間違っているかもしれませんが、痴ということなのでしょうか。
http://www.j-theravada.net/pali/key-akusala.html
moha(モーハ:痴)。無知。、愚かさ。ものごとの真の側面に気づくことができないこと。
人は、たとえばバラの花を見て「きれいなバラだ」と価値判断をし、それによって行動を起こします。それはごく一般的な行為ですが、真理の立場で物事を観ているとは言えません。正しくない認識による行動は、当然問題をつくり出します。
仏教では、ある一定の条件の中で一時的に「バラの花」という現象があるにすぎない、これは瞬間瞬間変化し続ける不安定な空しいものだ、という因果関係、無常の立場、現象論でものごとを観ます。そのように真理の立場からものごとを観られるのは悟りを開いた人だけなので、世の中の人々は皆無知な愚かさの中で生きているということになります。無知で生きている私たちは、ものごとをはっきりと正しくとらえることはできません。いつでも大雑把に認識して、混乱状態の中で価値判断をしています。そしてすぐに執着したり嫌ったりして苦しみをつくり出します。ですからこのモーハ(無知)こそは、すべての悩み苦しみの土台になる心所なのです。
結論は回答#1と重複しますが、理解の一助にでもなればと思い回答させていただきます。
お尋ねの部分を、Ustream の ダライ・ラマ法王自由報道協会記者会見, Recorded on 11/11/07 でヒアリングしてみました。
1:08:14 あたりですね。
逐次通訳で「ブッダも言っております。すべての問題というのは我々の無知から生じるものだということです。」という部分は、"Buddha point out source of all trouble is ignorance." と聞き取れました。
"point out" ですから「指摘した」「指し示した」であって、直接「言った」という事ではないようです。
この "ignorance" は、三毒(貪・瞋・癡:とん・じん・ち) の一つである「癡」(または 無明)だと思われます。
(Wikipedia 英語版の Three Poisons でも "ignorance" と訳されています)
三毒は様々な煩悩の中でも人間の諸悪・苦しみの根源とされており、中でも「三毒の根源は癡であるとされる」そうです。
ブッダの説いた根本仏教からある概念で、最古の経典と推定されるスッタニパータにもあるとの事ですが、経典の言葉 によれば、スッタニパータにある記述を後世の人がまとめたものが三毒のようですので、スッタニパータを探しても文字通りの発言はないかもしれません。
三毒(三不善根)と十悪(十不善) も参考になるのではないでしょうか。