中学の時、グループ同士のいさかいの間に入って仲直りしてもらおうと思ったら、どちらのグループからも敵扱いされてしまったことがありました。大きなグループ二つに反感を持たれてしまうことは、クラスの女子の約半分から仲間はずれにされることでした。すると、今まで仲のよかった人までが、少しずつ私から離れていきました。いえ、本当は私の方から殻に閉じこもりはじめていたんだろうと思います。
そんなことが起こってからしばらく。朝は晴れていたのに、午後から天候が崩れて雨になりました。いつもなら折り畳みの傘を持っていますが、その日に限って忘れてきていました。こんな時は、いつもなら誰かに「入れてって」と声をかけます。でもその日はできませんでした。一人で濡れて帰るしかありませんでした。冷たい雨に濡れながら、傘わすれてきてよかった、だって今の私じゃ、持ってても誰も入れてあげることができなかったから。一人で傘をさして帰ったら私はもっと嫌われる。そんなことを考えていました。
雨足はけっこう強く、イエに着いた時はずぶ濡れでした。翌朝、熱が出て起きられなくなりました。体中が痛くて、喉も頭も痛くて大変でしたが、これで学校を休めると思うと、心はとても安らぎました。父が心配そうに「ゆっくり休めよ」と声をかけてくれました。だいじょうぶ、いってらっしゃい。そう言おうとしたら声が出ませんでした。でも父には通じたような気がしました。母にも、なにもしゃべらなくても、気持ちが通じているようでした。
風邪引いて学校休むなんて小学校以来だなぁ。午後になって少し声が出るようになると、私はとても甘えんぼさんになっていました。翌日も熱が下がらなかったので学校はお休み。でも二日目になって少し食欲が出てきたので、お母さん、りんごすって、プリン食べたいと、すっかり私は小学生でした。学校という針のむしろで張りつめきっていた心がほわ~んとゆるんで、すべての緊張がとけていくのがわかりました。
翌々日も大事を取って学校を休むと、次は土曜日。父も一緒のお休みの日になりました。「もう起きて平気なのか?」「うん、もうすっかりだいじょうぶ」。楽しい家族の団らんになりました。でもしばらくして、父が真顔になって、お前、学校でちょっとつらい立場なんだって?と切り出してきました。母が学校に休みの連絡を入れたら、そんな話をちょっと聞かされたようなのです。
うん、つらいにはつらい。でもみんなには嫌われたわけじゃなくて、誤解されちゃっただけだから。いつかきっと元に戻れると思う。もし元に戻れなくても、私にはこの家があるから。いつでも私をやさしく受けとめてくれる場所に、たった20分歩けば戻れるんだもん。だから学校で何があってもだいじょうぶ。私はそんなことを答えたと思います。
父も、辛くなったらいつでも帰ってこい、無理に下校時間まで頑張らなくていいぞと言ってくれました。やだー、親のくせに子供に学校さぼらせようとしてる。そう言うと母が言葉を挟んできました。
「お父さんは大学時代に講義をさぼってね、それでお母さんと出会ったのよ、つまりあなたはお父さんのさぼりのおかげで生まれた子」
「あはは、ひどーい」
いっぱい笑って、翌日の日曜日も楽しく過ごして、そして迎えた月曜日。どんなことがあっても私をやさしく受けとめてくれる場所に20分歩けば帰れる。この大きな安心感に見送られて、私は新しい一歩を踏み出しました。どんな時も私を守ってくれるわが家がある。だから何も恐くない。こうして私は学校に通い続けることができました。それからあと、私は学校でたくさんのすてきな思い出を作っていくことができましたが、それも、わが家という守りの場所が、私をささえてくれていたからだと思っています。
中学の時、グループ同士のいさかいの間に入って仲直りしてもらおうと思ったら、どちらのグループからも敵扱いされてしまったことがありました。大きなグループ二つに反感を持たれてしまうことは、クラスの女子の約半分から仲間はずれにされることでした。すると、今まで仲のよかった人までが、少しずつ私から離れていきました。いえ、本当は私の方から殻に閉じこもりはじめていたんだろうと思います。
そんなことが起こってからしばらく。朝は晴れていたのに、午後から天候が崩れて雨になりました。いつもなら折り畳みの傘を持っていますが、その日に限って忘れてきていました。こんな時は、いつもなら誰かに「入れてって」と声をかけます。でもその日はできませんでした。一人で濡れて帰るしかありませんでした。冷たい雨に濡れながら、傘わすれてきてよかった、だって今の私じゃ、持ってても誰も入れてあげることができなかったから。一人で傘をさして帰ったら私はもっと嫌われる。そんなことを考えていました。
雨足はけっこう強く、イエに着いた時はずぶ濡れでした。翌朝、熱が出て起きられなくなりました。体中が痛くて、喉も頭も痛くて大変でしたが、これで学校を休めると思うと、心はとても安らぎました。父が心配そうに「ゆっくり休めよ」と声をかけてくれました。だいじょうぶ、いってらっしゃい。そう言おうとしたら声が出ませんでした。でも父には通じたような気がしました。母にも、なにもしゃべらなくても、気持ちが通じているようでした。
風邪引いて学校休むなんて小学校以来だなぁ。午後になって少し声が出るようになると、私はとても甘えんぼさんになっていました。翌日も熱が下がらなかったので学校はお休み。でも二日目になって少し食欲が出てきたので、お母さん、りんごすって、プリン食べたいと、すっかり私は小学生でした。学校という針のむしろで張りつめきっていた心がほわ~んとゆるんで、すべての緊張がとけていくのがわかりました。
翌々日も大事を取って学校を休むと、次は土曜日。父も一緒のお休みの日になりました。「もう起きて平気なのか?」「うん、もうすっかりだいじょうぶ」。楽しい家族の団らんになりました。でもしばらくして、父が真顔になって、お前、学校でちょっとつらい立場なんだって?と切り出してきました。母が学校に休みの連絡を入れたら、そんな話をちょっと聞かされたようなのです。
うん、つらいにはつらい。でもみんなには嫌われたわけじゃなくて、誤解されちゃっただけだから。いつかきっと元に戻れると思う。もし元に戻れなくても、私にはこの家があるから。いつでも私をやさしく受けとめてくれる場所に、たった20分歩けば戻れるんだもん。だから学校で何があってもだいじょうぶ。私はそんなことを答えたと思います。
父も、辛くなったらいつでも帰ってこい、無理に下校時間まで頑張らなくていいぞと言ってくれました。やだー、親のくせに子供に学校さぼらせようとしてる。そう言うと母が言葉を挟んできました。
「お父さんは大学時代に講義をさぼってね、それでお母さんと出会ったのよ、つまりあなたはお父さんのさぼりのおかげで生まれた子」
「あはは、ひどーい」
いっぱい笑って、翌日の日曜日も楽しく過ごして、そして迎えた月曜日。どんなことがあっても私をやさしく受けとめてくれる場所に20分歩けば帰れる。この大きな安心感に見送られて、私は新しい一歩を踏み出しました。どんな時も私を守ってくれるわが家がある。だから何も恐くない。こうして私は学校に通い続けることができました。それからあと、私は学校でたくさんのすてきな思い出を作っていくことができましたが、それも、わが家という守りの場所が、私をささえてくれていたからだと思っています。