人と会話をしていて、感情的になりやすいと感じることがあります。
相手の言動などのきっかけで喜怒哀楽が強くなりすぎ、場の流れに沿うことができなくなるようです。
場合によっては、言動がはっきりしなくなったり、攻撃的になったりして、相手に不快感を与えてしまいます。
このような感情の不安定さを抑制・克服して、会話を楽しむための方法がありましたら、ご教授願いたく存じます。原因と対策のようなものが理想的です。
すぐ自分の中で自分を主人公にしてしまうようなところはないでしょうか。それはそれでとても素晴らしいことだと思います。しかし、入り込み過ぎて、誰かに不快感を与えることもあるかも知れません。
常に客観的な観点を持って、自分を見ている観客としての自分を作っておくと良いと思います。
しかし、あなたが絶対に守りたいもの等に関わることでしたら、一心不乱に意見をまっとうするほうが良いと思いますので、この限りではないと思います。
他人に不快感を与えないようにして生きていくことは所詮不可能ですので、多少は仕方ないと思います。
得る物があれば失う物もあるでしょう。
性格とかがよくわからないので、なんともいえないのですが
考えられる事として
相手の言葉を深読みしすぎて不愉快になっているかもしれないですね。そういうときは、少し割り引いて受け取りましょう。それは、自分が相手に説明したい時でも、自分の気持ちや思いを100パーセント上手く伝える事は難しいって感じた事はないですか?
相手も、思ってる気持ちを100パーセント伝えるのは難しいのだと思います。不愉快な表現があったとしても、基本的にいいように受け取ると、そんなに腹も立たないと思います。
あと、一時期食べ物と感情の関係をかいている本を随分読んだのですが、インスタント食品や化学調味料など不自然な?食事が多いと気持ちが荒れやすくなるそうです。玄米やお魚、野菜中心とした生活が逆に精神的にもよいそうです。そこまでは、難しいと思いますが、今の食生活を少し改善すれば、少し変わるかもしれないです。
あと、考えられる事は、性格が我慢強いのでは??
日頃嫌な事があっても、我慢してしまってると、ストレスたまります。好きな趣味とかに没頭してストレス発散したら、全体的に余裕がでるのではないでしょうか?
議論ならともかく、会話なら感情にむらがあったほうが楽しいですよ。あとは程度の問題でしょう。
予想される原因は、
・視点が一つに集中しやすい。(視野が狭いと流れを読み逃す)
・話す相手との関係を過剰に意識しすぎる。(感情は主観の産物だから)
心がけとして、
・ひとつの意見にとらわれて自論にこだわりムキになりすぎない。
・話の流れを壊さない程度に怒ったり喜んだりしてみせる表現の引き出しを持った会話の達人とお話してその技を学びとる。
といった方法はいかがでしょうか。
具体的なやり取りの例があると考えやすいのですが・・・。
相手の言動によって怒哀が強くでてしまうのはよくあることなのですが(所謂「キレる」という感じでしょうか)、喜楽の波も大きくなるということは、感情のコントロールが出来ないことと、少しでもそう自覚した瞬間に「それは相手のせい」だと思って更に火がつくのではないかと思います。
きっと感受性が強く、うちに溜めていけない性分なのでしょう。
あくまでも私の勝手な想像ですが、原因があるとしたら、以前、いじめに遭ったり、人から強く責められた事はないでしょうか?
その時にやられっぱなしだったことがトラウマになり、些細な言動にも「攻撃されたくない」と心のどこかで思う自己防衛が働いて、自身が攻撃的になるのではないかと思います。
喜楽の感情が高ぶるのも、いじめなどの経験があれば、「認めてもらえた」「仲間になれた」という気持ちが強くて起こるように思います。
高ぶった感情を行動や言動に移す前に一呼吸置くことは出来ますか。
心で思ったことをすぐ表に出すことはとても簡単です。
けれど、そういったことが相手との距離を遠ざけてしまう場合があるのです。
相手に対して何かを思っても、勢いに任せて言ってしまうのと、淡々とだったり穏やかに言うのとでは、同じ言葉でも全く違うものに聞こえます。
一度心の中で思った考えを変えることはとても難しいですが、とりあえず、穏やかに言える様な心がけをされてみるのが良いと思います。
それが出来るようになったら、思ったことを違った側面から考えられるようになれると良いように思います。
相手がどう思うか、自分がどう思われてしまうかを冷静に判断できるようになるのはとても大変なことです。
ましてや楽しめる会話というものは、相手あってこそのもので、とても難しいのです。
だからこそ、最初からそこに目標を置くと、高すぎるハードルに自信喪失してしまうかもしれません。
まずは、一呼吸置けるようにしましょう。
一つ越えられて、すんなり出来るようになったら、次・・・と、段階を踏んでいけることが良いのです。
もしもいじめや攻撃を受けたことがなかったらすみません。
おそらくこれは、語彙を増やすことで解決すると思います。
会話の最中に過剰な感情の介入してしまう時って、
ほとんど反射的に言葉が出てしまいますよね。
たとえば相手が何かを言おうとすると、
それを全て聞き終わる前に
「違うだろ」
と遮っているとか。
そんな感じです。
ここで、語彙の多さがモノを言ってきます。
同じ相手の言葉を否定するにしても、
何通りもの言い方がそこにはあるわけです。
そこで、言葉を選ぶ。
どんな言葉を使うのがこの場面では最適かと考える。
そこに「思慮深さ」が生まれてくるわけです。
日本語には、実に多様な表現方法があります。
他人から批判された時だって、それを
などによって、こちらからの対応が、全く変わってきますよね。
言葉一つで、そこに介在する感情も変わってくるんです。
したがって、まず語彙を豊かにしておいて、
その場その場で適切な言葉を
何種類もの候補の中から選んでいけるようにすること。
おそらくこれで解決すると思います。
通常の会話(絶対に譲れないことではなく)で相手が不快に感じているという前提ですが。
私の周囲で考えると、そういう方は自分しか見えていない人が多いようです。相手が全部意見を言う前に言葉を遮って自説を述べたり、楽しい話題でも過去の辛かった話でも、話題が何であっても「私はこうだった」「私だって」「私の方が」というような、相手と比較する形の話に何故かなってしまって、結果として不快にさせてしまう。。。H24さんがどうかは分かりませんが、人は、誰でも自分の話を聞いてほしいものです。ただただ「自分自分」と主張するのが問題なのは、それによって相手側が自分を受け容れてもらえなかったと感じるところにあると思うのです。
例え否定的な意見を述べる場合でも、一度は「そうだね」と受容の姿勢を示してからの方が、相手は受け容れやすいです。また、同じ単語を使って会話していても、その単語の定義が人によって異なる場合も多々あります。まず、聞く、という姿勢を取り、更に「これってこういう意味でいいの?」と確認し、その上で返答するようにしてみては如何でしょうか?
たしかに、完全に理解し合える関係なんてないと思います。けれど、理解していなくても、受け容れてもらえていたりもします。自分が思っているよりも。
色々書きましたが、もしかしたら杞憂ということも有り得ます。仲の良いお友達や、肉親など、自分が素直に意見を聞き入れられる方に、忌憚のない意見を伺ってみるのも良いのではないでしょうか?
私もあなたと同じような性格的傾向がある30台半ばの男性です。
子供の頃、異常なまでに成績にこだわる親にほとんど勉強だけしかさせてもらえないような子供時代を過ごしたため、対人関係が苦手な大人になりました。
これまでに様々なカウンセリングや精神科への通院、投薬治療を行っています。
実体験から答えさせていただくと、1時間1万円以上もするカウンセリンは、そのときは一時的に穏やかな気持ちになったように感じますが、数日もすると元に戻ってしまいます。
言葉でそう簡単に人間は変われるものではないのです。
一番良い方法はできるだけ多くの人に接することです。
就職するなら、できるだけ広い範囲の人と接するような仕事が理想的です。サービス業がお勧めです。
自分の好きな趣味のサークルに入るのもいい方法です。
それが難しい場合、インターネットなら、はてな以外にもいくつもの類似サービスや掲示板を読んで、様々な視点から物事を考えるように心掛けることが大切です。
以下には私に効果のあった漢方薬、健康食品を書いておきます。
漢方薬は副作用がないと思っている人がいますが、誤りです。副作用が少ないということはいえます。
1番下のURLは副作用がないとされている健康食品を扱う会社です。「セント ジョンズ ワート 」は特にリラックス効果が高いといわれています。
http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?sv=2&v=2&...
http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?sv=2&v=2&...
http://www.jp.pharmanex.com/cgi-bin/rwp/scripts/phx/entry.jsp
私も以前は感情的になりやすく、苦労しました(本質的には変化はないかも)。
今は少し抑えることができるようになったつもりです。
きっかけは切り返しの言葉でした。
自分に痛い言葉を相手が発したときに、
「そんなに褒められても…」
と言えるようになったのです。
つまらないことですが、何かの参考になれば。
相手の間違いを許すことができれば、解決すると思います。
次のように考えてみてはいかがですか?
人間って不完全が普通だと思うんです。
先ず自分自信が完全ではないことを認識しましょう。
すると、他の人の間違いや配慮のなさを許すことができると思うんです。
間違えて当たり前ですから。
そして、人間的になかなか間違いを犯さない人、配慮のある人に出会うと、
すごいなぁって感動することができます。
今現在、普通の人だと思っている人が、実は尊敬できる人で、
配慮がなく、悪い人だと思っている人が、実は普通の人だと考えていれば、
配慮のない一言で、極度に感情が乱されることがなくなります。
ただ、castleさんのおっしゃるように、ある程度「感情にむらがあったほうが楽しい」ですよ!
変に正義感が強かったり、潔癖症だったりして、自分の中のルールに乗っ取ってないと他人を許せなくなってしまうのではないでしょうか。
解決方法の一つとしては、
http://happy-lady.jugem.jp/?eid=114
で須藤元気選手が言ってたように、「ありがとう」という言葉を言う癖をつけるのがよい気がします。
(私も同じ経験あります)
例えば、コンビニで買い物したとします。
店員から「ありがとうございました」と言われると思いますが、こちらからも「ありがとう」と言うんです。
飲食店でご飯食べたとします。
帰り際に「ありがとうございました」と言われると思いますが、こちらからも「ありがとう」又は「ごちそうさん」と言うんです。
そういう事を繰り返していくと、不思議なもんで本当にありがとうという気持ちになっていきます。
ご参考になれば幸いです。
人は頭ごなしに否定されると、次からの言葉は聞き入れなくなります。
でも、まず自分の意見を聞き入れてもらえると、相手の意見もきちんと理解するらしいです。
子育てみたいなものですよね。
言い方は悪いですが、相手を持ち上げつつ、あなたが相手を気分良くしてあげるのです
人付き合いは、本音だけで話しては上手に行きませんね。
そして、相手を怒らしては、自分も感情的になります。
相手を上手にコントロールすることで、自分も感情的になりにくくできます。
上記の本、面白いので、読んでみると、色々なココロがわかりますよ
自分の出身地以外の方言を使うようにするとてっとりばやく、感情と会話を切り離すことができます。
私自身は両親大阪人で京阪神育ちの関西弁バリバリでしたが、東京にきて、標準語に完全シフトチェンジ。少なくとも東京在住地方出身者には関西人だと、ばれることがないレベルまで言葉を変えました。
すると、本来の感情が、自分の言葉として口から出ることがほとんどなくなりました。例えば「怒り」の感情も、関西弁で考えないとわいてこない。よく言えば、いくらでも自分の本来の感情を抑えて会話ができる、わるく言えば、自分本来の感情が表に出せなくなりました。今は状況にあわせて、標準語(ビジネスライク)、東京弁(下町系)、大阪弁(あきんど系)、神戸弁(ヤンキー系)、京都弁(はんなり系)を使いわけて、まわりを幻惑(いや困惑)しております。
バイリンガルの友人が以前いってましたが、母国語で考えるときと、日本語で考えるときで、性格も行動も判断も変わるそうです。
なるべく温和でのんびりした地方の方言を覚えて、その地方出身者になりすますのも一案かと。昨年来、方言ブームですから、けっこう受けるかも。
人とお付き合いする以上、相手に不快感を与えてしまうときがあるのは、仕方のないことではないでしょうか。
感情が不安定になるのも、人間なら当たり前のことだと思うので、あまり悩まないほうがいいと思います。むしろ、感情が豊かな人と話をしていると、すごく楽しい気分になります。
あまり抑える必要はないと思います。
攻撃的になってしまうのは、頑固な部分があるからかもしれませんよ。自分の考えにこだわるあまり、人の意見を聞き入れにくいという事なのではないでしょうか?
人はそれぞれ考え方も性格も違うのですから、それを認めて受け入れることからはじめてみてはどうでしょうか?
人は人、自分は自分、と割り切ってしまうと、意外と楽になれるかもしれません。
下のURLは心理テストのサイトです。
性格診断や、相談コーナーなどもあります。
まともな人間はそんなものです。くよくよ気にすることはありません。
感情を強くコントロールできるようになりたいなら、場数を踏むしかないでしょう。
それはそうとして、すぐに役に立ちそうな対処法は、こんなところでは?
・座って話す。
・感情的になりそうになったら、空を見て5秒数える。
身体的な問題なら、生活習慣を見直すと予想以上に効果的なこともあると思います。
会話中に感情的になるのは全く悪いことではありませんが、相手に不快感を与えていると自分で感じるのなら、どうにかしなくてはいけませんね。
会話中に感情的になってしまう原因には、相手の意見に同意できず感情が高ぶる場合と、相手の感情が伝わって第三者への感情が高ぶる場合があります。まずは、その区別をしっかりした方が良いと思います。
前者の場合、自分が寛大になるのみでしょう。しかしあなたの場合、文章からそんなに他人に対して否定的な様子は伺えませんし、こういった場所で他人に質問をし、誰かの意見を受け入れようという姿勢のある人ですから、こちらのパターンは少ないと思います。
後者の場合、その感情の高ぶりは、相手の方の中にもあると思います。例えば、「○○を言われて腹が立った」という話を聞いて、あなたも腹が立ったとします。それは自然な事だと思います。でもそこで、あなたが第三者になり、一歩下がって冷静に「なぜ相手が腹を立てたか」ではなく、「なぜ自分が腹を立てているのか」と考えてみる余裕をつくってみてはどうでしょう。人間はみんな同じ心を持っていますから、あなたが腹を立てることは、相手も腹を立てているはずです。腹が立った原因をしっかり伝えてあげることで、第三者としての役割をしっかり果たせると思います。
相手が感情の高ぶるような会話をあなたにしてきたということは、何かしら答えや意見を求めているのかもしれません。そこであなたが相手と同じように感情を高ぶらせてしまっても、それはお門違いになってしまいます。冷静に、一歩下がって意見を述べられたら、それはしっかりした会話になるでしょう。
どんな会話にしろ、人とのコミュニケーションの間で感情が高ぶってしまった時、今なぜ自分がこういった状況に陥ってしまったのかと冷静に考えられるのは大切なことです。
しかし、ある程度感情的になった会話の方がおもしろいと思います。個人的に、冷めた会話はスキではありませんから。
何でも、バランスが大切です。
回答者 | 回答 | 受取 | ベストアンサー | 回答時間 | |
---|---|---|---|---|---|
1 | carmen99 | 9回 | 8回 | 0回 | 2006-07-13 20:42:33 |
2 | ibaza | 19回 | 18回 | 0回 | 2006-07-14 02:06:16 |
コメント(0件)