情報レベルはいりません。
へぇ~って思うことをお願いします!!!!!
世界遺産に登録されている、自由の女神像は約15年かけて造られ、アメリカの独立100周年を記念して、フランスから送られたもので1886年にニューヨーク湾リバティ島に建てられました。本当はフランスの方を向いているはずですが、園内では日本を見ております。右手に聖火を持ち、左手に「1776年7月4日」と書かれた独立宣言書をかかえています。また、頭にかぶっている冠にも意味があり、7本の尖がった部分が7つの大陸や7つの海をさして、みんなに自由が広まりますようにと、祈りをこめて作られてものだそうです。ちなみに、この自由の女神像の骨組みはフランスのエッフェル塔を設計した、ギュスタ-ヴ・エッフェルさんという方が設計したものです。足元の台座の方にはアメリカ移民博物館があります。 また、足元をご覧いただくと、大きな足跡があります。これは、今ご覧いただいた自由の女神の足の実寸大です。実際は身長46mの像ですから、これだけ大きくなります。このような実寸大の絵が、ヨ-ロッパゾ-ンにもございますので、足元を気にしながらご覧になってください。
自由の女神と言えばウルトラクイズの一問目ということでそれを集めたサイトがありましたので。
http://www.actv.ne.jp/~yappi/tanosii-sekaisi/10_theme/10_02kouso...
個人的には
答え的には×ですが、第14回の
問1) ニューヨークの「自由の女神」には、災害や事故に備えて、損害保険がかけられている。
× 大統領の権限により、議会の投票で資金を集め修繕することになっている。
議会権限で資金が集められるのが素晴らしいと思います。
ふむふむ、おもしろいです。
ありがとうございます!
自由の女神のあるリバティー島には建設に関わった5人の像が並んでいる。
LABOULAYE 女神像をアメリカへ送ろうと発案したフランス人学者
BARTHOLDI 女神のデザインを考案した人
EIFFEL 女神像の骨組みを作るのにかかわった人
PULITZER 資金調達に奔走した新聞社ワールドの経営者
LAZARUS 台座調達資金の一環として詩を書いた人
ためになるお話ですね。
ありがとうございます!
ふへへ、こういうのもアリです。
ありがとうございます。
フランスからの贈り物だということは、ご存知の方も多いはず。
では、どうしてこんなデカイものが贈られてきたのか?
【きっかけ】
1865年、フランスの歴史家が開いた夕食会で
「間もなく独立100周年を迎えるアメリカに、フランスから何か贈り物をしよう」
という話題になったところ、一人の彫刻家が
「とびきり大きな像を贈ってみては?」と発言。
彼の名は、フレデリック・オーギュスト・バルトルディ。
実は、バルトルディは、大きな像を作ることで知られる、巨大マニア。
この男が、全ての情熱を注いで作ったのが、あの自由の女神だったのである。
【大胆なアイデア】
女神作りを進めるバルトルディだったが、制作には予想以上に時間がかかり、
約束のアメリカ独立100周年には到底間に合わない。
すると彼、なんと出来上がっていた右手の部分だけをアメリカに送ったのだ。
そして、その右手だけが、独立100周年記念式典に出展された。
また、資金難に陥った際にも、女神の頭だけをパリ万博に展示して
40万ドルの寄付を集めた。
【出来上がったパーツを人目にさらす】
実は、バルトルディは、この大胆方法で人の興味を引き、
数々のピンチを切り抜けていた。
ちなみに、自由の女神の制作には、フランス政府はタッチしておらず、
制作資金も出していない。全てフランスの人々の寄付によって作られた、
まさに「フランス国民からの贈り物」なのである。
【強力な助っ人】
バルトルディが最も悩んだとされているのが、
高さ4mの巨大な女神をどうやって自立させるかという点。
そこで、バルトルディが相談をもちかけたのが、ギュスターブ・エッフェル。
そう、後にあのエッフェル塔を作ることになる男である。
鉄骨を組み上げて頑丈な橋を作る名人だったエッフェルは
得意の方法を女神作りにも導入。
女神像の真ん中に、中心となる鉄塔を立てると、
そこからたくさんの鉄の棒を突き出させて、女神像の芯部を作成。
そこに銅板で作った、女神像の『着せた』のである。
この方法なら風や地震で像が揺れたとしても、
その衝撃を、クッションである鉄の棒が吸収してくれるのだ。
こうした見事なアイデアを積み重ね、女神像はついに完成。
1887年10月28日、ついにニューヨークに女神が立ったのである。
分かり易いですね。
ありがとうございます!
移民達が入港する(旅客機など無かった時代ですから)場所に建てられ、 この像を見ることによって長い船旅の疲れが癒され、新大陸への希望が 膨らんだと言いますから、その役割と言うか、存在感には我々日本人が考える以上のものがあります。
彫刻は若手のフランス人、フレデリック・オーギュスト・バルトルディーが担当し、 モデルは彼の母親だと云われています。 台座に像を載せるにあたりパリ・エッフェル塔を造った建築技師の、ギュスターブ・エッフェルも借り出されたという力の入れよう。
http://blog.hankyu-travel.com/kaigai/00300/00301/2008/003529.php
モデルは母ですか。。
ありがとうございます。
自由の女神像。
マンハッタンからフェリーで10分程のリバティー島にある。
テレビでの映像からかなり大きいと想像していたのですが、
「えっ?!こんなもんなの???」と拍子抜けする小ささ。
この小さな像を目指して争われる
「アメリカ横断ウルトラクイズ」っていったい・・・???
別に大きくないんですね。
ありがとうございます。
わりと見逃されがちなことですが、
「自由の女神はもともと茶色だった」
銅製ですから。今の緑色になったのは、表面が錆で覆われたためです。
下の絵をみるとオリジナルの色がわかります。
http://www.bethlehemartgallery.com/tiles/images/statue%20of%20li...
あーそうなんですか!?
びっくりです。
ありがとうございます!
なるほど、高島屋新宿店が渋谷区にあるようなもんなんですかね。
ありがとうございます。
http://en.wikipedia.org/wiki/Statue_of_Liberty
ウィキペディア英語版から「雑学」的なものを抜粋。私自身がずっと以前に知って「へぇ」と思ったことがいくつも含まれています。細かすぎて伝わらないかもしれないし、既出のものといくつかかぶっているかもしれませんがご容赦。
「自由(の女神)像 the Statue of Liberty 」というのは実は俗称・愛称で、正式には「世界を照らす(啓蒙する)自由(の女神)Liberty Enlightening the World」という。
女性像なのは、古代ローマの「圧制、奴隷からの解放」の女神リベルタス (Libertas) だからで、右足が爪先立ちなのは、彼女は常に前進しているとされるから。左足は破壊された足枷を踏みつけている。
頭に着けている冠から出ている7本の棒(とんがった物体)は、7つの海・7つの大陸を表している。
最初のモデル(試作品)は1870年に作られ、今はパリのリュクサンブール公園にあるが、第二のモデルはブラジル北東部のMaceióの市庁舎に置かれた(現在は博物館にある)。(つまり、「自由の女神」はパリとニューヨークのほか、ブラジルにもある。レプリカはこのほかいろいろとありますが。)
像の建造資金を集めるための活動では、オペラ作家として名を成す前だったフランスの作曲家グノー(作品にあの有名な「アヴェ・マリア」など)が、「世界を照らす自由」という作品を書いてパリで上演し、資金集めに協力した。
アメリカでは、「ピュリッツァー賞」に名を残しているアメリカの出版者ジョウゼフ・ピュリッツァーが、台座部分の建造資金を集めるためのキャンペーンを自分の発行する新聞で行なった。ピュリッツァーが動いたのは、当初アメリカの金持ちの関心がイマイチ薄くてなかなか資金が集まらなかったことによる。(つまり、アメリカではあまり関心をもたれていなかった。)
1884年7月にはフランスで女神像が完成し、8月にはNYで土台建設が始まったが、資金難のため建設作業は1885年1月にいったんストップ。ここでピュリッツァーが再度資金集めキャンペーンをはって大成功し、同年5月に作業が再開された。
1886年に完成した像は、1902年まで灯台として利用され、像が掲げているたいまつに実際に明かりがともされたが、これに惑わされる鳥にはいい迷惑になっていたらしい。たいまつのところに鳥の屍累々。
1916年に像の近くで爆破事件があり、像の持つたいまつが損壊された。そこで、ラシュモア山の歴代大統領像の彫刻の作者であるボーグラムが補修兼改修にあたったが、この改修作業のあとでたいまつの部分から像の内部に雨が染み込むようになり、像の腐食が進んでしまった。
像の顔のモデルとなった人物については諸説あるが、そのひとつは、「シンガーミシン」の開発者、アイザック・シンガー (1811-75) の夫人(フランス在住)だ、というもの。(彼女は22歳のときに52歳のアイザックと結婚していて、夫が亡くなったときはまだ若く、巨額の遺産を有していて、社交界の花形だったようです。)
像のある場所は、今はLiberty Islandと呼ばれているが、元々はBedloe's Island(ベドローズ・アイランド)という名前だった。
第一次世界大戦時の戦時国債は、Liberty bondと呼ばれた。自由の女神像が爆撃される様子を描いた絵がポスターに使われ、ダグラス・フェアバンクス、チャーリー・チャップリンといったスターがこの国債の宣伝を行なった。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Liberty-shall-not-perish-Penne...
http://en.wikipedia.org/wiki/Liberty_Bonds
チャップリンはこのキャンペーンで、自腹を切ってThe Bondという映画を製作した。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Bond
歴史的な写真いろいろ:
http://www.nyc-architecture.com/LM/LM002-STATUEOFLIBERTY.htm
"The Statue of Liberty being assembled in Paris" (パリで組み立てられる自由の女神像)という写真がありますが、かなり大きいように見えます。ていうかこういうふうに組み立ててからNYに運んだんですね。すごい大掛かりだと思います。
たくさんありがとうございます。
像は誰かのお母さんをモデルにっていう話じゃなかったでしたっけ?
まぁ諸説あるんでしょうなぁ。
右足のつま先立ちにも意味があったのですね。
とてもおもしろかったです。
・自由の女神は、白人でも黒人でもなく、実は「緑人」?だった。
>90年ごろにアメリカで、自由の女神が白人か黒人かという論争が起こったとき、その結論は最終的に
「緑人」という妥協案でおちついた。
http://uralaj63.rsjp.net/pc2/blog/view.php?topic=192626
>そういえば、「自由の女神はなぜ緑色なの?」という展示パネルがあった。自分も知らなかったので興味深々で読んでみると、 女神の外装は銅版でできていて、その銅が錆びて緑色になったから、ということだった。 その緑色の錆びが表面を保護しているらしい。へぇ~(ボタン10回?)
http://kenet.main.jp/worldtravel/diary/doc/20040407.htm
・自由の女神の正式名称は「世界を照らす自由」である。
http://www38.atwiki.jp/triviapedia/pages/63.html
・台座はアメリカ市民が寄贈した。
>フランスから送られた自由の女神。台座はアメリカ市民が寄贈した
http://k.hatena.ne.jp/keywordblog/%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AE%E5...
・自由の女神の台座の中は博物館になっている。
>自由の女神の台座の中は博物館になっており、自由の女神が建てられるまでどのような歴史的背景があったか学ぶことができる。
http://blog.hankyu-travel.com/kaigai/00300/00301/2008/003529.php
緑人ですか、、、つまりナメック星人なんですね、自由の女神は。
なんかあの像ってやっぱりいろいろ話あっておもしろいですね(今更)。
ありがとうございます。
>自由の女神像の骨組みはフランスのエッフェル塔を設計した、ギュスタ-ヴ・エッフェルさんという方が設計したものです
良いですね。ありがとうございます!