スイスが永世中立国となったのはいつかということについては、専門家でも意見が分かれるところだ。永世中立に関連する以下の3つの年代がその始まりといわれる。
16世紀初頭、スイス人の傭兵はフランスと教皇庁と二つの相対する国家に雇われていたため、傭兵の間で分裂が起こっていた。こうした国内の不安定の虚を突かれ1515年9月、ミラノの南東マリヤーノでスイスはフランスに敗北する。しかし1年後、両国は「永久平和」を締結。その中でスイスは、これ以上、領土の拡大はしないと宣言し1516年、外国に対してはじめて、永世中立と侵略戦争放棄を宣言した。
以後、独立国であり続けたスイスだが、19世紀初頭にはナポレオンに支配され、フランスの傀儡政府ヘルベティア共和国ができあがる。フランスからの独立を望むいくつかの州が「同盟規約」を結び、スイスの独立と中立について、国際的な承認をとりつける動きが起こった。スイスの州の努力が実り、ウィーン会議で欧州諸国が「スイス問題」を討議するまでに至った。
この討議の結果、スイスの国境が新しく定められ同時に、スイスの永世中立が承認された。欧州諸国がスイスの中立を認めたのが、この際に交わされた第二パリ条約(1815年)である。
1907年にオランダで開催された第二回ハーグ国際平和会議で、永世中立としてのスイスの権利と義務が明文化された。第一、第二ハーグ会議は戦争法規などが取り決められた会議で、条約の内容はいまでも生きている。中立国の義務と権利は以下のとおり。
1.戦争放棄
2.自衛
3.紛争地への武器の輸出は公平にすること
4.傭兵は派遣しない
5.戦争中の国に領土を提供しない。
スイスの永世中立がウィーン会議で認められた1815年を、正式な永世中立の始まりとする意見が大勢であり、スイスが世界一古い永世中立国であるといわれる。現在永世中立国と認められている国として、オーストリア(1955年)、リヒテンシュタイン(1867年)などが挙げられる。