『うそつきジョン』
「残念だが・・・・・・今の職場でこれまでの業務を続けてもらうのは難しい」
課長から会議室に呼び出された。
「自分の仕事に誇りをもってやっています。足りない所は指摘してください」
普段は温厚で冗談も言い合ったりする仲だが課長の表情は硬かった。
「特別転進を進める。今の仕事は諦めるんだな」
特別転進・・・・・・簡単に言えば退職だ。
「退職には本人の同意が必要だと」
「残れると思うのは君の勝手な考えだ。会社には会社の考えがある」
目の前が少しずつ暗くなる。心臓の鼓動が激しくなり口の中が乾いていく。
「少し考えさせてください」
「来週までに結論を出してもらう。君が言う通り会社の役にたつ人材であれば、今週中に契約の一つも取れるよな?」
「あたりまえです!」
売り言葉に買い言葉で答えたものの、契約のあてなど無かった。
「はぁ・・・・・・」
夕暮れの公園のベンチで一人ため息をついた。
「どうした、にいちゃん。しょぼくれた顔して何か心配事か?」
見るからにちゃらちゃらした男が声をかけてきた。
「暇なら酒付き合わないか?約束してたツレがドタキャンしやがって暇にしてたんだ」
どうとにもなれ・・・・・・彼の言葉に誘われてふらふらとついていった。
「なるほどな。今週中に契約が取れないと首になるわけだ」
バーでカウンターに座り乾杯を済ませた。
「すぐにというわけではないけど・・・・・・まあ似たような感じだ」
目の前のグラスのビールを一気に飲み干す。
「自己紹介がまだだったな。俺はジョン。この店の常連だ」
ジョンはグラスを掲げてカウンターの中に差し出した。マスターやバイトがグラスを
掲げる。
「話はわかった。契約が取れればいいんだろ」
「まあそうなんですけどね。簡単には・・・・・・」
ジョンは胸をドンと叩くと
「任せろよ。何の契約か知らないが俺が入ってやるよ」
「本当ですか?」
「ああ、そのかわり、店の飲み代払ってくれたらな」
「本当ですか、払います」
カバンから書類を出して
「サインを頂けますか」
「おう任せとけ!その前に飲み代を払ってもらっていいか。俺はトイレに行ってくる」
「お安い御用です」
マスターを呼びチェックしてもらった。飲み代くらいなら、契約内容に比べれば安いものだ。
「マスター、ジョンさんは?」
「あれ?先に帰るって出てったよ?」
なんてこった。飲んでたから契約の事忘れたのかも知れない。
「そうですか。すみません」
肩を落として店を出た。
「この前の面談から一件も契約が無いみたいだが。給料泥棒と言われても仕方がないな」
課長は机の上の書類に目を通した。
「先日はもう少しで契約が取れる所でしたが、トラブルがあって・・・・・・。面談もこれ以上はやめてもらえませんか」
「業務なので、面談をやめるわけには行かない。出てこない場合は業務命令違反だ」
唇を噛んで下を向く。上司だって各課から何人減らせと上からノルマが出て必死なのだろう。
ストレスの発散になればと思い、先日のバーに向かった。
カウンターでマスターに軽い酒を頼んだ。シャンディガフを飲んでいると「久しぶりだな!この前は悪かった」
横に座った男が話しかけてきた。
「どちらさまで?」
「冷たいな!ジョンだよ。この前は酔いつぶれちまって悪かった。
いい店があるから飲みなおそうぜ」
ジョンは精算すると店を出て行った。
もしかしたら・・・・・・そう思いついて行った。
「どうだい。この店は」
店に入ると、若い女の子が椅子の横に座った。
「いいだろ。俺の指名だから間違いはない。契約を済ませないとな。ビールで乾杯しようぜ」
ジョッキが目の前に置かれ乾杯をした。
ジョンは愉快で女の子との楽しい時間が過ぎた。
「そろそろ帰ろうぜ。チェック頼むわ」ジョンは店員に言った。
店員は恭しく請求書を持ってきた。
「・・・!?」
桁が2桁違う?
「これは?」
ジョンはニヤリと笑うと「このあたりでキングが付く店は組がやってるボッタクリだ。おれはカモをひっかけるのが仕事さ」
屈強な店員達に囲まれていた。
「おとなしく払った方が身のためだぜ。後、二度と俺と契約しないと誓え。痛い目に会いたくなかったらな」
二度と契約しないと誓った後、身分証明書をコピーされ借用書にサインした。
「予定を聞こう。特別転進施策に応募する気は?」
課長に呼び出された。何十回目だろうか。
「ありません!」
「会社にどんな貢献ができるか具体的に言ってください」
「何度も言っていますが」
「実績が伴わないとね。結局1件も契約が取れなかったわけだが」
「それは・・・・・・」
「所内に業務が無い」と派遣会社に出向になった。
組合は雇用は守られているから違法では無いと。
派遣会社から他の会社に行くと二重派遣になるため仕事が限られるという会社の説明で派遣会社への転籍を承諾した。
今は閑職の受付窓口の仕事をしている。
何年もたち仕事にもなれ諦めもついた所だ。
「やあ、受付はこっちでいいかな?」
どこかで見たような人物が現れた。
「天国に行ってみたら、受付拒否されてこっちに回されたんだ」
「残念ですが、ジョンさん。お断りします」名前を思い出すと当時のことも思い出した。
「はぁ?」こちらの顔を覗き込み思い出したようだ。
「お前は!あの時の・・・・・・」
「地獄でも迎えることはできません。誓いをお忘れで?」
「何のことだ?」
「あれは『望みを叶える代わりに魂を頂き地獄に落ちる』という契約でした。貴方とは二度と契約しないと誓ったので、魂を取って地獄に入れることはできません」
「なんだと!」
我々はあんたらと違って約束をキチンと守るんだよ。
とぼとぼと道を引き返していくジョン。足元が暗いというので駄賃に地獄で燃えている炎の塊のかけらを渡してやった。
天国にも地獄にも行けず現世を彷徨う彼を人はジョンの愛称のジャックで「ジャック・オ・ランタン」と呼ぶと風の便りに聞いたが
善良なる悪魔である私には関係の無いことだ。
Fin
二人の巨漢が睨み合っていたのも数瞬。ひとりが、雄叫びを挙げながら、おざなりに間合いを詰めると攻撃姿勢に入った。
「ジャックフロスト・フローズンキックゥッ!!!」
白いパンツ姿の覆面マッチョが右足を振り上げた。
それに呼応するように、オレンジ色のパンツ姿のこれまた覆面をしたマッチョが、左腕を掲げて防御姿勢を取る。
が、それを読んでいた、白パンツ男は、蹴りの軌道を上段のそれから、中段の脇腹を狙うものへと変化させ、見事に相手のボディに打ち付けた。
「ジャックランタン・マッスルボディ!!」
が、オレンジ色のパンツ男は、側部の腹筋を硬化させて、蹴りのダメージを最小限に留めた。
そのまま、オレンジのパンツ男は、右腕を振り上げて、白いパンツ男に突進していく。
「うがーっ! ジャックランタン・ラリアット!」
その攻撃は、白パンツ男の両腕にがっしりと受け止められ、また、膠着状態が続いた。
かくいう僕は、リングの片隅で、巨漢二人の戦いを見つめている。
少し大きめのパンツのゴムをしっかり握りしめながら。
ここ、地下闘技場で出場者に着用が義務づけられているユニフォームは、パンツ一丁のみ。ただし、巨漢たちのように覆面を被るのは自由だ。誰だってプライバシーがある。
なんてったって、支給されるパンツはカラーは自由に選べても、サイズに融通が利かない。フリーサイズが一種類用意されているだけだ。
むきむきマッチョの大男が着用すれば、それはいかんとも表面積の小さいぎりぎりなパンツとなり、闘いの中のアクシデントであれがあれしてしまうこともしばしばだ。
あれが、あれすることまで計算に入れたサイズなんだろう。ハイキックの時なんかドキドキする。
観客も、心得たもので、ふと客席に目をやれば、股間を気にする貴婦人や、股間を気にする老紳士、股間を気にする疲れた会社帰りのOL、股間を気にする…………とまあ、バリエーションに富んだ客層であるが皆一様に股間に注目している。
今行われているのは、8人からなる選抜された人気かつ実力あるファイターによるバトルロイヤルである。
チャンピオンのジャックランタンとその双子の弟である準チャンピオンのジャックフロスト――二人の大きな覆面ファイターが股間を気にせずにどんどん出場者をなぎ倒し、リング上に残っているのはわずか三人。
その三人のうちの一人が僕だ。
パンツがずり落ちないように払ったのと等価の細心の注意で、他の出場者との交戦を避けていた。
あれよあれよと、出場者たちはランタン・フロスト兄弟にノックアウトされて、気が付けば、僕は優勝候補の一角となっている。
ジャックフロストとジャックランタンの実力はほぼ互角。このまま二人が戦い続けるなら共倒れの可能性が高い。同時ノックアウト。
そんなことが起これば、僕は労せずして新チャンピオンの座に就くことができる。
莫大な賞金と、大いなる栄光。そして、相変わらずサイズがしっくりこない、ぶかぶかの新しいパンツが与えられるのだ。
フロストとランタンは頭突き合戦へと突入していた。
相手の頭へ自分の頭をぶつける。防御なんて一切しない。突かれたら突き返し、そしてまた突かれる。それの繰り返し。
大きく開いた両足の付け根からは、あれがあれしそうな不穏な気配が漂っているが、当人たちは気にしない。
気にしているのは、様々な股間を気にする観客。主催者やスタッフ。
皆、一様に頭部と下腹部に交互に目をやっている。
試合が動いた。
フロストとランタンは同時に大きく頭を振りかぶった。
渾身の頭突きを放つつもりだ。
お互いに防御のことを一切考えず、ただ相手の頭に自分の頭をぶつけることだけを考える。
股間の露出も気にしない。(実際に露出したことは無いのでその辺はご安心ください。念のため)
すべての神経を頭突きの一点に集中させる。
グシャッとも、ドゴンともとれない激突音が鳴り響き、観客が二人の股間を気にしながら、大きな歓声をあげた。
完全同時のノックダウン。
レフェリーがカウントをよみあげる。少しゆっくりめに。たどたどしく。若干の誤りを含有しながら。
「ワン・ツー・スリー・フォー・とんで・シックス・ナイン・エイト……」
あと、ワンカウントで、僕の勝利が決定する。
観客達の視線は、倒れたままのフロストとランタン、二人の股間、僕、僕の股間とめまぐるしく行き来する。
そして、その1秒後。
僕のチャンピオンロードが始まった。すぐにずり落ちてしまう黄金色に輝くブカブカの新パンツとともに。
目が覚めると僕は草原の真っただ中にいた。
左右ははるか彼方に地平線が見渡せる。
左前方には、ごつごつした岩山の風景が広がっている。
視線を右に移すとそこには、一面の銀世界。
振り返るとうっそうと茂る森が目に入る。
ひとしきり、周囲を見渡した僕は、どうしたもんかと頭を悩ませていた。
昨日は自宅のベッドで普通に眠ったはずだった。
一体ここはどこなんだろう?
一体何故僕はこんな場所にいるのだろう。
思案に暮れていると、左右の両方から、小さな点が近づいてくるのが見えた。
点はだんだんと大きくなり、やがてその姿を現す。
左からくるのは、カボチャの頭をしたオレンジ色の精霊。
右からくるのは、二股に分かれたとんがり帽子をかぶった雪だるま。
「ようこそ、精霊の国へ」
「ようこそおいでました、精霊の国へ」
二人の精霊が同時に僕に話しかけた。
「きみは選ばなければなりません」
「あなたは選ぶ必要がございます」
「なにを?」
「君がこれから過ごす世界」
「あなたがこれから暮らす世界」
「言い忘れてました。トリックオアトリート」
「申し遅れました。トリックオアトリート」
「なに?」
「僕たちの世界の挨拶みたいなものです」
「わたしたちの国でのご挨拶です」
「僕はキャンディも何も持ってないみたいなんだけど……」
僕はポケットを探って途方に暮れた。今初めて気が付いたのだけど、僕の服装は寝るときに来ていたパジャマではなく普段着だった。
Gパンのポケットにはなにも入っていない。昨日入れてあったはずの財布も無い。普段持ち歩いている携帯もない。
「大丈夫だよ。いたずらはしないから。そういう決まりだから」
「ご心配なく。いたずらなんかしません。そういう約束なのです」
「じゃあ、どうすれば?」
「挨拶には挨拶で返せばいいよ。トリックアンドトリートって」
「挨拶には挨拶を返せばよいのです。トリックアンドトリートと」
「大丈夫だよ、いたずらはしない」
「大丈夫です、いたずらはしません」
数瞬の間を置き、僕は返答した。
「トリックアンドトリート」
「トリックアンドトリート」
「トリックアンドトリート」
三人の声が重なった。
「さまよい続けるのは嫌いかな?」
「寒いところはお嫌いですか?」
「さまようのも寒いのも嫌だ。僕は家に帰りたい」
「残念だなぁ」
「残念ですね」
しばし間を置いてから、二人が家への帰り方を教えてくれた。
「君の後ろに広がっているのは迷いの森」
「でも、あなたは迷いの森を抜けなければ、家には帰れません」
「森には魔女がいるよ」
「あなたを騙そうとする古い木々が暮らしています」
「ひとりでは森を抜けるのは多分無理だ」
「道案内が必要です」
「よかったら僕が案内するけど」
「わたしは、雪の世界を長く離れることはできません」
「だから、僕の案内で森を通り抜けて家まで帰してあげる」
「そうするのがあなたにとって一番いいのでしょうね」
「僕たちと一緒に暮らせないのは残念だけど」
「あなたには帰るところがあり、お待ちになっている人がいるのでしたら」
「僕たちのところにくるのはまた今度」
「わたしたちとともに過ごすのはまたの機会に」
迷いの森を抜けるとそこは小さな滝と泉があった。
カボチャの精霊が言う。
「その泉の中へ入れば元の世界へ還れるよ」
「そう、ありがとう。世話になったね」
「どういたしまして、トリックオアトリート」
「トリックアンドトリート」
言い残すと僕は、泉の中へ飛び込んだ。
そして、溺れ死んだ。
そして、二度と浮かび上がることは無かった。
fin
『留守番ジャックと丸天井の部屋』
俺はジャック・オ・ランタン。精霊だ。
ジャックなんてのはまあ、ありふれた名前だ。ジャック・スパロウ。ジャン=ジャック・ルソー。他にもいくらか思い当たる人物がいるだろう。
だが、今日話すのはもっと無名な「ジャック」だ。今もお前のすぐ近くにいるが、このジャックは知らないだろう。その若人は名を“リトル・ジャック”と言う。リトル・ジャックは、大きな屋敷の、丸天井の部屋で暮らしていた。そこで彼は一人、留守を預かっていた。
彼は丸天井の部屋に籠り、チェスプロブレムに没頭した。直に寝食を忘れてのめり込むようになり、食事さえ煩わしくなった。
そこで彼は、青い魔法瓶を、隣に侍らせるようになった。魔法瓶の表面には不思議な光沢があり、光をかざしてみると、魚が水槽の向こうからこちら側を見るような幻想が広がった。だが彼はそんなことには興味がなかった。彼はそこに、エナジードリンクを注ぎ込み、残りの時間はチェスボードかまぶたの内側だけを見て暮らした。
しかし、その生活もすぐに破綻をきたした。そこで家にあった金に手を付け、メイドを一人雇った。やがて現れた少女は、ジルと言った。
ジルのエプロンドレス姿は、彼を魅了するに十分だった。束ねた黒い髪も、フリルの裾から伸びる肉感的な足も、まるでイデアがそのまま舞い降りたかのように思われた。彼は、彼女が仕事上良い働きをすれば褒美として、そして時にミスがあれば仕置きとして、毎晩同じことをした。
ジルは良く働いた。身の回りの衣食住をそつなくこなした。彼女は件の魔法瓶をフロスティ・ジャックと呼んだ。彼女はきちんとした食事を用意するのとは別に、彼のそれまでの暮らしを尊重し、毎朝フロスティ・ジャックにドリンクを詰めた。
そしてリトル・ジャックはいよいよ部屋から出ることもなくなった。
ところで、彼には怖れているものがあった。ジャック・オ・ランタン。つまり俺のことだ。お前に理由が分かるか? まあ彼の立場で考えてみれば分かるだろう。
自分と同じ名前の精霊など、ドッペルゲンガーのようなものではないか。
ジルも来て、自堕落な生活がすっかり板に付いたある夜のことだ。彼は空の向こうから、俺の灯火が近づいてくるのを見た。
それは本当に俺だったかもしれない。そうではないかもしれない。
ただ、重要なのはそれが俺だったかどうかじゃない。本人が俺だと思うのなら、それが彼にとっての、事実だ。
これは、その時の話だ。リトル・ジャックは大いに慌てた。何としてもジルを消さねばならない。誰の助けなどなくともこの屋敷を守ったという成果を見せねばならない。今すぐに彼女を消す方法はないか。彼はアイデアを探した。考えている間にも、灯火は屋敷に近づいてくる。ジルの声を殺すだけでは駄目だ。身体を隠すだけでは駄目だ。自由を奪うだけでは駄目だ。その全てを両立できるような方法はないか。
彼は急いであの瓶を手にした。片手に瓶を持ち、もう片手で彼女の髪を引いた。
そして、勢いに任せ、後ろから、彼女の顔を、瓶の飲み口へ、突き込んだ。
おかしな音がした。
そのまま彼女の細い肩を、そして身体の全体を、彼は瓶の中へと押し込んだ。入るはずのないものが、入っていく。フロスティ・ジャックの中で、彼女は知らない液体へと変わっていった。最後に彼女の爪先が消えた。彼はすかさず蓋を閉めた。できるだけ強い力でそれを閉めた。
ついさっきまで生きていた人物が、手のひらの魔法瓶に収まった。一時の静寂が訪れた。
ところが、当のフロスティ・ジャックが、彼の手の中で震えだした。ジルを収めた瓶が、胎動していた。ジルはまだ、中で生きているに違いない。それが動くたび、中でぬらぬらとした液体が揺れるのを覚えた。
それを握り直そうとして、彼は別のことに気付いた。フロスティ・ジャックの表面に、霜が降りていた。その霜が、見ているそばから音を立てて増殖していた。
彼は慌ててそれを払った。霜は確かに解けて消えた。だが、フロスティ・ジャックの表面の霜は、払えど払えどゆっくり増え続ける。
早くしなくては。彼は考えを巡らせた。ジルをシンクに流してしまおうか。いや、仮にそれで流しにこの霜が張り付いてしまったら。瓶ごと何処かに隠そうか。いや、それでは瓶の胎動は止まらない。
その時、天井の方から物音がした。灯火はすぐ外に居るに違いない。彼は部屋のドアに鍵をかけ、天窓を閉め、天窓を操作するレバーを手で押さえた。空が怖かった。彼の手はがたがたと震えた。震えが彼自身から来るものなのか、瓶の中から来るものなのか、それともレバーから来るものなのか、判らない。寒気なのか、恐怖なのか、焦燥なのか、判らない。
飲むしかない。この魔法瓶の中身を、飲むしかない。そうだ、そうしてしまえば、証拠は何一つ残らない。霜は体温で消える。ジルという人物など最初からいなかった。無事、留守を預かる任務を果たせたことになる。彼はそう考えた。
彼は、瓶の蓋を捻った。蓋は中から押さえつけられているかのように、重い。そのとき、部屋全体が音を立てて揺れた。ボードの上のチェスピースが倒れた。彼はそれに注意を払わなかった。ずっと力任せに瓶の蓋を捻り続けた。そして蓋の螺旋の、最初の固いところを乗り越えたような手応えがあった。U,J,J&
何。ランタンの中身を見てみたい、と。良いだろう。少し冷えても来たことだし。
それにしても、何やら今日は手が震えるな。それにこのランタンの蓋、随分固く閉まっているようだが。まあ、たぶん、最初の固いところを乗り越えれば。よっ、と。“ジャック”は天井を見上げた。部屋の丸天井が、回り出している。
蓋が開いた。目が合った。