『空と君の間に』
ジャックは薄暗い倉庫の扉を開けて、中を覗きこんだ。思ったとおり、一人の少年が一心不乱に作業をしている。
作業台に載っているのは一対の大きな翼だ。
「やあ、レニファー。今日は墜ちに……もとい、翔びにいかないのかい?」
ジャックの声に応えて、レニファーが手を止めて応える。
「あ、うん……昨日のテストフライトで主翼の一部を壊しちゃって」
「よくやるよ。そんな旧式のフライトモジュール、それも素人同然の君が
手を入れたところでほんとに翔べるようになるもんだか」
「無理は承知の上だよ。時間はたっぷりあるしね。
これだって昔はちゃんと動作していたはずなんだ。現に僕も少しの間なら翔べたんだ」
「あれを翔んだっていうのかい?」
ジャックは先日見学したテストフライトの様子を思い浮かべていった。確かに一瞬は浮いたように思う。
しかし、その直後にバランスを崩し地面を転がった彼の様はお世辞にも『翔べた』とは表現しがたい。
「この間まの状況から考えたら大きな進歩だよ」
レニファーは、さして深刻な雰囲気もなく言ってのける。
「まあ、そういうなら……。それはそうと、これから妹の……カノンの所へ
見舞いに行くんだけど一緒にどう?」
ジャックがここに来た目的は実はそれだった。
「今日は止めておくよ。もうちょっと手を入れたいところもあるし」
「無理にとは言わないけどさ、カノンも会いたがってるから……近いうちに」
「うん、明日か明後日には必ず」
そう、出来るだけ近いうちに。レニファーは知らない。カノンの真の病状を。
この倉庫に収められた大きな翼、それは(HW)ホーリーウィングと呼ばれている空を飛ぶための器具である。
現在は、同時性法力炉を搭載しているものに限定されており、その使用者は聖職者に限られている。
レニファーが整備をしているのは、それの旧式いわばモデルとなった数世代前のものでほとんどガラクタ同然だ。
エネルギーパックを主動力としているため、レニファーのような一般人でも扱うことが出来るが、部品の多くが
破損し、ほとんど価値を認められないまま放置されていた。
そして時代が変わり、HWによる飛行は聖職者に限定するという教会からの指示により全く無価値になってしまった。
それ以降生産されるのは、法力炉内蔵タイプのみとなり、一般人の手に入る機械は失われた。
同時に旧式の、HWは逐次処分されていった。たまたま処分の手を逃れ、眠っていたのをレニファーが見つけたのだ。
レニファーにとってもそれは何の意味を持たないただの不用品だった。
そう、彼女のあの言葉を聞くまでは……。
「今日も、レニファーは来てくれないの?」
病室で病に伏せるカノンが、見舞いに来たジャックに問いかけた。
「ああ、ちょっと忙しいみたいだ。でも明日か明後日には来てくれるだろう」
「私が言ったこと気にしてるのかなぁ?」
「うん?」
「ほら、前に……一度空を翔んでみたいって、レニファーに……」
「ああ、でもほら、カノンだって知ってるだろう、確かにHWとかあれば翔べるんだろうけど
あれは、強い法力と精神力が必要だし、そもそも僕らみたいな一般人が使ってるのを
見つかったら、憲兵隊に撃ち落されても文句は言えないよ。最悪、悪魔狩りの対象にさえ
されるかも知れない」
それを聞いてカノンは静かに俯く。
「じゃあ私、彼に悪いこと言っちゃったかな。私じゃなくても……この窓からでも……レニファーが
翔んでいるのを見れただけでも嬉しくなるって……」
シーツを握りしめたカノンの手が微かに震えている。
「大丈夫だよ、あいつだってバカじゃない。それくらいのことは……」
「レニファー!!」
けたたましく扉を開けたジャックの目に飛び込んできたのは大きな翼を背負ったレニファーだった。
倉庫の朽ち果てかけた壁の隙間から漏れる光に背中から照らされ、一瞬天使と見紛えた。
「ジャック? まさかカノンに何か!?」
ジャックにはわかっていた。止めても無駄だということを。
そして止める気持ちなど起きない自分がいることを。
妹の最後の願い、それが一番の願いではなくても、その一部でも叶える可能性を消し去ることなんてできないことを。
それが例え、手遅れになったとしても、今このレニファーの衝動を抑えることが出来ないということを。
レニファーはその、骨董品とも呼べるHWを装着したまま、静かにただしっかりとした足取りで倉庫を後にした。
彼の体を大きな二枚の翼が大空へ舞い上がらせる。
高く、どこまでも高く……。
fin.
某イラスト投稿サイトを見ながら
「・・・このネタ絵師。
こんなにパロディー絵投稿したら、
絶対、作者や出版社だのにマークされてるだろうな・・・
だが、それがいい!」
欄干の上から
いちごちゃんは、欄干の上に立っていた。
「わぁ、亜由美センパイだ! おひさしぶりです」
会うなり私に声をかけてくれた、高校の後輩。偶然会ったのは、ちょうど母校のそばの陸橋のところでだった。日も暮れて、人通りはなかった。
「い、いちごちゃん。なんでそんなとこにいんの?」
「死のうと思って」
口調と行動がぜんぜん合ってない。
「近づかなくていいですよ。私、もういいんで」
「ち、ちょっと落ち着きなよ。話をしよう。降りておいでよ」
「いいんです。コウイチくん、別に私に興味ないみたいだし」
コウイチくんって言ったら、いちごちゃんと同級生だった線の細い男子だ。
「がんばって誘ったのにな、人体の不思議展。明大博物館の拷問具展示も聞いてみたのにな。みんな『バイトあるから』って断られちゃったんだから」
「それはチョイスが悪…」
「コウイチくん、バイトたいへんそうだから。私が飛び降りれば電車が止まるでしょ? 私の怨念でカレがバイト行かなくて済むようになるの。ステキでしょ? 笑ってくれるかな」
「そんなのだれも喜ばないよ! 降りて。おいで」
そのとき私たちの足の下を電車が走り抜けた。橋はすごく揺れる。いちごちゃんの本能が、欄干の上でバランスを取っている。
「いいんです。ひとりでいくつもりだったけど、最後にセンパイに会えてよかったです」
「待って。ちょっと待って。いま…じゃなくたっていいじゃない。時間をちょうだい。話を、」
「今日、ちょうどこの時間、ココに呼び出したんです。でも、もうきっとカレ来ないんです。だってほら。もう時間だから」
「そ、そんなことないよ。私の手元の時計ではまだ57分だよ。まだ、あと3分ある」
私は腕時計を見た。ふりをして少し近づいた。
「亜由美センパイって優しいんですね。もう、来るわけないのに。だって今日、カレは、」
そのとき、いちごちゃんのケータイが鳴った。バイト中なのに、っていちごちゃんは短くつぶやいた。
“もしもし? 榎本さん?”
夜の空気は澄んでいて、コウイチくんの声はよく聞こえた。
“榎本さんだよね? いまどこにいる?”
この朴念仁。
「いま? 桜高の前の、陸橋の手すりの上」
しばしの間があった。
“…ごめん。い、いま行くから。さんじゅ…20分で行くから”
「どうせうそでしょ。死なせないつもりなんでしょ」
“そんなことないって”
「じゃあ、死んでいい?」
“えっと、よくないよ。そういうの、”
「じゃあ20分で来るの? 証拠は? 来る証拠は? これからの証拠は?」
“証拠は…。えーっと、これは会ってから言おうと思ってたんだけど”
電話機の向こうで足音が聞こえる。コウイチくんは電話の向こうで走っている。
コウイチくんは、ここに来る。
でもいちごちゃんはもう聞いてない。彼女の手からケータイが少しずつ離れていく。身体が、少しずつ傾いていく。
“24日、寄生虫博物館に行こう”
「え?」
いちごちゃんの手から、ケータイが滑り落ちた。鮮やかな光は«向こう側»へ消えた。
その隙に私はいちごちゃんを取り押さえた。いちごちゃんが倒れ込んだのは、«こちら側»だった。
「ばかっ! いろんな意味でばかっ!」
私は倒れ込むいちごちゃんを抱きとめて。橋の下をまた電車が通って。急ブレーキの音が聞こえて。
「いちごのばかっ! 前からばかだと思ってたけどやっぱりばかっ!」
私はいちごちゃんの目を直視してまくし立てた。言葉はどんどん出た。
「電車が止まったらカレ来られないじゃない。ケータイなくしちゃったじゃない。連絡もつかないじゃない。拷問具でカレが振り向くわけないじゃない」
そして息継ぎをして、もうひとつ付け加えた。
「…心配したじゃない」
いちごちゃんは、大きな瞳に涙をたっぷりため込んでいた。瞳の奥に私がうつっていて、私自身も同じ目をしているのがわかった。私は、いちごちゃんをぎゅっと抱きしめた。こんなにきゃしゃな肩をしてたんだね。もうぜったい«こちら側»から、手放さないからね。
いちごちゃんは短く、ごめんなさい、とだけ言った。いつの間にか雪が降っていた。欄干の上でうっかり足を滑らせるようなことがなくてよかった。ほんとうによかった。
それからいちごちゃんは雪よりも静かに泣いた。人も車もぜんぜん通らなくて、電車の音さえ途絶えた。いちごちゃんが泣きやむまでは、そばにいてあげよう。
でも今度、この恩はきっちり返してもらおう。そうだ。いちごちゃんの家にピザを送りつけて勝手にピザパーティしよう。そしたら愛すべき後輩たちをたくさん誘おう。
バレンタインにハートの型を貸してあげるのはやめにしよう。自分で買いなって言おう。
ふたりも交えてみんなで遊びにいこう。行き先でどっきりで二人きりにしてやろう。
そして来年からは不器用同士な二人を、うんとひやかしてやろう。
「早苗」
私が帰宅すると、彼女は髪をとかしていた。
「ん?」
こんばんは、この時間のニュースをお伝えします。
「きょうも、お疲れかな? なにか浮かない顔をして」
「うん、またあの上司に怒られちゃった」
きょう午後6時ごろ、西賀市花井にある宝石店に男が侵入し、
指輪や腕時計などが盗まれる事件がありました。
「そうか、大変だな……」
私がさしだした指輪に、彼女が気づいた。
「どうしたの? これ」
警備会社から通報があり、5分後、現場に警察官がかけつけましたが、
店の窓ガラスが割られて、ショーケースが荒らされ……、
私は、ソファーに身をうずめた。
「まえからいってただろ。ほしい、って」
300万円相当の貴金属類が盗まれていました。
店の防犯カメラには、大きなマスクと深いキャップ帽をつけた男が映っており……、
「まぁ、あなたったら」
彼女はほほえみながら指輪を手に取り、目を細めて眺めた。
つぎのニュースです。
きょう午後8時半ごろ、森江市枝中の路上で……、
「それに、腕時計まで……」
「きみのその笑顔が見られるだけで、ぼくは幸せだよ」
青山電気株式会社の専務、林和夫さんが血を流して倒れているのが発見されました。
目撃した人によると……、
「もう、きざなんだから」
彼女は、ささやくようにいったあと、こぼれるような笑みをみせた。
林さんは、うしろからきた、大きなマスクと深い帽子をつけた男に、
いきなり切りつけられたということです。
「本当にいいの? 大丈夫? もらっても」
「ああ、大丈夫だよ。手ぬかりは……」
県警は傷害容疑で逃げた男の行方を追っています。
「ん?」
「いや、なんでもない」
手ぬかりは、ないのだから……。