ボランティアの定義ですが、新明解国語辞典には「自由意志をもって社会事業・災害時の救援などのために無報酬で働く人(こと)」とあります。
聞いた話によると、ボランティアは「奉仕活動」と訳されたため無償というイメージが強いが、最近は「自主性」が重視されるようです。他の国語辞典にも「自主的に」ということが書かれています。
以上を踏まえると、教会での奉仕作業は、炊き出しなら自主的で無償の救援事業ですからボランティアと呼べます。
「宗教活動と言え」という意見は、布教活動を想像したのではないでしょうか。例えば教会の掃除でしたら社会事業・救援というよりは布教に繋がるので、宗教活動と呼ぶのが適切だと思います。
ちなみにボランティアとは何か、ということについては、講演で聞いたり小冊子で読んだ話では、
・内側から「やる」という気持ちが湧くこと
・「誰かのためにやってあげる」ではなく「誰かと共に歩む」という意識
・他人が自立をするための援助者。社会との架け橋となる
という意見もあります。
無償の活動自体が実在し得ないとの私の考察です。
http://blog.livedoor.jp/tak_tak0/archives/52119958.html
ボランティアはやはり本来の意味では自主性の方が主で
無償の、では無いでしょう。
何れにしてもボランティアの定義が違うでしょう
宗教活動についても意味が十人十色だと思います。
http://q.hatena.ne.jp/1401432878
私の説では、
宗教活動としてボランティアをする(わかりやすい例なら炊き出しなど)
は、非営利では全く無いです。(悠遠ですが利益を得るための活動です)
一方で、自主性の意味でのボランティアには該当するでしょう
> ボランティアではなく宗教活動と言え
と言ったのが誰なのか(教会の運営に携わる人間か、それとも完全な部外者なのか)で意味が大きく変わってくると思うんですけれども、キリスト教で使われる奉仕はミニストリーの訳語です。
こちらが参考になるんじゃないでしょうか。
http://www.logos-ministries.org/new_b/1pet2_4-10.html
少なくとも単なるボランティアとは一線を画するのは確かです。
関東大震災では、赤切符を持って故郷に向う被災者に、駅々で握り飯
が配られたそうです(亡父の回想)。第二次大戦中は、深夜の防空訓練
で、町内会の当番が炊出した握り飯を、参加者に配っていました。
前者は、おそらく自発的なボランティアで、後者は文部省が管轄する
学区ごとの町内会が、それなりの権益に応じて、組織されたはずです。
日の丸のハチマキやタスキをしていたので、一目瞭然です。
つまり、自発的なボランティアでは、ふだん仲の悪い人とでも協力し、
そうでない慈善活動では、なんらかの組織に属する目印が必要なのです。
いまでは、プロ市民運動家が、顔を隠して全国を放浪するそうです。
いかなる団体や組織にも属さずに、個人としてのボランティアも可能
ですが、それぞれの現場には、それなりのリーダーが仕切っています。
困ったことに、複数の団体や組織は、互いに利害が一致しないのです。
現代日本では、教育・勤労・納税を果すことが先決です。
http://q.hatena.ne.jp/1207880890#a818968(No.3 20080411 13:52:14)
信教の自由:近代国家の三大義務(教育・労働・納税)