<参考URL>
http://www.lib.fwu.ac.jp/annai/dai14.pdf
以後、個人全集は企画されるものの、本格的な世界文学全集の企画はほとんどなくなったように思われるのですが、なぜ、このような変化が起こったもでしょうか?
URLは、児童向け・成人向けを問いませんので、この文学全集の「〇〇〇」がよかった(例;質問者の場合は、講談社の少年少女新世界文学全集の第21巻「シミトラの孤児
・ばらいろ島の少年たち・グリシュカとクマ」が忘れられないです。)というものに関する書誌情報が可能なら上げてください。
書影はむり、と思いますのでこだわりません(昔、世界文学全集で読んで、その後、読み直した、という文学のISBNなどあればいいですが、必須ではありません)。
むしろ、世界文学全集をキーワードに出版文化の歴史など論じていただけると、幸いです。
よろしく御願いします。
参考URLは書籍用クロスを製造している会社の社史です。戦後の「全集ブーム」についての概観が述べられていますが、最初の新潮社による文学全集が、昭和初期のいわゆる大衆向け「全集」の先駆けだった「円本」企画の丸ごとコピーだった、という話が興味深かったです。
「円本」についても同社の歴史には書かれていますので参照頂ければと思いますが、円本ブームを支えたのはおそらく直前の関東大震災、だとすれば、昭和30年代の全集ブームも、第二次世界大戦による「書物への飢え」が背景にあるのではないでしょうか。もちろん、回復してきた各家庭の経済状況も含めて。従って、それが一段落してきたとき(また、学校図書館などの整備が一段落した辺りから)円本と同じように「ブーム」として去ってしまったのではないでしょうか。
では、今日において「世界文学全集」が企画として成り立つか?というと、微妙だと思います。こういう企画が成り立つためには、前提として上記のような「書籍(や文学)への飢え」や「教養に対する一元的な価値観、情報の過小」「低い経済状態から、上向きの経済への変化」などが条件として必要かと思いますが、そのどの一つも現在に置いては成り立たないからです。しかしながら、「よい本、文学に触れさせたい」という欲求もまた高いと思います。問題は、「世界文学全集」と言った『教養』をくすぐる売り方でなく、かつ似たような企画を成功させるプランでしょうね。
たとえば、何か「世界」をテーマにしたビジュアルなものに「おまけ」としてその地の「文学(大人向けと子ども向けを別々に企画)」をつけたりすると、意外とヒットするのではないかと思います。DVD+ブックレットみたいな形で、当地の童話や有名な文学本をちょっと上等な装丁の文庫みたいな形でセットでつける。シリーズでDVDを買えば、小さな文学全集がついでに揃いますよ、みたいな。いかがでしょうか。
で、自分の話ですが。
子供の頃、親戚や近所からまわってきた(らしい)古い文学全集の中の数冊が家にありました。自分の中で最初の「読書」体験はそれらでしたが、今でもあの「重々しさ」は忘れられません。あの重々しさが「全集」の味だと思います。
印象に残っているものについてですが、So-shiroさんのおっしゃる講談社の全集って、(外の紙の色でなく、本自体のむき出しの色は)えんじ色の装丁で、背はもう一段階濃い紫ではなかったでしょうか。多分私が持っていた、そして記憶にある本は同シリーズの13巻「小公子・小公女」のシリーズです。
「小公女」の秘密のパーティーのシーンで、こっそり持ち込んだ「小さな肉まん」を食べるシーンがあるんですが、激しく食欲をそそられた記憶が……どんな記憶だ。ところで、あの「肉まん」という訳が正しいのかどうかは、今でも気になっています。ヴィクトリア朝時代のロンドンに肉まんがあったのかぁ…(笑)?
その他、どこの全集かは分かりませんが、世界中の神話などを扱ったもの、日本の神話の一冊本、北欧の方の話で少年が国中を野宿したりしながら旅をする話、ニルスの不思議な旅……などが記憶に残っています。
なんだかとりとめもないんですが、こんな感じでよろしいのでしょうか?
ムージル著作集 第4巻 特性のない男 4
ムージル著作集 第5巻 特性のない男 5
ムージル著作集 第6巻 特性のない男 6
1978年に、やはり倒産してしまったために、完結が危ぶまれた筑摩書房の世界文学大系ですが、何とか全91巻を発行したようで。
わたしは、第64巻「ムージル ブロッホ」集に刺激を受けて、ムージルの『特性のない男』を読み始めました(現在も、読んでます・・・w)
やはり、市場動向を無視したこういう大型企画はオイル・ショック後は難しくなったのではないでしょうか。
読者の側の価値も多様化し、これが世界名作とレディメードを提示されるよりも、自分で納得のいくものを読むようになったのではないでしょうか?
なるほど。
筑摩書房の世界文学大系はけっして入門編ではないとは思いますが、一定の水準を提示していたのかもしれません。
筑摩書房よりといえば、78年に「現代まんが全集全21巻が企画されたんですが、同年7月の同社の倒産によって、第一回配本「竹宮恵子集」ほか一冊を出しただけで、この企画は中断することになっちゃた、ということもありました。
まんが全集というのも個人全集以外はむずかしいのでしょうね。
どちらも平成に入ってから集英社で刊行された文学全集です。当時仕事で書店に出入りすることが多かったのですが久々の大型企画ということでかなり話題になっていたように思いますがどのくらい売れたのでしょうか。
私は「世界の文学」の方を毎月買っていました。山本容子が箱のイラストを担当して所有する喜びに浸れる作りのものだったと思います。全20巻というのもダイジェスト的ではありますが手頃感がありましたし。
全集の企画があまり出てこなくなったのはjo_30さんの仰る通りだと思いますが
百科事典をセールスマンがローンで売ると言う形体(日本では平凡社が筆頭でしょうか)が廃れたこともあわせて考察するべきではないでしょうか?文学全集が百科事典を売った客に次に奨める商品として売り手側からのニーズに答えた商品だったと言う事実が存在するのは確かですから。
百科事典や文学全集が売れた時代はそれらが応接間の飾りだった家庭も少なくはないはずです。
過去に読んだ印象に残った本としては私も子供の頃に読んだ子供向けの文学全集の中の神話を扱ったものはもう一度読みたいと思います。日本のものではうみひこやまひこ、アイヌのオキクルミの話、因幡の白兎の話、スクナヒコ、八幡のおろち、山神様が女神を争ってムカデと大蛇になって争う話等が入っていました。
ケルト神話を最初に意識したのもこのシリーズでしたし、北欧神話のオーディンやラーマーヤナの名前を覚えたのもそうでした。文学全集に活路があるとしたらむしろ少年少女向けのものではないかという気がします。
拝見しました。
集英社ギャラリーの方は装丁、訳者ともかなりの豪華版で、収録されている作品も厳選されていますね〜。
ほしくなりましたが、いかんせんお値段も豪華版で・・・・orz
「少年少女世界名作の森」の方が安価で昔の「世界文学全集」のイメージに合っていますが、出版10年以上経って在庫表示がるというのも・・・
ただ、普通の単行本だったら絶版・裁断ですよね〜。在庫を持っているのだとしたら、集英社は立派な出版社です。
>百科事典をセールスマンがローンで売ると言う形体(日本では平凡社が筆頭でしょうか)が廃れたこともあわせて考察するべきではないでしょうか?
百科事典!
たしかに御指摘のとおりです。
「はてな」の人力検索サイトのようなビジネスがある以上、百科事典を置いておく必要がなくなってしまったのかもしれません。
でも、このことは所謂「教養主義」が廃れたこととも合わせて考えるべきことなんでしょうね。
すこし考えて、別に質問を立ててみようかと思います。
小出鐸男『現代出版産業論――競争と協調の構造』(日本エディタースクール出版部、1992.09、¥2,600) は未読ですが、TRANSART ONLINE SHOP(
)のサイト内に紹介文が載っていて(
)おもしろそうだったので挙げてみました。URLに挙げた「ほるぷ」は訪問販売で有名だったのに倒産した会社ということで。(現在ここが絵本や教育書に特化して開業していることを考えるとyukodokidokiさまがおっしゃるように活路は少年少女ものかも)
先に回答なさった方々と同じく、昔は「世界文学全集」を持っていることが一種のステータスだったのだと思います。それに、実生活に直接は役に立たない「教養」というものが、今よりも尊ばれていたのではないでしょうか。
私自身の思い出を振り返ってみると、子供の頃は、家によく百科事典のセールスが来ていました。他にもブックローンの「チャイクロ」(幼児用の学習本セット)、小学館の「世界の童話」などセットものの売り込みが多かったです。友達の家に行くとどれもよく見かけましたので、かなり売れていたのでは。世界文学全集もこういう手法で売られていたのでしょうね。
私の家は、両親ともに本好きでしたが、本屋で一冊ずつ選んで買ってくるため、本棚は雑然としていましたし、はみだした本がカラーボックスに入っていたり、台所の棚の隅に重ねてあったり。「世界文学全集」などは場所がなく実家に置いてくる始末。「子供に教養を身につけさせるために身近に置いておかなければ」という発想は全然なかったみたいです。
よその家に伺うと、時折、応接間にガラス入りの扉がついた立派な本棚があって、「世界文学全集」のたぐいがぴかぴかの状態でずらっと並んでいる家庭がありました。そういうのを見ると子供心に「お金持ちだな〜」と思い(笑)、自分の家とは本に対する感覚が違うとも感じていました。
そういうわけで(?)過去に読んで印象に残った全集というのがありません。あえていうなら小学館の「世界の童話」です。文学全集といっていいのか分かりませんが。小学校低学年向けの絵の多いシリーズで、隣の家のお姉さんが持っていました。私が本好きなのを知っていて、おばさんが「いつでも読みにきなさい」とおっしゃったため入り浸って読んでました。昔話や名作のダイジェスト、伝記や創作などなど、いろんな話が読めて楽しかったことは確かですが、お気に入りの本は特になかったです。憶えているのは「マッチ売りの少女」の絵が漫画みたいで安っぽいと思ったことくらい(我ながら生意気なガキです……)。この全集に入っていたカロリーヌシリーズはファンが多いらしくて、復刊したのに元の本の人気が衰えず、オークションなどでは数千円しているようです。大人になってでよければ、河出書房新社の「少年少女世界の文学」という全集は、訳者も画家も豪華でびっくりしました。たしか川上弘美が子供の頃、このシリーズの『ロビンソン・クルーソー』で読書に開眼したとか。私が気に入ったのは谷川俊太郎訳、長新太挿絵の『あしながおじさん』です。同じコンビの本が流通していたので購入しましたが、河出のほうが挿絵がカラーだし、いいな〜と思います。
昔は、読みもしない全集を買う人をばかにしていましたが、最近、ああいう見栄や背伸びも一慨に悪くはなかったかもと思うようになりました。置いておけば読むこともありますし。今、インテリアにする本といえば、写真がきれいな洋書とか絵がかわいい絵本とかばかりだし。ちょっと淋しい。そういう自分も、あんまり読んでなくて偉そうなこといえませんが。
ながながと&とりとめなく、すみません。
>「子供に教養を身につけさせるために身近に置いておかなければ」という発想は全然なかったみたいです。
chibitさんの回答を読んでいると、十分にご両親の教育効果があったような(笑
>自分の家とは本に対する感覚が違うとも感じていました。
でも、本は読まれてこそ『本』ですものね。
小出鐸男『現代出版産業論――競争と協調の構造』は私も未読ですが、日本エディタースクール出版部というのはナカナカいい本を出しますので、読みがいがあるかも。リンク先に紹介のある『だれが「本」を殺すのか』も出版不況に目を向けさせたのは著者の功績ですよね。良い本もプロモーションしないと売れない、いや出版の段階にさえ達しない時代の問題性を衝いているかと思います。
参考URLの「ほるぷ労働組合」のサイトも興味深く読ませていただきました。
ありがとうございました。
質問者様の想定した状況とは反対の経験なのですが。
以前、子供のころ読んだ「ホビットの冒険」を読みかえしたくなり書店へ赴いたところ、ちょうど岩波世界児童文学集で配本(たしか第1回配本だったと思う)になっていたためそれを購入したことがあります。
この「岩波世界児童文学集」は何かの記念で刊行されたものだったと存じますが、旧来岩波の児童書の中でよく読まれていたものをそのまま(新訳などではなしに)全集化したもので、ある年代の大人にはとてもなつかしいなじみのあるラインナップですから、全巻そろえようかとちょっとばかり悩みました。
(結局、既にもっている本と重複したり、シリーズ物のうちの1冊だけが手に入ったりするという中途半端さが嫌でやめました。)
「全集」=全巻そろえてこそ、という気持ちが働くので、(売る方はともかく)買い手には嫌がられるのではないかと思うのです。そこには「本棚の見場が悪くなるから絶対読まないと分かっている作品でも全巻コンプリートする」という非常に「貧乏臭い見栄」が働くのが分かるから敬遠される、というのもあるし、「自分が読みたい(あるいは読むべき)本を自分で選べなくて他人任せにして一式あつらえてもらった」というようなある種の恥ずかしい気持ちも働くと思うのです(これだけの情報が流れている御時勢で、@@全集を揃えたから教養が身につくなんて思うわけがない)。
今後、もし「全集」が勢いを取り戻すなら、従来のような「これが名作です」と押し付けるようなものでなく、何かマニアックだったりノスタルジックだったりして「全巻コンプリートしたい」と思わせるようなラインナップになったものを、そういうものに引き付けられる層に売るようなやり方(「オタク青年」に往年のアニメシリーズの「DVD」を売るような感じです)でないと成功しないように感じます。
あるいは「全集」形式をやめて「@@シリーズ」として装丁に統一感をもたせて(番号は振らずに)随時刊行していくようなやり方で買い手が気に入ったものだけを揃えられる(抜けていても気にならない)ようにして発刊していく方が受けがいいかもしれません(このやり方で海外の作品を刊行しているシリーズは既にいくつかありますよね。河出書房新社のModern&Classicとか)。
たいした根拠もなく自分が思ったことを書き連ねましたが、全集=教養があるお金持ちというイメージがなく、自分の程度を知らずに言われるまま本を揃えたぼんくらというイメージは、自分の両親がかつて揃えた日本文学全集を一度も読む事なく邪魔だと言って引っ越しの際に捨ててしまったことから来ています。誠にお恥ずかしい限りですが。(ちなみに、そんなものを揃えたのは単なる「応接間におく道具として」であって、それと子供に教養がつくかどうかは一切無関係だと思っていたそうです。)
>全集」形式をやめて「@@シリーズ」として装丁に統一感をもたせて(番号は振らずに)随時刊行していくようなやり方で買い手が気に入ったものだけを揃えられる(抜けていても気にならない)ようにして発刊していく方が受けがいいかもしれません。
まさに、現在の<全集>的なもので成功しているのは、このパターンでしょうね。
「岩波世界児童文学集」は、その後自社の名作童話をすべてピックアップしたような膨大なものになっていますから、断念してよかったのでしょう。
河出書房新社は、倒産の危機に追い込まれた多くの「世界文学全集」の刊行を行っていたリーダー的な出版社の後身ですから、企画に慎重なのかもしれません。
出版文化論としては面白い論考と思います。ありがとうござしました。
4783727317 はbk1に登録がありません。
4480773002 はbk1に登録がありません。
東京の古書店では、店頭のワゴンで1冊100円とかで売っていて、かくも偉大な作家たちの古典的名作や人類の文化遺産とまで言える書物がキャバクラ嬢などの1秒分にも満たない(?)額で取引されていて、何だか申し訳ない気持ちになります。
世界文学全集で初めて日本に紹介された作家や作品、またその全集でしか手に入らない作品などがいまでもあり、
マニアが探している世界文学全集の逸品も少なくないことと思います。
わたしの経験から探し歩いたものに次のようなものがあります。
●世界文学全集第78巻(講談社1975年刊行)
「アポリネール(短編)、トリスタン・ツァラ(★近似値的人間)、アンドレ・ブルトン(ナジャ)、アラゴン(★文体論)、エリュアール(詩集)
●世界文学全集第37巻(講談社1975年刊行)
「フローベル(ボヴァリー夫人★中村光夫訳、三つの物語★蓮實重彦訳、十一月★蓮實重彦訳、巻末解説★蓮實重彦)
●集英社版世界の文学(1978年〜刊行)第1巻「ジョイス(★ジャーコモ・ジョイス)」第38巻「現代評論集」(ジャック・デリダ★「白」
URLの跡見短大のブックリストにちょっと萌えてしまいました。
東京の古書店だけでなく、地方でも同じような状況です。
>マニアが探している世界文学全集の逸品も少なくないことと思います。
ご指摘のような「世界文学全集」にしか翻訳がない、というものも存在するんですよね〜。
中村光夫訳のボヴァリー夫人、蓮實重彦訳のフローベルなんて、そりゃ読んでみたいですよね。
age
ってゆーのはウソですが、
中公文庫のセリーヌの「夜の果ての旅」はわたしにとって大変じゅーよーな本のひとつですが、これ、もとは中央公論社版「世界の文学」が最初でそのときは生田耕作ともうひとり共訳者がいたとのことですが、現在では生田先生の個人完訳になっています。
ところで、世界文学全集というのは、
ぶっちゃけあなたのお宅の知的なインテリアという意味も大きかったでしょうね。
外国の映画などに見るハードカバーの蔵書がぎっしり詰まった誇らしげな書棚のような雰囲気作りにもさぞや役立ったことでしょう。その後、このラインはさらに大判な「世界美術全集」へと継承されていったのだと思いますが、いまではむさ苦しさ気恥ずかしさのせめぎ合いになってしまうかもしれませんねえ。そういう役目は洋書店のグラフィックな書籍や写真集が時代的に引き継いでいるようにも見受けられます、おされーッでっしゅね。
ドルが変動相場制になってから、日本と世界の関係が随分と変わってきたということがよく言われますが、そこらへんも関係してくるかもしれません。軽薄短小の価値化、教養主義や西欧崇拝の衰退というか、しかし、最近では文庫の充実ですね。絶版本や高価な小部数本や全集がどんどん文庫化されてますものね。最近は「空海コレクション」現在2冊刊行(ちくま学芸文庫)にどひゃーらーとジャンプ、こんな安価で申し訳ないと買ってしまいました。とくに「2」がすごいです。
CD 世界文学全集綜覧(URL参照)
4816905499 はbk1に登録がありません。
「要約世界文学全集」は、ちょっと藁、でした。とはいえ、komasafarinaさんの後半の指摘のように、文庫化される名作、名アンソロジーが結構あるのも事実で、これはもう見つけたときに買わないと駄目ですよね。版元品切れ、古本市場にはなかなか出ない、という悔しい思いをした本も結構多いです。
ま、スペースは当家もないので、百科事典や漫画の類は、電子版に移行してます(小説ばかりは電子書籍を読む気にならないのは、もしかすると・・・orz)
世界文学全集が財産となる時代は終わってしまったのかもしれません。
それでは、ここで終わりにします。
回答者のみなさま、匿名ののっかりのユーザーさん、ありがとうございました。
ありがとうございます。
>なんだかとりとめもないんですが、こんな感じでよろしいのでしょうか?
よろしいどころか、jo 30さんの本に対する思いが十分伝わってきました。
>世界中の神話などを扱ったもの、日本の神話の一冊本、北欧の方の話で少年が国中を野宿したりしながら旅をする話、ニルスの不思議な旅・・・
それって、もしかすると講談社版・少年少女新世界文学全集かも。
>世界中の神話などを扱ったもの
→第1巻「ギリシア神話、イリアス・オデッセイア、聖書物語」
>日本の神話の一冊本
→第35巻「古事記、今昔物語、平家物語、日本民話」
>北欧の方の話で少年が国中を野宿したりしながら旅をする話
→第32巻「荒野の二少年、なだれ、南の島の冒険」
>ニルスの不思議な旅
→第29巻「アンデルセン童話集、ニルスの不思議な旅、シーネの牛飼い」
初回配本が第18巻「家なき子、十五少年漂流記」で、昭和37年10月の発行でした。全38巻なので、3年かかって最後まで配本されたと思います。
当時としては、けっこう水準の高い訳と挿絵だと思います。「小公女」は曽野綾子さんの訳ですが、やっぱり「肉まんじゅう」って訳されてますね(笑
ありがとうございました。
今は、講談社の「痛快 世界の冒険文学」のように、ある程度分野を限らないと無理みたいですね・・・