また、意識の英語訳としては、consciousness, sensorium, conscious mindなどがあります。
私としては、心はすべての動物、あるいは植物を含むすべての生命体がもっているものであり、生命の維持を続けるにあたって快不快を感じて、生き延びるために行動するためのものと考えています。
一方で、意識は、デジタルな言語活動によって、生後に構築され、人類だけがもっているものであると定義します。過去の経験、言語体験、計算・功利主義などをベースにして、人間が自分の知能で判断して行動するための基盤です。
したがって、人間だけが、心では思っていることを、意識が裏切って、心にもない嘘をつくことがありえます。
1)このように定義を行った場合に、不都合なことがありますか。この定義よりも、もっとうまく心の現象や意識の作用を説明する定義が存在しますか。教えてください。
2)また、英語でpsyche, mentality, feeling, soulなどの単語はどこに位置づけるのが適当でしょうか。教えてください。
リバース・エンジニアリングという言い方が正しいかどうか、ちょっと不安ですが。
質問を以下のように変えてみると、どうなるでしょうか。
人間には、「言語以前の感情や判断力があり、それはすべての動物に共通する、生き延びるための本能のようなものである。まっすぐな感情、純粋な生の輝き、大宇宙と一体化した精神的な現象」
この言語以前の感情、野生動物や植物とも共通な生への意欲や知恵というものとは別に、人間には、人間だけがもつ「デジタル記号言語によって生まれ来る感情がある。人並みに出世したいとか、お金が使い切れないほどほしいとか、株式投資で儲けたいとか、法律で禁じられていることをやりたいとか。嘘をついて相手を騙したいとか。」
野生動物と同じ次元で生まれ来る感情と、言語活動をする人間だけがもつ感情とを、分けて名づけたいとしたら、それは可能でしょうか。それに意味はあるでしょうか。それにはどのような言葉が適切でしょうか。