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みやど ●25ポイント ベストアンサー |
これは当時の宗教法人オウム真理教(現Aleph)の解散に関するものです。
> 解散命令によって宗教団体であるXやその信者らが行う宗教上の行為に何らかの支障を生ずることが避けられないとしても、その支障は、解散命令に伴う間接的で事実上のものであるにとどまる。
というのは、宗教法人と認められるために信用されないといった不都合はあり得ることが「間接的で事実上のもの」であって、任意団体として活動することは許されるということです。実際、現在も公式サイトがあります。
リンク先の判決についてですが、宗教組織の解散命令が妥当なものであったという大前提がまずあって、解散させられるからには、組織の所有していた施設などを信者達が今後利用する事はできなくなる事は自明です。
強制捜査の対象とはならなかったものの、近所からその施設に通っていた穏健な活動のみを行っていた信者にすれば、集会場所を失うという事で間接的な影響は免れませんが、影響はその「集会場所を失う」という事実上の事柄だけであって、信教の自由まで侵されるわけではありません。収監されているわけではありませんから、活動自体は自由にできますのでね。ただ単に活動拠点を失ったに過ぎないという事実があるのみです。
一方、やはり強制捜査の対象とはならなかったものの、その施設に居住していた信者にすれば、集会場所を失うと同時に住まいも失う事になるわけですし、オウム真理教の場合は実際そうした信者がいました。それでもやはりその影響は、「集会場所を失うと同時に住まいも失う」という事実上の事柄だけであって、やはり信教の自由が侵されるわけではありません。
要するに、信者個々人の置かれた状況次第で解釈の幅が広がるだろうし、解散による影響も組織の形態によって千差万別でしょうから、「これが正解」と枠をはめるのは事実上不可能な内容かと思われます。逆に、幅のある解釈が可能である事によって、将来、類似した他のケースが発生した際には判例の転用が可能であるとも言えるのですが。
ほか、団体規制法の適用に関してこの22ページにも「間接的で事実上のものにとどまる」との同じフレーズが登場し、
http://medinfo.toypark.in/judgepdf/jpdfyakuji0558.pdf
立ち入り検査等を受ける事によって、瞑想が一時中断されるなど、信者の宗教活動になんらかの影響があるのは避けられないものと思われるわけですが、同法の適用は公共の福祉のために行われる合理性のあるものであり、信者の個人的な宗教活動そのものを阻害する目的で行われるわけではないため、その影響は「間接的で事実上のものにとどまる」。したがって、立ち入り検査等の活動そのものは、決して信教の自由を侵すような活動ではないとの法理が成り立つと、このように理論武装する際に使われるフレーズなのでしょう。
法律 < 憲法
という力関係がある以上、憲法で規定されている信教の自由を盾にした抗弁に対しては、それ相応の理屈が必要になるという事なのだと思います。権利関係の線引きを明確化するに際し、「間接的で事実上のものにとどまる」とのフレーズはとても便利な言葉なのでしょうね。
「憲法で保障している信教の自由を失わせてるわけではない」といいたいだけなので
事実上のものにとどまる→→別に逆洗脳とか改宗とか教義変更といった「信仰思想上の支障」までおこさせてるわけじゃないですよ。といいたい。
あちらさんは「解散で支障があったぞ!」っていうかもしれないけど、それは
「事実」としてちょっとお金とか時間をとらせただけです。
思想上(今の若者らしくいえば「脳内」)の信仰の自由とは関係ないですので。
という意味でしょう。
この判示では憲法で定めるところの信教の自由を侵害していないというあたりを述べているわけですから、この文脈での「事実上の」に対するのは「精神上の」とか「思想上の」という語句になると思います。
ですので、「間接的で事実上のものであるにとどまる」は「直接的に精神上のものまでは制限しない」と言い換えられると思います。
皆さま、ありがとうございました。
皆様のご意見を参考にし自分なりに検討したところ、
「事実上のものである」=「法律上問題となるものではない」と考えた時に一番スッキリしました。
一言でなくなってしまいましたが。。
こう結論をだす際に一番参考になった「非制度上」という投稿をしてくださった方を
ベストアンサーにさせて頂きます。
ただ、配当は均等にさせて頂きます。
皆さま、誠にありがとうございました。