まず、集いたいはおかしいよ。募りたいだとおもいます。
現在では「不平等」自体が、「社会で解決できるのにしてない」「(広義の)不公平」というような意味でつかわれるので、後者でしょうね。
たとえば背の高さにばらつきがあることを「不平等だ」とは、いいません。生まれつきでしょうね。
おなじ会社にはいって、背の高さで業務の出来高に全く関係がないのに、同期でも背の高い方が給料が多くもらえる。このように待遇に差があれば「不平等だ」と、いいます。
このとき不平等なのは「会社(の待遇)」であって、一番背の低いaさんが「不平等」だというふうにはあまりいわないとおもいます。(「aさんが一番、不平等な状態である」とは、もしかしたら、いうかもしれませんが)。
この「待遇」とか「あつかい」のことを、まとめて「社会の性質」(個人の性質ではなく)というのではないでしょうか。「aさん(の状態)が不平等だ」という文章にすると、まるでaさんが社長としてその待遇を決定した責任者のように見えたり、aさん一人だけが周りから差別されて不公平な扱いになっているかのようにみえたりします。そうではなく、全員がわずかでも不合理を感じるような状態を不平等というのでは。逆に平等でおきかえても多分なりたつとおもいます。
したがって平等・不平等とは社会システム側の言葉です。
さて、先生にこれを丸コピして出すのはアウトですよ。私が先生でないという保証はありません。