THEME:「コマッタはヨカッタの素!私の〈よかった探し〉物語」を教えて下さい
「街を見渡せば、100通りの家族に100通りの家。家をのぞいてみれば、それぞれの暮らし振りが面白い!」と展開してきた“イエ・ルポ”の続編コーナーです。“イエ・ルポ 2”では、特にマチとイエ、人と家族のドラマやものがたりを語らっていきませんか?毎回のテーマに沿って、あなたのルポをご投稿下さいね!
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※質問は6月11日(木)正午で終了させて頂きます。
最近では、ネットで詳しく調べられるので、時刻表が変わっていた、定休日だったなど、滅多に遭遇することはありませんが、
やはり初めて訪れる土地では、トラブルは付き物です。
地図では通れると思っていた道が通れなかったり、季節によって営業時間が変わっていたりと、流石にトラブルが皆無とはいきません。
グループで行った時はそうはいかないこともありますが、1人の時はそういうトラブルを良い方に転がすことに熱意を注いだりもしてしまいます。
予定の変更も1つの楽しみと考えられると良いですね。
旅にトラブルはつきものですね。特に海外だと言葉が通じないので困る事が多いです。
先月も、韓国にてエステの場所が分からず、オロオロしていた私たちに声をかけてくれて
まったく見ず知らずの人が、私たちが予約していたエステのお店に電話でかけてくれて、案内してもらいました。
すごく暖かい人でとても助かりました〜。
バスの乗り間違え・・・さぞや不安だったと思います。
乗り間違えや迷子など、旅先では余計に不安になりますね。
私も外国でよく迷子になります。ひとりで結構うろうろするので・・。
でも、言葉は全然しゃべれないんだけど、ホテルへの道(名刺など)を
見せると、たくさんの人が助けようとしてくれました。おかげで、
余計迷子になったこともしばしばですが、人情に触れて幸せな気持ちに
なれます。
きれいな景色と出会えたエピソードも素敵ですね。
迷うことは、きっと意外で、素敵なことや景色に出会うためなのかも
しれませんね。
これを重ねるたびに旅行のスキルがあがる気がします!
知らない場所に行くと、ついいつもの感覚で行くと、その地域では全然違っていたり、切符の買い方1つでも
機械が全然違うので分からない事も。
特に東京の都心なんかでは切符すら買えずに駅員さんに助けて貰う事が良くあります。
海外旅行によく行きますが、何回か空港で飛行機が送れて運行するというトラブルに会いました。
機体のトラブルや悪天候など、原因もいろいろありました。
2、3時間の遅れなら、飛行機会社が手配してくれた軽食などを空港内のカフェなんかでいただき、ちょっと得した気分にもなれるのですが。
一度だけ丸1日遅れたことがありました。
インドネシアのバリ島に行ったときのことです。
そのときはその日、現地でもう1泊ですが、飛行機会社が無料で招待してくれましたし、国際電話も2本までは無料、食事も2食用意してくれました。
日本の家族は心配だったでしょうが、きちんと連絡も取れましたので、こういうトラブルならもう1回くらいあってもいいなって思いました。
高校1年の夏休み。鳥取に1人で鉄道旅行に出かけました。
ある日の午後に鳥取砂丘へ。一度行きたかったところだったので嬉しかったのを覚えています。
要は巨大な砂の山じゃないかと思うかもしれませんが、それを登って登り詰めて、青い日本海が見えたときの喜びは今でも覚えています。
さて。
問題はその後で発生しました。
鳥取砂丘には当時(多分今も)「砂丘センター」というバス停と「砂丘東口」というバス停がありまして、往路は「鳥取駅」から「砂丘センター行き」に乗って「砂丘センター」で下車し、無事に砂丘に着きましたが、復路は「砂丘センター」からの便がなく「砂丘東口」から「鳥取駅」行きのバスに乗る必要がありました。
で、「砂丘東口」のバス停に着いたのは、夏でしたが、太陽がほんの少し陰ってきた時刻でした。4時か5時くらいだったでしょうか。
果たして、バスはやってきました。それに乗りました。
それがいけなかった、というか、どうやらそもそも、乗るべきバス停の「上り車線」と「下り車線」を間違えていたようです。
ほぼ同じ時刻に、「鳥取駅とは反対側に向かうバス」に乗ってしまったようなのです。
しかも、それに気付いたのは、バスに乗ってしばらくしてからでした。バスが走れど走れど、鳥取駅につく気配がない、というか、街の中に入っていくはずなのに、どんどん景色がひなびて行く・・・
それで、運転手さんに思い切って尋ねてみました。
「このバスは鳥取駅に行きますか?」
「行かないよ。」
がーん。
「では、どこか国鉄の駅に寄りますか?」
「イワミという駅には寄るよ」
イワミ・・・どこ?それ。
頭が真っ白になりました。
次に、ここで考えたことは、「下手に訳の分からない場所で降りてバスの便を失うより、少なくとも国鉄の駅であるイワミというところまで行けば、帰りの列車には乗れるはずだ」ということでした。
そう考えてひとまずの方針を固めたあとは、いつ着くとも知れない「イワミ」を目指して、バスに揺られ続けました。
すると、やがてバスは漁港の見える場所に出てきました。小さな漁船が繋留されていました。あたりは緑に囲まれていました。これまで見たことのない調和のとれた美しい風景でした。バスの運賃表はぐんぐん上がっていきます。それは痛手でしたが、バスはさらに、長閑な風景の中を進んでいきました。
やがてバスは小さな町に入り、「岩美」という駅に到着しました。鳥取から京都方面に3駅進んだところでした。
岩美という駅は(今はどうなっているのか分かりませんが)中くらいの木造駅舎で、駅員さんも居ました。
私は安心して、とりあえず鳥取駅に戻ることにしました。
しばらく待合室で列車を待ちました。駅には、あまり多くの人は居ませんでした。夏休みでしたからクラブ帰りの高校生が少し居たでしょうか。
やがて列車が来ました。もうあたりは随分暗くなっていました。日の長い西日本の夏と言っても、時刻は夕方になっていました。
列車は、今では考えられないかもしれませんが、手動ドアのクラシックな車輌でした。大井川鉄道の蒸気機関車の後ろについているような古いタイプ客車です。(機関車だけはディーゼル機関車に置き換えられていた)
岩美駅で古い客車に乗り、ふと線路端を見下ろしてみると、そこだけなぜか明るくなっていました。
目を凝らしてよく見ると、そこに白い百合が群生していました。
バスに乗り間違え、その後のスケジュールは大いに変更を余儀なくされましたが、見知らぬ漁村を発見したり、駅の白百合を発見したり、予想外の発見がありました。鳥取行の客車に揺られる頃には、こういう旅行も、まあ、いいか、と、思える余裕が出てきました。
1982年、もう27年も前の話です。