2回目の回答になります。
<一方で既に何人かの方が触れられているように、それによって国語をはじめとする他の教科の授業が削られている、アイデンティティーが未確立の子どもに英語を教えることについてはどうお感じでしょうか?>
確かに、国語教育は絶対におろそかにできない大切なものだと思います。ただ、今の国語の授業の中では、読み書きや文法以外の「作者の気持ちを読み取りましょう」といった「国語」というよりも「文学」的な時間が結構多く取られていますから、その時間を月に1~2時間削って英語に慣れる時間に当てても差し支えないんじゃないかと、個人的には思います。
小学校で外国人講師と接している子どもたちを見ていて感心するのは、言葉がうまく通じなくても何とかコミュニケーションを取ろうと積極的に話しかけたりして、とても自然に接していることです。
我々の世代(私だけ?)は、子どもの頃に外国人と接する機会がほとんどなかったので、今でも外国人を見ただけで緊張してしまったりするのですが、そういった面でも、小さい頃に外国人と接し、外国の言葉や文化を知るということは、大きな意味があるのではないでしょうか。
「言葉を教える」ことに重点を置くのではなく、「人類みな兄弟」的な国際理解教育や人権教育の一環としての位置づけで考えてみると、また別の意義が見出せるような気がします。
こんにちは!
20代前半、女、会社員です。
英語圏・フランス語圏への留学経験あり、
中学生への進学塾英語教師経験あり。
小学生からの英語の意味ですが、
「英語を喋れないことで不利な立場におかれた経験のある大人の
コンプレックスの反映」に尽きると私は思っています。
人間の脳の構造上、母語として言語を取り入れるのは
6~7歳まで、などと言われていますよね。
おそらくそれをそのまま鵜呑みにしたのかと。
しかし、そのコンプレックスは多くの場合、
実は「英語が喋れないから不利」だったのではなく、
「英語を母語とする、もしくは母語のように思考回路に
入っている、もしくは母語が英語の言語体系に近い人が
マジョリティである為、英語とは全く違う体系を持つ
日本語のみを母語とする自分がマイノリティであり
多くの人と相容れない状況なので不利」だったのだと私は思います。
言語即ち文化や宗教や歴史であり、思考回路そのものであるのは
心理学や言語学では常識となっています。
小さな頃から日本語と英語ごちゃまぜにされた上に
英語の背景はゼロで(言語としてのみ学んだ)育った
子供がどうなるのか、予測も付きませんし、
心の弱い子はアイデンティティ・クライシスとなって
押しつぶされてしまうのでは?
という懸念もあります。
駄文でごめんなさい!以上です。
語学など、耳による情報の学習には、年齢の小さい方が能率が良いと聞いた事があります。
例えば、音楽の“絶対音階”などは小さい時に身につけなければ、習得に困難だと聞きました。
Haruta-hizasiさん、ありがとうございます。
やはり小学生の英語教育の目的は「英語の発音に慣れ親しむ」というところにつきるのでしょうか?だとすると、音痴でしかも英語で苦労している私は絶対音感も英語も教えてくれなかった親を恨んじゃいます(笑)。
まだ小学生で日本語もろくに知らないうちに
英語なんて習ってもだめだと思います。
Satsu18さん、ありがとうございます。
私も基本的にご意見に賛成です。世の中には英語の先生が余っちゃっているのでしょうか?
飽く迄も私なりの一説に過ぎませんが、
やはり言語を覚えるのに最も適しているのは幼少時かと思います。私の考えですが、例えば「文盲」という言葉があります。昔はいくらでも喋れても、字の読み書きは出来なかったわけです。英語圏でも日本同様の高い文盲率であったと思います。ということは、元来外国語とは書くものでなく、単に、喋るものだったのではないかなと思います。
「ねえ、おかあさあん、これ買ってえ?、いいでしょ、いい子にしてるからあ。」などなどなど、という子供の使う簡単極まりない台詞でも、それを、例えばスラッグを交えて、現代的に、適切に英訳しろ、ついでに、方言のアクセント数種類(南部なまり、イギリスなまりなど)で、適切に、誰にでも説得力があるように読み上げなさい、などと要求されると、私などはとてもできないのですが、ともあれ、このように日常会話は、喋り、をもって主眼としているわけで、単に喋れないと、しょせん外国語が分からないように思うのです。経済用語や、政治用語、などは、喋り言葉が出来て、その後に、単語や言い回し、文案、社会表現、として、後付すれば良いだけようにも思えます。
そういう意味で、やはり、中学校から教科書で英語をするのではなくて、出来るだけ幼い頃から、英語を話すことをした方が良いのではないかな、と思うのですね。あくまでも、理想論的ではあり、荒れた教育現場の話に合うかどうか疑問なんですが。
Aounさん、ありがとうございます。
自分で質問しておきながら不勉強で申し訳ないのですが、現在の小学生の英語の授業は「しゃべり」のみで行われているのでしょうか?たしかに多くの日本人が感じているように(少なくとも私の年代:30歳代後半)、学校で英語を習ってもなかなかしゃべれるようにはなりませんね。
いろいろ見つけたので、参考にどうぞ。
【話せる英語に子どもは積極的】 教育関係者300人アンケート
http://www.gks.co.jp/y_2001/s-data/etc/04032901.html
【★英語への接触は、幼児期が最適】個人ブログの意見
http://www2.odn.ne.jp/~cdd23080/linkpage090.html
【英語育児と早期教育について】 個人のホームページより
Haruta-hizasiさん、またまたありがとうございます。
教育関係者のアンケート、とても参考になりました。
近々アメリカ人と日米の教育制度についてお話しする機会があるのですが、教育問題の素人には大変ためになりました。一方で、産業としての英語教育はコンプレックスを持つ親も多いし、きっと有望な市場なんでしょうね。
http://www.sweetnet.com/bilingual.htm
バイリンガルの方の大半が、幼少時から英語学習をしているからでしょう。
学習方法にもよりますが、時期は関係ないですね。私はドイツ語が大の苦手でしたが、ドイツ人教師の元覚えたドイツ語は、現在も多少話せます。授業のたび音読を繰り返し、ただひたすら覚えたドイツ語ですが、今でも日常会話程度はできます。大学1年から初めて。開始時期はあまり関係ないですね。学習方法のほうが問題ですね。外国人教師によるネイティブに発音でないと、幼少時から教育しても、あまり意味ないですからね。
Sami624さん、ありがとうございます。
ネイティブの先生が望ましいのはおっしゃる通りですが、だとすると授業のレベルにも地域差が出てきますね。
私も基本的に時期は関係ないと思っているのですが、Haruta-hizasiさんご紹介のアンケートによると、教育を受けている側の学生さんから肯定的な発言がみられたのが印象的でした。
公立学校に勤務している者(教員ではありません)です。
現在の教育課程においては、小学生の英語は「総合的な学習」として様々な分野の学習をする中の一つとして取り組まれていることが多いようです。
ですから、「英語の授業」として取り扱われているわけではないので、通知表で「英語」としての評価がなされるということはありません。
私がこれまで勤務した小学校では、年に何回か中学校の英語指導助手の外国人にゲストティーチャーとして来てもらって、簡単な英語の挨拶を教えてもらったり、外国の生活について話をしてもらったりしていました。「英語の授業」というよりは、英語に慣れる、英語への抵抗感を減らす、といった感じでした。
私の子どもが行っている保育所でも、月に1回ぐらい英語の時間があって、英語の挨拶とか簡単な英単語を覚えて帰って来ますが、英文法とかスペリングとかではなく、英語に耳を慣らす、英語を話すことに抵抗感をなくす、ということにおいては、やはり中学校からいきなりではなく、もう少し小さい頃から始めておく方が無理がなく、効果的なのではないかと思います。
私自身中学校で初めて英語を学んだ世代ですが、読み書き、文法は何とかできても、話したり聞いたりというのは苦手です。
「日本人はみんな中・高・大学で10年間も英語を勉強するのに、ほとんど英会話ができない」という海外からの批判のとおり、やはり私たちの世代の英語教育は間違っていたのではないかなあと思ってしまうのです。
Daikanmama-san、ありがとうございました。
なるほど、「総合的な学習」の一部という位置づけなのですね。参考になりました。英語に慣れる、抵抗をなくすという目的は確かに説得力があると思うのですが、一方で既に何人かの方が触れられているように、それによって国語をはじめとする他の教科の授業が削られている、アイデンティティーが未確立の子どもに英語を教えることについてはどうお感じでしょうか?
必要ないですよね。
私も小学生のころ、授業には無いにしろ、英語を習わされていましたが、理解する気がないのと、理解できないのと、必要性を感じないのとで、まったく意味なしでした。
以下ご参考に
Aiainaさん、対極的な意見をご紹介いただきありがとうございました。ご紹介いただいたURLに、「国際語としての英語を、将来 国民規模で修得できなければ、21世紀の日本は、悲惨な姿になるでしょう。アジア大陸の東海に浮かぶ、貧しい小国、世界から 経済支援、生活援助を受ける国になるやもしれません。」というご意見がありましたが、これって凄いですね。この方は英語を身につけた方なのでしょうか?不思議です。
現在、うちの市内ではNOVAが授業をしています。
ついに学校にも企業が参入してきましたよ・・・。
実際はコミュニケーションやヒヤリングを重視しており、難しい構文などはまったくありません。
こどもは雰囲気で何を言っているのか理解しています。さすがです。しかし、1年生から6年生まであいさつや天気など、内容は似通っていて、発達段階に合わせた展開はまだまだです。
もし続けるならば今後は、各学年でどの内容を習得するのかを設定すべきです。
しかし、どこまでできたら評価をするのか、など問題はあります。
コミュニケーションを養うという目的と言っていますが、まず日本語で相手に気持ちを伝えるすべを学ばなければ何も意味がないと思うのですが。
中学3年生の男子です。
僕は小学校の時からもっと英語をやっていればなと後悔しています。
なぜなら、英語はやっている人とやっていない人とではかなり差が大きいからです。
僕は先日、高校中級レベルの英検準2級を受けて、見事に落ちたのですが、
僕の同級生は準2級を小4の時に既に取得しています。
僕の姉の話しによると、幼稚園児で準2級を持っている子もいるらしいです。
受験会場には、同級生である中3よりも中2や中1の人たちのほうが多かったです。
もちろん、やっている人とやっていない人の差があることはあらゆるものに言える事ですが・・。
逆に漢字検定や数学検定では、高校レベルの級を取得している人は1人もいません。
英検の参考書に書いてありましたが、準1級取れば英語の教師になれます。
また、僕のおじは2級を持っていて、米軍基地で働いています。
ニートやフリーター、リストラされる人が増えている世の中で、
ちゃんとした職業につける能力をこんなに早い段階で取得することができるというのは、
かなり凄いことだと思います。職業の選択肢もぐっと増えますし・・。
これまでに義務教育では英語を中学校から教えてきましたが、社会に出てから役に立つ内容ではないと言われてきました。
実際に大学を卒業した人がニュースや洋画の英語を聞いてもほとんどの人が理解できません。
根本的に教えている内容が実践的でないのです。
それを愚かな政治家が教える時期を早めれば、身につく英語になると勘違いした結果だと思います。
今現在、仕事上英語が必要な日本人なんてほんの1部です。
子供のうちは正しい日本語力を身に付けることの方が遥かに大切です。
私は英語は義務教育の初めから、希望者のみに教えればいいと考えています。
大人になって必要に迫られて勉強をしても努力しだいで身につきます。
実体験で恐縮ですが、私は兄弟が上に居るので小学生の頃から一緒に基礎英語を聞き流したりしていました。
親も(当時はかなり英語ばかりだった) J-WAVE をよく聴いていたり。
それが功を奏したのか、中学レベルの英語はあまり苦にならず習得できました。
このようなことから中学でいきなり英語という新しい言語にぶつけるよりは、
もっと早い時期から他の言語の機微に触れることはアリだと思います。
ですが、
現在の小学生に英語を押しつける勘違いした方針は、
「母語も最低限度以下の内から授業でやらせてもどっちつかずになってしまう」
と云う藤原正彦先生の主張と完全に同じです。 #1 の whocares さんのも同意です。
ネイティブの発音を耳で聞き取り、そのまま発音するには、小学校くらいから英語に親しんでいたほうがいいからだというのが上げられます。
実際、今総合的学習の時間の中で英語は比較的取り上げられていますが、子どもたちの発音のよさ(ALTの先生のマネ)にはびっくりします。
また、英語を使うことが楽しいというのを小学校の段階で学ぶことによって、英語の苦手意識をなくそうという狙いもあるようです。
中学校段階になると、言おうとした文章を一度日本語から英語に頭の中で訳してからいうようになるそうです。
その点小学生くらいだと、ネイティブの人が話すように頭の中に伝えたい内容が自然に英語で出てきやすいそうです。
ただ、日本語でしっかりとコミュニケーションをとったり、自分の意見を持ったり伝えたりすることが不十分な小学生段階で、はたして英語が必要なのか?
また、現場の先生たちの準備もしっかりと出来ていない状況で英語必修にしていいのか?
といった疑問が残りますね。
一長一短、結局どんな子どもに育てたいを明確にみんなが持たないとどんどん違ったほうに英語教育も流れていっちゃいそうですね。
小学生には徹底して国語を教えるべきです。自国の言葉なのに、それを知らないって事が一番外国の方たちに対して恥ずかしい事だと私は思います。
ちなみに小学生にゆとり教育なんて反対です。
原因の一つに公立小学校の競争化も挙げられるかと思います。都心部では、運営努力が認められると御国から補助金が出るとか出ないとか。学区制度も緩和傾向にあり、公立小学校は生徒獲得に勤しんでおります。
そこで、ゆとり教育の遺産「総合的な学習の時間」の取り扱い方が、いわゆる「学校の特色」づくりの肝になってくるわけです。
そんな中、私立ではすでに行われている「英語学習の導入」は親御さんなどにとても反響がありました。そして、これを発端に「小学校から英語」という考え方が浸透した、という事実が一つにあります。もちろん、メディアもこれを持ち上げました。
現場の話も聞きましたが、実践検証によると、小学校で英語学習を経験した中学生は、そうでない生徒らよりも授業やALTなどとのコミュニケーションに積極性が見られ、英語習熟に意欲的だそうです。どこまで本当やら分かりませんけれども、たしかに「英語慣れ」はします。ただ、「なぜ外国語を」というツール獲得の文化的社会的価値観が芽生えている小学生は数少ないでしょうし、そんな彼らにはまず「国際」という教科でも設けてやるべきなのかも知れません。以上、少し私的見解が過ぎましたが、ご参考程度に。
何かで読んだと思うのですが、フランス語の先生が、
語学は「逆上がりの練習」のようなものだ、と言っていました。
私も、実感から、文法にしろ、発音にしろ、全くその通りだと思います。
確かに、子供であればあるほど、何かを覚えるのは速い。
しかし、大人であっても、「コツ」さえつかめれば、多分できます。
それから、「教育」という観点から、最近、興味深い本を読みました。
そこでは、「教育」がいかに「西洋文明」の思想を輸入したものであるか、
国家の「競争力」を培うのに一役買っていたか、といったことが書いてありました。
おそらく、現在のように英語がグローバルな言語になって、
それを身に着けることによって国際競争力が強化されなければ、
義務教育化されることはないのではないかと思います。
なぜ小学生からということですが、現状の中学からしていて、
多くの人が満足に英語ができてないからだと思います。
私個人の話で恐縮なのですが、小学1年生から5年生まで毎週英会話に通わされました。子供を対象としていることもあって楽しく力を向上させることができました。中学に入り、英語はある程度できるほうだろうと思っていると、スタート地点でそれほど大差はなく、むしろ離される一方でした。どんどん伸びていくタイプに共通していたことは楽しく英語に取り組んでいることだったと思います。私としては英語自体が楽しいのではなく英会話の面白いカリキュラムが楽しかったんだと思います。結果的には本人によるところが大きいのでしょうね。ただ、英語の素質のある人にとって小学生のうちから機会が得られるというのはいいことかもしれないと思います。
14の回答まで読んで書いています。すでに指摘されている点については省略し、出ていない点をいくつか。
一つは、小学校での英語「導入」の動きは、「平等」の観点から進められたという点です。
英語教育に熱心な家の子と、そうでない家の子で差が出る。それは平等ではない。平等が好きな人たちから要望が出る……、文部省、文教族の政治家それぞれの利害があって、……、小学校での導入というわけです。
二つ目は、こういう事情なので、文部省や政治家にとっては、形式的に授業があればよく(平等という建前に合う)、実効性が検討されてない点ですね。
そのため、各学校は人手を確保するのに苦労しているようですし(それでNOVAに協力してもらったりする)。英語がしゃべれるからといってネイティブスピーカーがすべて英語指導に向くわけじゃないんですけれど。
現在中2の立場から言わせて頂くと、
俺は中学校からいきなり英語を始めました。
小学校の時に、年に数回くらい外国の方と一緒にゲームをするという体験をした
おかげで多少の発音は出来ますが、書くことが出来ませんので、頭に入りませんでした。
なので、もし小学校の時に英語の勉強を少ししていたら、
つまずかなかったんじゃないかと思うことが多々ありますね。
小学校の時から英語を学ぶのは賛成ですね、
つまずきづらいと思いますから。
ダミーです。http://www.imb.me-h.ne.jp/~kihara/
現在(次期も?)の総理がアメリカの言いなりだから、No.1 のアメリカに追随するため、
小さい頃から英語を勉強せざるを得ないんでは?
小さい頃に語学を勉強させた方が身になる、のは事実でしょう。
しかし、小さい頃に勉強したことは、何だって身になるのです。
僕は、地図がない土地ではよく道に迷うのですが、慣れ親しんだ土地では地図なしでも迷うことはまずありません。
それとこれとは話が別だ、と言われるかもしれませんが。(僕は、どっちも似たようなもんだと思いますがね。)
まず、日本語で、言いたいことを100%言えなければ、英語ベラベラだったとしても尊敬されることだけは絶対ありません。
現在大学2年生なんですが正直僕は中学の頃に英語が全くといってほどできませんでした。
親からは小学生のうちからやっておけといわれていたのに結局やらずじまいで後悔しました。
小学生の方が中学生と比べるとやはり吸収するのが早いから小学生からやっている子が多いのではないでしょうか。
僕の次の年からゆとり教育が開始したのですが学力低下しているのは親もわかっているので小学生のうちからやらせて少しでもゆとり教育が開始される前の子供たちと差をできるだけなくすためだと思われます。
滞米10年のビジネスマンです。英語は中学のときから文法を中心に勉強しましたが、実践においてはいかに発音つまりリスニングとスピーキングが重要かと思い知らされます。もちろん文法も大事ですが、これは大人になってからでも十分に勉強できます。しかしリスニングやスピーキングに関してはなかなかネイティブのようにはいきません。同僚も言っているのですが、小学生の自分の子供を現地校に入れてアメリカ人と一緒に勉強させると、すぐにネイティブのような発音でしゃべりだすようです。これには大人は到底太刀打ちできません。現在の日本での小学生向けの英語教育の現状を知りませんが、もし文法中心でリスニングやスピーキングをやっていないなら、もったいないことだと思います。耳が(脳が)新鮮な小学生のうちからリスニングとスピーキングをやると絶対将来外国人と話をするときに役に立つと考えます。
◇ 英語の三原則 ~ Too late, or not too late ~
学問に実学と哲学があり、初等教育では、次の順に修得すべきです。
「保健・体育・音楽・国語・英語・算数・理科・家庭・社会・道徳」
社会生活での重要度よりも、脳の発達過程にスライドすべきです。
日常の「読み・書き・算盤」と同じく「読み・書き・話す」を学ぶ。
国語の「朗詠・書法・思想」と同じく「韻律・美学・文化」を学ぶ。
音楽の「律動・旋律・和声」と同じく「発音・会話・文法」を学ぶ。
◇ 英語のすすめ ~ 日本語は孤島語にすぎない ~
十才の頃、近くの英語教師(同級生の父)の自宅に、数人で通った。
わずか数週間で“アルファベットの発音”を(技術的に)修得できた。
十二才で“発音記号”を学んだが、十才の経験にはかなわなかった。
のちに、英語劣等生となるが、もっと能率的な学習で修得したかった。
友人に、英語の達人が多いが、あまりにも多くの時間を費やしている。
彼らは、自分の過去の努力に執着して、翻訳ソフトに非協力的である。
未来のネット文化は、国際共通語としての英語に集中して依存する。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060609
自動翻訳の女 ~ 悪女は淑女を駆逐する ~
英語の授業時間を増やしても、格差が増すだけだと思う。
http://q.hatena.ne.jp/1134136382 あなたは英語が読めますか?
http://q.hatena.ne.jp/1147616170#a528847(評価されなかった回答)
楽譜の知識は、ほとんど授業以外のところで習得されている。
http://q.hatena.ne.jp/1134037458 あなたは楽譜が読めますか
(*絶対音感は、音楽教育や日常生活で、まったく役にたちません)
◇ 英語外論 ~ 時代おくれの諸説への反論 ~
>さきに日本語を学んでから、英語を学ぶべきだ<
かくなる順序は論拠不明。ボクシングの前に空手を学ぶ必要はない。
西洋の日本学者を玄関払いすると、日本文化は孤立してしまう。
>外国語コンプレックスが、西欧への劣等感をなくす<
人種的コンプレックスは、外国語の習熟では解消しない。
ホリエモン説「入試のツボは英語」配点の偏重を再検討すべし。
>国際感覚を身につけるため、英語を学ぶべきだ<
すべての国民に課するには、英語の知識は広範すぎる。
中学修了時点で、本人に選択させるべきだ(ABC級に分離する)。
上記の最後の行が、わたしの結論です。
totoshima さんのコメント(↑*↓)に追記しておきます。
>どんな人がどんな経緯で英語を学ばせたかったのでしょうね?<
自分が得意なゲームで、優位に立ちたい人たちが、唱えています。
少数の勝者が、多数の敗者に(意地悪く)説教したがるのです。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/01/06013100.htm
なぜ小学校で英語への取り組みが始まってきたのかといえば、
それは文科省が「英語が使える日本人の育成」を重視し始めた、
ということによっています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/05/06052621.htm
で、「小学校英語活動地域サポート事業」といった、
モデル校を選んでその成果を検証するような取り組みが
だんだん始まっている、というわけですよね。
ただここで重要なことは、現状、小学校においては、
英語は「活動」という位置づけであるということです。
教科として到達目標を定めて学ぶという目的ではなく、
活動として子供たちに経験させていくことを
主眼としているわけですよね。
ですから、社会のニーズがあって、
なおかつ子供が目を輝かせるようなことならば、
それはどんどん取り入れていっていいわけです。
学校によると農業体験などということを重視して
そのためにかなりの時間を割いている小学校もありますが、
それとほぼ同じ位置づけということです。
今後、外国語教育の一環として、
小学校の段階から体系的な英語教育を行っていこう、
と言ったことになってくると、ご指摘のように、
ただでさえ「ゆとり教育」で全体的な学力レベルの低下が叫ばれているなか、なぜ小学生から英語なのでしょうか。中学生からでは遅いのでしょうか。
といったところから改めて再検討されていかねばなりませんが、
現状では、各学校の特色ある教育方針の一環として
学校の裁量で自主的に取り組まれているという状態ですから、
上からの押しつけとは違うということで、
ある程度安心していいのではないかと思われます。
ただ、今後学力としての英語が小学生に求められるようになってくると
たしかに問題は複雑になってくると思います。
この場合は、初等教育の意義というところから、
慎重な検討が必要となってくることでしょう。
沢山回答が寄せられているので気が引けるのですが、要するにこういうことではないでしょうか。
日本の英語教育はこれまで会話を重視してきませんでした。英語の文献が読めるようになればよいという方針が戦前からずっと続いていたように思います。読解と文法重視ですね。
はっきり言って中学の英語の先生で会話下手な人多いですよね。
しかし、これだけ社会がグローバル化しくるとコミュニケーションの手段としての英語つまり会話力が重視されるようになります。
会話力となると知識としておぼえるのでなく、慣れることが大事になります。
成熟した脳に「知識」として詰め込むのでなく、脳の言語中枢の形成過程で刺激を与えて英語に適応させようとすると、低年齢からなじませるほど効果的であるという考え方になるのでしょう。
でも、教える側の人材どうするのかなぁ・・・・とは思うのですが。
2回目の回答になります。
<一方で既に何人かの方が触れられているように、それによって国語をはじめとする他の教科の授業が削られている、アイデンティティーが未確立の子どもに英語を教えることについてはどうお感じでしょうか?>
確かに、国語教育は絶対におろそかにできない大切なものだと思います。ただ、今の国語の授業の中では、読み書きや文法以外の「作者の気持ちを読み取りましょう」といった「国語」というよりも「文学」的な時間が結構多く取られていますから、その時間を月に1~2時間削って英語に慣れる時間に当てても差し支えないんじゃないかと、個人的には思います。
小学校で外国人講師と接している子どもたちを見ていて感心するのは、言葉がうまく通じなくても何とかコミュニケーションを取ろうと積極的に話しかけたりして、とても自然に接していることです。
我々の世代(私だけ?)は、子どもの頃に外国人と接する機会がほとんどなかったので、今でも外国人を見ただけで緊張してしまったりするのですが、そういった面でも、小さい頃に外国人と接し、外国の言葉や文化を知るということは、大きな意味があるのではないでしょうか。
「言葉を教える」ことに重点を置くのではなく、「人類みな兄弟」的な国際理解教育や人権教育の一環としての位置づけで考えてみると、また別の意義が見出せるような気がします。
もし英語に不自由させないようにしたいのなら,早い時期から触れさせたほうが良いと思います.要は英語に触れる時間が多ければ多いほど,自然に言葉は自然に身につく,ということです.
よく英語を早く学ばせると日本語が下手になる,ということを主張する方がいますが,人間の脳はそんなに不器用ではありません.英語も日本語も十分に話す機会を作り出せば,両方とも話せるようになります.ただそれだけのことです.
キャリアを考えるとき,可能性を最大限発揮させるには,現在既に,日本語と同じくらい英語が話せて当然とされています.車の免許と同じような価値です.持っていて当然で自慢できないが,無いと不便です.
言葉は所詮道具ですが,その道具が使えないと,ものすごく不便なのが現実です.
他の方のご意見では「始める時期」についての事が多いようですが、外国語教育で重要なのはそれだけではないと思います。継続が重要です。
小学校時代に習い事をしていたが、やめてから前よりも出来なくなった経験をお持ちの方は多いのではないでしょうか。たとえば、ピアノなどは、小さいうちから始めても、ある程度成長するまで続けて行かなければ、手が忘れて行きます。
外国からの帰国子女の子どもでも、日本の環境で対策無しに数ヶ月すると、かなり外国語を忘れてしまうようです。そして、日本で再度その言語を学ぶには、子どもには必然性が無くて取りかかりにくくなります(外国にいた時には現地の友達と話すために必要ですが、日本では必要がそれほどありませんから)。
英語の早期授業にせよ、外国での経験にせよ、小学校時代に楽しく外国語に触れた経験を、中学以降も継続して活かして行ける環境が重要だと思います。小学校と中学校の外国語教育が連動していけるかどうか疑問があります。
それに、英語に関しては少しずつ目が向けられているようですが、他の言語体験がある子どもについてはどうでしょうか。英語は、言語人口が多くて活用機会がたくさんあるとはいえ、たくさんある外国語の一つにしか過ぎません。
確かに一瞬、「ゆとり教育」なのになぜ英語が増える?と思いますが、小学校での英語の授業って、ほとんど遊びみたいなものです。
娘の小学校にも外人の先生が何度か来たようですが、英語の歌を振り付きで歌ったりしても、歌詞の意味は教えてくれないし。
単に、頭が硬くならないうちに、日本語以外の言葉があることを認識させたり、外国人の方と少し触れ合える機会を作ったり、その程度の目的でしかないのでは?
英語といっても、「話す」のと「読み書き」は全然違います。
実は私、英文科を出ましたが、まったく英語が喋れません。
英文科にいながら英会話に通っていたりした友達もいました。
それどころか、社会に出て、英語を使うことが全く無いので、読む方も、もうほとんど出来ないような気がします。
そう考えると、小さいうちから「話す」ことに重点をおいた英語教室などがある事には、「良いかも!」という気になりますが、一番重要なのは、「本人の興味と持続性」だと思います。
中学校からの英語はテストの成績をつけるための、読み書き中心の授業になりますから、耳の発達の良い時期に英語の発音に触れさせるのは良い事だと思いますが、小さいときだけで終わってしまって、その後全然使わなければ、忘れてゆくと思います。
成長するにつれても、本人の興味が続けば、自然と英語に触れる機会も多くなるでしょうから、忘れにくいと思います。
英語を覚えるというよりも、英語を含めた文化や慣習まで身につけるのにはやはり子供の時からの方がいいからではないでしょうか。中学からだとどうしても頭で考える方から入って言っちゃいますから、語学ができれぼネイティブの外国人と話すとかはできない典型的な日本人英語になってしまうような気がします(周囲の実例を見ていて)
僕は英語を小学校の頃から体系的に習う必要はないと思います。
中学校の頃はもっとも記憶力が高まる頃ですので。
実際僕もそうですし、どんどん単語を吸収しちゃいます。
でも小学校の頃に、NHKの英語番組またはラジオ(基礎英語)を時折見ておくことはオススメします。そうすると頭が慣れるからです。発音も得意になると思います。
小学生 基礎英語(会話文中心)
↓
中学生 学校の英語(文法まとめ、単語吸収)
↓
高校生 中学の延長(難しい文法)
↓
大学生 スピーチ等手紙や日常会話、ホームスt(ryも
↓
社会人 バイリンガル!
が一番良いんじゃないんでしょうか。
でも一番良いのは現地で覚えることですね。
日本では喋る環境がありませんから。
(僕もそうやって中国語を覚えました)
長文失礼しました。
Whocaresさん、ありがとうございます。
私は現在仕事上英語を使う機会が多いのですが、満足に自分のコミュニケーションをとれずあたふたすることもしばしばです。ですが、「もっと早くから英語を勉強していればよかった!」と思ったことはありませんし(単に自分の努力が足りないだけ)、自分の小学生の子供の授業で、英語か国語どちらの授業を増やすか選択権があれば国語と答えると思います。
いったいどんな人がどんな経緯で英語を学ばせたかったのでしょうね?