かつて彼が《朝まで生テレビ 19900331 テレビ朝日》に出演したとき
「何ヶ月も独房で思索した者でなければ分らない」と放言し、大島 渚
(当夜の司会者)が「それじゃ議論にならん」と怒鳴っています。
わたしも、暴力と暴論を拒否する者ですが、この問題に関する世論は、
いささか論点が偏っている印象があります。
たぶん戸塚校長も、世論を掌握せず、自説が整理できていないのです。
彼の主張を(わたしなりに推測すると)こう云いたいらしいのです。
「ヨットスクールに連れてこられる少年は、大人以上の体格で、彼らの
家庭内暴力は、とても両親の手におえるようなレベルではない」
「ふだん、おとなしいときの少年を見て何だかんだ云う奴も、修羅場を
見れば納得するよ。彼らが暴れだすと、コーチ数人で取りおさえようと
して命がけの格闘になる。だから両親は、最後には和解したんだ」
ここで注目したいのは、彼は、教育的体罰というよりも、正当防衛を
主張しているらしいのです。多くの体罰は、いわば報復的懲罰ですが、
とてもそんな余裕はない、と云うのです。
少なくとも刑期を終え、社会的責任を果たしており、彼の信念までも
法は裁いていないのです。今後ふたたび同じ悪夢を再現しないために、
いまいちど彼の叫びを(論理的に)再分析すべきではないでしょうか。
裁判所は、彼の言い分を認めると、暴力全般を認めることになるので、
さりとて(体罰に代わる)教育的手法を示してもいません。
そこで支援者たちは「やっぱり体罰は必要だ」と云いたいのです。
とくに「戸塚ヨットスクールを支援する会」会長・石原 慎太郎の、
とても文学者とは思えない非科学的な論調には失望しました。
せっかく刑に服したのに、一歩も譲らない態度も、反社会的です。
http://totsuka-yacht.com/sankei.htm
── 石原 慎太郎《脳幹トレーニングをこそ
~ 不登校や家庭内暴力からの脱出口 ~ 19980329 産経新聞朝刊》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19830613
スパルタの海 ~ 戸塚ヨットスクール事件 ~
かつて彼が《朝まで生テレビ 19900331 テレビ朝日》に出演したとき
「何ヶ月も独房で思索した者でなければ分らない」と放言し、大島 渚
(当夜の司会者)が「それじゃ議論にならん」と怒鳴っています。
わたしも、暴力と暴論を拒否する者ですが、この問題に関する世論は、
いささか論点が偏っている印象があります。
たぶん戸塚校長も、世論を掌握せず、自説が整理できていないのです。
彼の主張を(わたしなりに推測すると)こう云いたいらしいのです。
「ヨットスクールに連れてこられる少年は、大人以上の体格で、彼らの
家庭内暴力は、とても両親の手におえるようなレベルではない」
「ふだん、おとなしいときの少年を見て何だかんだ云う奴も、修羅場を
見れば納得するよ。彼らが暴れだすと、コーチ数人で取りおさえようと
して命がけの格闘になる。だから両親は、最後には和解したんだ」
ここで注目したいのは、彼は、教育的体罰というよりも、正当防衛を
主張しているらしいのです。多くの体罰は、いわば報復的懲罰ですが、
とてもそんな余裕はない、と云うのです。
少なくとも刑期を終え、社会的責任を果たしており、彼の信念までも
法は裁いていないのです。今後ふたたび同じ悪夢を再現しないために、
いまいちど彼の叫びを(論理的に)再分析すべきではないでしょうか。
裁判所は、彼の言い分を認めると、暴力全般を認めることになるので、
さりとて(体罰に代わる)教育的手法を示してもいません。
そこで支援者たちは「やっぱり体罰は必要だ」と云いたいのです。
とくに「戸塚ヨットスクールを支援する会」会長・石原 慎太郎の、
とても文学者とは思えない非科学的な論調には失望しました。
せっかく刑に服したのに、一歩も譲らない態度も、反社会的です。
http://totsuka-yacht.com/sankei.htm
── 石原 慎太郎《脳幹トレーニングをこそ
~ 不登校や家庭内暴力からの脱出口 ~ 19980329 産経新聞朝刊》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19830613
スパルタの海 ~ 戸塚ヨットスクール事件 ~