人生において最良の友人になる人は、出会ったときの印象が最悪だった。
ということ、時間が経って思えばままあることです。
そして、最悪の印象を与えた相手は、最悪の印象を与えるつもりなどなかった。
ということ、これは大体そうです。覚えてない場合がほとんどでしょう。
あなたは前の人を苦手な人だと仰っていますが、前の人にとってあなたはどうでしょう?
前述した最悪な人になっていないでしょうか?
ならば、まず貧乏ゆすりをやめてみましょうか。意識して、席に座っているときくらいは、この数ヶ月だけでも。
人間関係を考えるよりも、行動で示したほうが楽だと思いますよ。少なくとも、同じセリフを言われることはありません。そして、ここでやめておけば、きっとあとで感謝することになるかもしれません。グッドラック!
とかなんとかえらそーに言ってますが、僕も学生時代はそんなことを考えていました。
なんかめんどくさいな、と思ったときは、袖のしたからイヤホンを出して、よく音楽を聴いていました。
高校生は一瞬で一度きりです。どうぞ悔いのないように。
ps
それでも、なんかめんどくさいな、とかおもったら、おもいっきり揺れてみるのもありかもしれません。意識的に貧乏揺するのです。ここで揺れるか!というタイミングでもいいかもしれません。先生に指されたときに揺する、とかルールを決めるのもアリだと思います。「いやここは○○!揺れるだろ!」という時に揺れなかった、という英断は、数年後の同窓会の話題を掻っ攫うでしょう。
と、いうわけで仕事に戻ります。失礼いたしました。
目が悪くて板書が見えません!先生の前がいいです!って言えば席も替われて成績も先生の心象も良くなってホクホクになります!
あなたにとって最悪な人は相手にとっても最悪な人。
貧乏ゆすりはどこにいっても嫌われるので、学生のうちに意識して直しましょう!
苦手な人がそばにいる。学生の自分にも身に覚えがあります。
あなたがつらい思いを感じる背景には、その人から、
鬱陶しい、と言われたこと、があるように見受けます。
では、あなたは、誰かに対し、あいつ鬱陶しいわ、と
一度でも思った、直接言った、間接的に言ったことはありませんか。
思うことも、言葉にすることも、その本質は同じです。
全くない、とは言い切れないのではないでしょうか。
そして、その行為に対して、特に自覚し続けるのではなく、
いつの間にか忘れてはいい、忘れては言ってはいないでしょうか。
人間など、みんな、そんなものです。
わたしもそうです。人を傷つけ、傷つけられ生きています。
嫌なこと、苦しいこと、思い通りにならないこと、沢山あります。
でも、皆何かしらそういうものを抱えて日々を過ごしていると信じます。
感受性の豊かな時期、嫌でも敏感になるとは思いますが、
その言葉の一つに、縛られて、嫌な日々を送るよりも、それから逃げず、
鬱陶しいって言われることもあるよね、ってケラケラ笑っている方が楽じゃないかなと
思います。長文、失礼しました。