も食べてくれますし私も好き嫌いはないので大丈夫ですが
子供がこれは嫌いで食べない、この調理方法だと食べない。とずいぶん苦労されている家が多いです。
アレルギーでない限り初めから厳しくしてきた我が家ですが
おかげで食事で困ることはないですね。
残さず食べることは小さい頃から小学校でも教わってきたことです。食料不足のことを考えれば捨てるなんてできないですよね。
結構キビシクしつけられました。子供にも伝えています。私はというと、「残さない」というよりも「残せない」という領域に入ってきていますが・・・
最低限のマナーですよね。世界には貧しくて食べれない人もいます。食べれるだけでも感謝しないといけないのに残すなんて論外です。
そうですね。米粒一つ残らず食べるようにしています。最低限のマナーですよね。
昔よく言われました。ご飯粒一粒でもお茶碗に残っているとお百姓さんに失礼だよと言われてからはきれいに食べるようになりました。
生き物を食べているので最低限まもりたいマナーですね。
正直、大人になるまでは、注意されても好き嫌いや偏食で
何も考えずに残してしまっていたことが多いですが、
今となっては、時間をかけてつくられた穀物や野菜など、
作ってくれた方のことを自然と考え、残さず美味しく頂くことを
心がけるようになりました。
料理をするときも捨てるところの無いように、
なるべく工夫しています。
私は好き嫌いはないので残さず食べてますね。作ってくれた人に感謝して食べてます。
作ってくれた方に本当に感謝ですよね。
小さい頃、残すと父に殴られました。
ものすごく良く食べる子だったのし、好き嫌いも一切なかったのでそれほど残す・残さないで怒られた経験はないのですが、それでもたまーに、自分が食べられる以上の量を自分の皿に取ってしまい、食べきれなくなって叱られる事がありました。
自分で取り分けたのに残すとは何事か!!自分が食べられる量も分からないのか、責任を持って食べなさい、と。同じ理屈でレストランで注文したものを残すのも論外でした。
お陰様で基本的に「食べ物を残す」のは、食べ物に対してと、作ってくれた人に対して悪いと思う妥当な罪悪感を持っています(イギリスで目にする、あのすえた臭いのするポテトの揚げ物だけは、別!)。そのせいでマ○ドナルドのものを食べられなくなりました。だって、途中で口が飽きて食べたくなくなるのが分かっているので。
農家の人に失礼ですし、
ご飯を食べることのできない世界中の人に対しても無礼ですよね。
ごはんは動物や魚、植物が命をくれてできるものなので、残さないように食べています。
お米には7人の神様がいるとも言われていますよね^^
だから残してはいけないと言われていました。
○多かったら残しましょう!・・
腹八分目がベストです!・・
と小さい頃から母や祖母に言われました。
今現在高校生やってますが、未だにそれが染みついてて、条件反射的に一粒も残さずに食べてます。
「もうデブだなんて言わせない!」
という本だったと思いますが、そこに
「どうしてもビッグマックが食べたかったら4分の1だけ食べてあとは捨てる」みたいなことが書いてありましたが、信じられません。
世界には飢えと貧困で苦しむ人たちがいるというのに。
無理して食べるのはもちろん良くないですが、残すのも同じぐらい良くないと思います。自分の食べれる量を常に把握しておき、食べきれないほどの量のものを作らない・買わないのが大切だと思います。
小さい頃から出された食事は残さず食べることを守ってきました。世界中には食料不足な国もあることを考えたら、残した食物を捨てるなんてことはできません。わたしの中では残さず食べることが最大限のルールでありマナーですね。