大変恥ずかしい疑問なのですが、仏国のポール・ブァレリーが「公爵夫人は午後馬車にのって・・・」云々とはもう書かない、と述べた文章は、どういう題名のエッセイに載っているのでしょうか?出典が解りません。

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こんにちは。

上記のURLにあるChristian B. Allegreという人の論文の脚注に参考になりそうな情報がありましたので、それをざっと訳してみました。


――

[注636]ヴァレリーに帰されている「侯爵夫人は五時に家を出た」という一節は、アンドレ・ブルトンによってもたらされたもので、彼が「シュルレアリスム宣言(第一)」において、ある会話の中で発言されたことのように引用しているところから来ている。曰く、「ポール・ヴァレリーは、最近、小説というものについて私にこう断言した。彼としては、侯爵夫人は5時に家を出た、というようなことはいつだって書くまいと思っていると」(André Breton, Oeuvres complètes, Gallimard, «Bibl. de la Pléiade», t. I, p. 314)。ヴァレリーは、小説についての省察という文脈で度々この例を使っていたようである。彼があるときアンドレ・ブルトンを前にしてこの一節を発したということも、なきにしもあらずであろう。というのも、彼の『カイエ』の中にそれに近い言い回しを見出すことができる。1913年の日付が記されたカイエである。このテクストはプレイアードの第2巻、p.1162、またはCNRSの複写版の第5巻のp.101にある。冒頭はこうだ。「小説。恣意的なもの――/公爵夫人は8時の列車に乗った/侯爵夫人は9時の列車に乗った……」。マルグリット・ボネは、自身の編纂したブルトンの全集でこのメモに言及しているが(Pléiade, tome I, p. 314, note 1)、実は他にもひとつ存在する。やはりヴァレリーの『カイエ』、プレイアード版第2巻(1922年の日付のあるカイエ、CNRS版第9巻のp.98)の中であるが、その冒頭はこうだ。「小説/侯爵は扉を閉めた、とか、エリーズは30歳だった、などと私が言ったなら」。

――


どうでしょうか。

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