【太平洋戦争を阻止せよ!】

かつてこんな質問(http://q.hatena.ne.jp/1134725325)をしましたが、今回は限定的なテーマに絞った質問です。
時間犯罪者になったつもりで、頑張って歴史を変えて下さい。
時間警察の捜査は、何とか私の方で妨害しておきますから(笑)

尚、どこまで歴史を遡っても結構ですが、なるべく現実的な方法でお願いします。

回答の条件
  • URL必須
  • 1人3回まで
  • 登録:
  • 終了:2006/08/12 01:57:09
※ 有料アンケート・ポイント付き質問機能は2023年2月28日に終了しました。

ベストアンサー

id:sdkfz No.7

回答回数992ベストアンサー獲得回数48

ポイント40pt

前回は日露戦争あたりからいじったので、今回はあまり昔に遡らずにあの戦争を阻止できるラストチャンスはどのあたりかなと考えてみると……

http://www.jacar.go.jp/nichibei/popup/pop_19.html

昭和十六年九月六日の御前会議が最後の機会だったような気がします。

この会議で海軍側が本音を語っていれば、「負ける」と素直に言っていれば開戦は阻止できたと思います。

goldwellさんはご存知かもしれませんが、海軍はアメリカに勝てないことを知っていました。

有名な総力戦研究所のレポートを待たなくても、長年の研究から短期決戦も早期講和もありえないことを知っていたんです。

ですがこんなことを公言すれば海軍の存在そのものを否定されかねません。せいぜい「初め半年や一年は随分暴れて御覧に入れます。しかしながら、二年、三年となれば全く確信は持てません」とか言ってお茶をにごすのが精一杯だったんです。

結局、ありえない可能性にすがって開戦してしまったのが史実ですが、もし仮に海軍が本音を話していたなら、「確信は持てません」ではなく「負ける」とはっきり言っていたなら、強硬派がなにを言っても戦争は出来なかったでしょう。

きっと東条陸相あたりは嬉々として陸軍強硬派を押さえますよ。なにせ海軍に責任の全てを押し付けることできるんです。陸軍強硬派の説得も随分とたやすくなるでしょう。

まあ海軍強硬派の動向が気になるところですが、何かしでかしても陸軍が鎮圧してくれるでしょう。


もっとも官僚である海軍上層部の人達が海軍を潰しても国を守るという決断を下すのは非現実的なことかもしれません。

でも、おそらくこれがラストチャンスだったと思います。

id:goldwell

かなり近い段階での具体的な阻止手段です。ありがとうございます。

それ以後となると、ハル・ノート時点くらいでしょうか。難易度を考えると、sdkfzさんの案の方がまだ可能性が高い気がします。


該当の発言は山本(ギャンブラー)五十六でしたか。どういう場での発言か記憶が定かでないですが、実際のところ実戦部隊の長としてそういう内容の発言は無責任ですよねぇ(おっしゃる通りの事情もあったのでしょうが)。

さて問題は、海軍強硬派(艦隊派の系譜とも言えるかもしれません)をどうするかですよね。

確か当時の海軍三顕職は山本五十六・永野修身・及川古志郎だったかと思いますが、このままでは難しいですね。

強硬派を押さえ込む為に、クーデターまがいのポストの挿げ替え。そして海軍の面子を潰す覚悟での対米戦反対。

天皇の内意を受けるなどという切り札が必要かもしれませんね・・・。

2006/08/06 22:54:18

その他の回答7件)

id:tomo_k No.1

回答回数426ベストアンサー獲得回数26

ポイント20pt

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%83%BD%E5%AF%BA%E3%81%A...

本能寺の変を阻止する。

1万3000ともいわれる手勢を撃破するにはある程度の人数が必要であろうが、明智光秀を暗殺するくらいなら可能であろう。

与える影響とすれば江戸幕府が誕生することもなく、歴史は根本から書き換わることが予想される。

覇 信長記―1582/天正10 覇軍西走 (ワニノベルス)

覇 信長記―1582/天正10 覇軍西走 (ワニノベルス)

  • 作者: 羅門 祐人 中岡 潤一郎
  • 出版社/メーカー: ベストセラーズ
  • メディア: 新書

のような推移が一つの説として考えられる。

id:goldwell

いきなり一気に遡りましたね。。。

せいぜい遡っても日露戦争か、明治維新を想定していましたが・・・。

本能寺の変関係の仮想if小説は多数ありますが、実際に明智光秀の暗殺だけで事足りるのか?

もし黒幕がいた場合には、第2・第3の光秀が出たりして。

あと、そのあたりから改変した場合に、史実の太平洋戦争に至る道はどう変わるんでしょうね?

歴史の想定が大変ですが、よろしければ考えてみてください。

ちなみに羅門祐人は『青き波涛』・『天軍戦国史』以降、読んでいませんね。

2006/08/05 16:01:03
id:aoun No.2

回答回数276ベストアンサー獲得回数9

ポイント35pt

もし時間犯罪者になるならばですが、武田信玄晴信の同腹の弟、二男の武田典厩信繁が主たる狙いです。


 戦国時代の川中島へ忍び込みます。上杉謙信との激戦前夜、夕刻ですね。日が暮れようとしています。上杉勢は数万の勢を退路確保のため後方の川向こう越後方面に展開させたまま、8千の勢で川中島奥深く妻女山・山頂に布陣しています。武田勢は海津城に2万の勢で立てこもっています。謙信は毎夜酒宴をし、ただ武田勢が動くのを長い期間待っていました。私が忍び込んだとき、夕方ですが、ちょうどそのころ、謙信が山頂から山下の海津城を眺めると、海津城では炊煙がいつもよりも多く上っているのを発見します。それを見た謙信は、すわ必ずや今宵こそ武田勢が夜討ちを仕掛けてくるだろうと踏みます。そこで謙信は今宵から明日に掛けて決戦を挑むべく全軍に進発命令を発する訳です。

 ちょうどその頃、私が武田本陣になんとか首を取られないように細心の注意を払いながらもぐりこむわけです。「すんません、弁当屋ですが。すんません弁当屋です。ちょおっと通して頂いてもいいすっかぁ・・・」みたいにです。(殆どここで露見して処刑される公算が強いという説もありますが)で、典厩信繁の陣屋に行き、信繁に対して急にえらそうになって言います。

「明日武田は謙信に裏を掻かれ、信玄が嫡男義信が討ち死にしそうになる。そこでそちは、進んで義信の盾となり義信の代わりに討ち死にするであろう。が、そちは義信を救って討ち死にしてはならん。ところで信玄はこのずっと後に駿河を制し、三河を攻めたところで病死するのじゃ。さて、その後なんじゃが、巨大な領土を持つ尾張者との戦で、信玄が後継と定めた四男勝頼が能力不足じゃ。武田は皆殺しにされてしまう運命じゃ。そちの役儀とは、今、義信を助けず、後に、勝頼を助くることじゃから、ゆめゆめそれを忘れるでない…ではさらばじゃ!」私は、ぼよよんと消えます(タイムマシンで帰還する為)。典厩信繁はそれを見て、はっと勘違いをし、さては八幡菩薩の化身かと思い、翌日、結果として犠牲の討ち死にを思いとどまるべく決意します。

 さて当日深夜、

 武田勢の馬場信春らが率いる1万2千の勢は深夜、闇に紛れて移動し、山頂沿いに妻女山の上杉陣場を攻撃しますが、上杉の陣は、偽の旗、捨て篝火があるだけで、すでにモヌケの殻。とっくの昔に上杉勢全軍は妻女山を降りてしまっていました。そうと知った武田1万2千は慌てますが、巨軍ゆえに細く蛇行する山道ですから、のろのろとした進軍しか出来ません。どうにもなりません。一方上杉謙信は、山の麓に広がる川中島盆地の平原のどこかで、自分を狙って待ち受けているであろう武田信玄の本陣勢8千を探そうと、既に川中島平原を進軍しています。

 早朝霧の濃い川中島の平原において、「山頂での戦に疲れ果てて越後へ帰ろうとする上杉勢を屠る」ことを目的として、川中島平原で待ち伏せをしている武田信玄8千の勢を、謙信8千がついには見つけます。上杉勢は見つけるやいなや武田勢に車懸かりの陣で取り懸かります。精強な上杉勢に正面から全軍突撃を受けた武田勢は、どんどん敗色が濃くなり、ついには武田信玄・義信親子の本陣も崩れそうになります。

 その時、信玄の制止もきかず義信隊が突撃を行います。すると、上杉の大群の向こうに孤立してしまった義信隊は、上杉勢に四方を囲まれ四面楚歌になり、全滅の危機に瀕します。それを見た初鹿野隊は義信隊を救出すべく上杉勢に突入してしまいます。重臣初鹿野は義信の代わりに討ち死にします。

 それを見ていた典厩信繁ですが、ぐっと思いとどまり、自陣を信玄本陣直前に移動させ、信玄馬廻り勢を守りながら、じりじりと後進を始めました。結局初鹿野隊が全滅し、嫡男武田義信隊を全滅させた上杉勢は、総本陣、武田典厩隊と信玄隊に肉迫しますが、典厩隊が信玄隊を支えている最中に、全体の戦況が一変します。

 妻女山に向かった1万2千の武田勢がようやく到着し、8千の上杉勢の後ろへ突撃したのです。こんどは逆に上杉勢は散々な被害を出しながら全軍全面退却に移行する番です。川向こうの越後側に陣を張り、退路を確保している上杉勢のところまで逃げていかねばなりません。1万2千の武田勢は逃げる上杉勢をどこまでも追いかけて討ち取ります。上杉勢はそのまま越後へと退却します。

 さて、このようにして嫡男義信討死、初鹿野、飯富兵部、等多数討死、となりました。狙い通りです。



というわけで、典厩信繁を救いました。


 後年、織田勢が美濃を平らげ、近江を平らげて、京へ進出しますが、兵員動員可能数が10万近くに膨れ上がります。このプロセスの中で、織田の強豪化を見ていた信玄は慌てて、今川の領地・駿河侵攻を目論見ますが、今川家の娘を妻に持つ嫡男義信の猛反発を受けて作戦開始時期が遅れてきます。遅れている間にも織田はどんどん大きな戦力になっていくわけです。結局信玄は嫡男義信を幽閉し、殺してしまいます。

 ところが、時間犯罪によって、当の義信はいないわけですね。武田の駿河侵攻の時期が少し早まります。


 次に、武田信玄が徳川家康を攻めます。家康の領土は2大拠点で運営されていました。西の岡崎城、東の浜松城です。東の浜松城付近を一掃した信玄は、亀のように浜松城に篭る家康を平原に誘い出すために、そのまま西侵し、岡崎城へ向かうそぶりを見せます。岡崎城が陥落すれば、もやは家康が助かるすべはありません。慌てた家康は城を出て、僅かな兵力で信玄の大兵団に挑戦状を叩きつけます。が、ボロボロに敗れた家康は浜松城へほうほうのていで逃げ帰ります。信玄はこのままこの近辺で死亡します。が、信玄が死んだので、甲斐へ向けて全軍撤退をします。しかしそれまでずっと、その時にも、横で信玄を補佐してきたのが、死んだはずの典厩信繁です。信玄は自分の死後は、勝頼の嫡男の幼児を後継者とし、執事として典厩信繁を家中軍事の采配者として任命します。勝頼は諏訪性を名乗らせ、一部隊長とします。


 後年、浅井朝倉本願寺を攻略し、近畿を制覇した信長は、甲斐信濃駿河上野を領有する武田と対戦するため、木柵と鉄砲を多量に抱えて長篠へ向かいます。対するは、武田勝頼ではなく、武田典厩ですので、これは騎馬隊がわざわざ地面に打ち込んだ柵へ正面突撃するような愚は犯しません。柵を後ろを突くなり、逆に撤退するなり、どうにでもなります。

 結局、信長は武田を落とせずに、様子を見ます。


 本能寺ですが、結局これは、信長が武田を攻め滅ぼしたそのすぐ後に起きています。武田領だった駿河を拝領した家康がお礼に参上した直後に本能寺の変です。言うなれば、新潟と関東平野よりも西側、しかも兵庫・近畿までを領有した用心深い信長も、かくなるうえは、いかにも織田は安泰と考えたため、逆に今度は部下の粛清を始めたわけですね。それの一部に対してのリアクションが本能寺だったという流れとして、

 武田が攻略できなければ、或いは、信長も呑気に部下の粛清などやっていなかったでしょう。そうなれば、本能寺の変も無かったかもしれません。


 仮に本能寺でなくても信長が暗殺されたとして、例えば秀吉が天下を取ったとしても、家康が天下を取ったとしても、両名とも、大の武田贔屓でしたので、これを配下に収めるべく工作し、全滅させはしなかったかもしれません。


 秀吉と家康が戦った小牧長久手の合戦も、家康が三河遠江駿河甲斐信濃と5カ国を領有していたから、出来たことです。三河2国程度では秀吉と戦うことはできません。


関が原も動向が変わってきます。上杉が弓を引き、光成が乗りますが、この時に武田が秀吉の部下として大領土をもっていたでしょうから、関が原も動向が変わってきます。


細部はもうよく分かりませんが、本能寺は武田攻略によって発生したということがありますので、この時武田が滅ばず、ただ現状を維持していただけで、日本の歴史が予測不能になると思います。


 ということで、武田信玄の弟・次男・武田典厩信繁を川中島で戦士させない、ということです。

乱文失礼しました。

id:goldwell

aounさん版、if戦国小説ですね。

じっくり読ませていただきました(^_^)

えーと、どこまで行けば太平洋戦争まで繋がるかと心配だったのですが・・・。

1番目のtomo_kさんと同様に、歴史を全く別の方向に変えてしまおうという意見ですね。

よろしければ、「予測不能」なところをあえて近代・現代と予測していただきましょうか(酷

せっかくのっかり3回もいただいたので、もっと回答ください!(回答上限も増やしますよ)

ここは個人的意見なんですが、武田氏が勢力を保った場合ですが、おそらく上杉氏に似たような立場になるんじゃないかと思われます。

いずれは天下を制圧した勢力の臣下として屈する(領地も減らされ)のではないかと。


史実の長篠の戦いは起こらずとも、大名としての組織や動員システムの遅れ及び経済的・地勢的な不利は、リーダーのすげ替えだけでは補えないと思うのです(有能な後継者が続くかという問題もありますし)。

このあたり、島津・長曽我部あたりも同様ですね。

まぁ勢力を保った場合に、どういった役割を演じるのか興味はありますけどね。

2006/08/05 17:27:26
id:fuk00346jp No.3

回答回数1141ベストアンサー獲得回数54

ポイント25pt
  • 明治政府の思想/主義(王権復古・大国追従・帝国(植民地)主義)の問題ですので政府に意見出来るような明治天皇にする。帝国主義が無ければ無用な摩擦も起きずに済むでしょう。

 

ちなみに時間警察は要りませんよ。量子論の多世界解釈(無数の選択分岐があり、それを選択しなかった並行世界がある)が既に確立していますので。

http://nourl

id:goldwell

むぅ、これはまた難しい問題です。

現実には、帝国(植民地)主義による不平等条約撤廃や待遇改善を目指したという流れがあると思うのですが、もし明治天皇の意志を尊重させた場合に、どんな選択肢が考えられるでしょうか?

まぁ、近世以降の天皇は建前は別として、まさに「君臨すれども統治せず」という仕組みですので、「統治する天皇」が明治以降の時代にうまくマッチするか微妙な気がしますが。

「時間警察」「時間犯罪者」については、豊田有恒の小説から取り上げた冗談ですよ。

何せ書かれたのが80年代ですから。

>量子論の多世界解釈が既に確率していますので

そうだったんですか。浅学にしてしりませんでした。

パラレルワールド(並行世界)がいろいろとSFや歴史小説の世界で取り上げられるのは知っていましたが、

2006/08/05 17:46:29
id:fuk00346jp No.4

回答回数1141ベストアンサー獲得回数54

ポイント15pt

「君臨すれども統治せず」

朝廷は(武官である)幕府(征夷大将軍)に政治を任せて来ましたので政治に疎いとこがあるのが難点ですよね。元々将軍家も天皇の血筋なんですが^^;

そこの流れ(軍事政権)を変えれれば軍閥との結びつきも無かったでしょうしって事で「ものを言う天皇」を考えてみたんです。

 

駄文:

量子論(量子力学)のうち重ね合わせ観測をし計算結果を反映させるのが量子コンピュータです。(計算中に観測すると結果確定してしまうというへんちくりんなコンピュータですが。

現在のビット単位からキュービット単位へ移行し1000キュービットクラスの量子コンピュータをインターネットに接続すれば現在の全暗号アルゴリズムが崩壊すると言われています。総当たりアタックが短時間で可能になる為)

参考URL

http://www.kurejbc.com/quantum/qic001.htm

 

P.S

時間警察・・・ドラえもんからかと思ってました^^

id:goldwell

最後の天皇親政が後醍醐帝でしたっけ?

その結果を思うと・・・。

結局、まつりごとは君臣に任せるのが、ベターな形というのがいつの間にか出来上がったのかもしれません。

明治天皇は英邁な方だと聞いていますが、周りが実際にまつりごとを許したらどんな結果になっていたか?気にはなるところです。

もう少しゆる~い国になっていたか?あとは当時の列強による帝国主義の中でうまく立ち回っていけたかどうかも気になるところです。

>量子コンピュータ

ハハァ、聞いたことだけはありました。

>時間警察

そういや、ドラえもんもそうでしたね。

中学・高校の頃かじったSF小説がパラレルワールド(並行世界)の原点みたいなもんなんで。

2006/08/06 00:10:16
id:imo758 No.5

回答回数121ベストアンサー獲得回数19

ポイント35pt

1.つまらない解ですが、前史アフリカに赴いて

毒を散布しまくれば

人類は誕生しなかったのでは…。

ただしアフリカサバンナ起源説に限りますが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%AE%E9%...

2.ニュートン、オイラー、コーシーなど

著名な科学者を若いうちに暗殺して

西欧の発展そのものを遅らせてしまう。

3.ジョージ=ワシントン初代大統領等を暗殺して

アメリカ独立を阻止する。ただしイギリスが直接

太平洋戦争で戦うことも予想されるため疑問。

4.ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)に核技術を授ける。

第一次世界大戦でドイツが勝利すれば

ヨーロッパ=ドイツ帝国とアメリカで大西洋戦争に突入し

アメリカは太平洋戦争どころではなくなるかもしれない。

だがドイツ=アメリカ帝国と日本が太平洋で衝突する

可能性は残されているため疑問。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%...

5.ヒトラー政権下のドイツにおいて、早期にバイオテロを敢行。

ドイツの国力を殺いでおけば、

日本がドイツにつくことはなかった可能性が高い。

だがどっちにしろアメリカと日本がいずれ衝突する可能性が

残るために疑問。

どっちみち人類が存在し国家が発展していく限り

太平洋の覇権を巡る戦争は勃発せざるを得ない気がします。

id:goldwell

なんかですね、この質問を立てた当初は、日露戦争から日中戦争あたりまでのごく近いところで歴史を改変する回答が来るかな、と想定していたのですが。

質問文冒頭の元ネタ、檜山良昭の小説のタイトルなんですが、こちらも2.26事件あたりからの試みでしたし。

いざ、回答を開いてみて「なるほど、そういう手もありかぁ」と感心しました。

歴史の可能性は無限ですね。

imo758さんの回答の中で興味深いのは、3ですね。バイオテロとか核技術はちょっとやり過ぎですよ(^^;

アメリカ大陸に強大な国家が生まず、清末期のような列強の権益がぶつかる場所となっていたら、太平洋を巡る争いもまた別の様相となっていたかもしれません。

そこで日本がイギリスとロシアのあいだの巧くたちまわれるかどうかが鍵ですね。

2006/08/06 00:20:30
id:aoun No.6

回答回数276ベストアンサー獲得回数9

ポイント20pt

 どうも先ほどは失礼を、、、

 回答せよとおっしゃって頂けるのは大変に光栄至極ですが、ただちょっと太平洋戦争関連の歴史の分析等は大変に複雑で高尚なカテゴリだと前々から恐れていたところでして、さらには知識もまったくなく。完全な無知カテゴリでして。さらには、自衛隊の戦略研究においても、太平洋戦争の研究は盛んに行われていると聞きますし、また関連書籍も多いです。

 ただですね、素人なりに常々大きな疑問だった点と言いますと、こと純粋な戦略戦術において、巨大な敵と戦う場合に戦線拡張は単なる命取りでしかないのではないのかなと、常々思っておりました。何故に、東南アジア方面、満州方面等を戦線棄却し、陸海軍ともに、日本韓国周辺に集結させ密集体制を取らなかったのだろうか、と純粋な戦術論で思っていました。要は各種権益だとか、国のあり方だとか、それはもう現実的にはいろんな要素でガチガチだったのでしょうが。ただ戦略戦術で言えば、密集体系を取れば、海面下は潜水艦、海面は軍艦、陸上は陸軍、が密集していることになります。ミサイルもない時代ですので、それによって一斉撃破を喰う心配もないわけです。兵站線も有効です。一つの艦隊、その後ろから連携してそれを保護する二つめの艦隊、海面下を周遊する潜水艦隊。このように連携する布陣は強いのではと。広大なエリアを保護しても意味はありません。(ただ当然石油その他の輸入物資確保などの点もあるのでしょうが。ただそこは力量差を考えれば、予め戦闘物資は備蓄を、無理でしょうけれど。戦闘期間は短期決戦を主眼として、柔軟な和議交渉を主要な案件とする、これが通常の常道ではないかと)そうしておいて、東南アジア戦線を維持するよりも、狭小密集体制に対して、遊軍としてはハワイなどのアメリカ本土系を指向させ、小さく激しく辛く働くようにする方が良かったのではないかと。

 何故このように密集戦略を取ることが気になるのかと言いますと、おおよそ私の感なのですが、あの当時のあんな国民性・あんな政府であったとしても、密集体制を敷いた上での戦局の悪化は、往々にして和議を整え易い結果、判断を生むのではないか、と考えるからです。もうひとつには、逆に言えば、当時のアナログなテクノロジーの中で、アメリカにしてみれば、密集体制が組まれた狭小なエリアへは攻撃を仕掛けたくないものです。ですので、

 もしも仮に、陸軍、海軍が協調して密集戦線を敷いたならば、結局は、アメリカも手出ししにくく、しょせんはお手合わせの後すぐに一旦和議となり、本土空襲も原爆も無かったかもしれないなと思います。

 であれば、まず真珠湾で不意打ちをし、敵の戦力にダメージを与えたならば、即座に陸海全軍を一斉に日本韓国付近に全面集結させて、そこで密集戦闘態勢を敷き、米軍を待ち構える。同時に少数の精鋭機動部隊はアメリカ方面へ向けて遊軍として行動し、米軍の後ろ側に出て追尾。まあ無論レーダーも無いのですから話にはなりませんが、こういう戦略観を取っていれば、面白い結果になったかなと思います。

 おそらくはある程度戦ったところで一旦和議をし、戦闘態勢を解かないままで柔軟に条件交渉を行った結果になったのではないでしょうか。飽く迄も大将側の心理としてですが。

 密集体制全力の艦隊や、陸軍本体が、一定のダメージを受けることによって、指揮官としてもダメージの絶対値、米軍との力量差、長期的なリスクが極めて明白に感じられたのでないか。ただいたずらに拡大した戦線を防衛することによって生まれた巨大なリスクが、もしも縮小戦線を敷いていたならば存在しなかったのではないかなと考えますので、その点がifならば、大変興味深いなと思いました。

id:goldwell

ご丁寧にありがとうございます。このたびの質問にあたっては同時進行している、

http://q.hatena.ne.jp/1154750674

にて、4番目のitarumurayamaさん回答へのコメントに書いた通りなんですが、

付け加えると、こういう質問って正解の回答が無いわけなんですね。

100人いれば100通りの回答があったっていいわけで。

だから多少方向性がずれていても構わないんですよ。

まぁ、突っ込みどころは、どんどんコメントで突っ込みますが(笑)

もしずれまくっても、最初のaounさんの回答みたいに楽しませてもらえればそれはそれでいいのでは、と思うし。

勿論、本質をズバッと突く鋭いご意見こそ正攻法として来て欲しいですが。


やはりのっかり戴いたポイントは、仕切りなおしするより、当質問にて回答数や上限をアップするとか、良回答に高ポイントといった使い道がベストかな、と思っているわけです。


さて、ご質問の件、戦前の状況を書いた本を読め、と言えば楽なんですが(笑)

誤解を恐れずに私なりにざっくりといいますと、当時世界で3番目の海軍国に成りおおせましたが、肝心の産油地帯はほとんど連合国側が抑えており、主な輸入先はアメリカでした。

で、いろいろあって、経済制裁として禁輸されてしまった。備蓄は1年分(たぶん)くらいしかない。

今も昔も日本は持たざる国ですから、これは参った。

困った日本は南進策として蘭印(インドネシア)などの資源地帯を攻略すべく動いたわけです。


そんで、戦争序盤にうまく行き過ぎた日本軍は、調子に乗って北はアリューシャンから南はニューギニアまで手を伸ばしていってしまったんです。

信じがたいことに詳細な戦争計画を立てていなかったというのもあるんですけどね。


戦争に負けた原因はいろいろ挙げられるんですけど、海戦・陸戦に負けたという直接的なもの以外に、補給線を遮断(潜水艦や機雷などにより)されてしまったというのが大きいのです。

今だって考えてみてください。マラッカ海峡を封鎖されただけで、どんな大きな影響が出るか・・・。


だから、終戦間際、軍艦はそこそこ残っていたけれど、石油が無いので動けなかった(沖縄特攻した大和は何とかかき集めた)というのもあります。

要は、どれだけ精鋭が本土付近に残っていても、動かす資源が無ければどうしようもない。

それから、前半~中盤に人的資源を消耗してしまっのが大きかったのです(人命軽視の風潮がありましたし)。


実際、戦線縮小に動いたのが、確か昭和18年あたりからだったのですが、既に時遅しだったんですね。


かなり飛ばしましたがそんな感じではないでしょうか。もし機会があれば、別のところでこの件は話し合ってもよいかと思いますが、長くなりますのでこのへんで(^_^

2006/08/06 12:46:58
id:sdkfz No.7

回答回数992ベストアンサー獲得回数48ここでベストアンサー

ポイント40pt

前回は日露戦争あたりからいじったので、今回はあまり昔に遡らずにあの戦争を阻止できるラストチャンスはどのあたりかなと考えてみると……

http://www.jacar.go.jp/nichibei/popup/pop_19.html

昭和十六年九月六日の御前会議が最後の機会だったような気がします。

この会議で海軍側が本音を語っていれば、「負ける」と素直に言っていれば開戦は阻止できたと思います。

goldwellさんはご存知かもしれませんが、海軍はアメリカに勝てないことを知っていました。

有名な総力戦研究所のレポートを待たなくても、長年の研究から短期決戦も早期講和もありえないことを知っていたんです。

ですがこんなことを公言すれば海軍の存在そのものを否定されかねません。せいぜい「初め半年や一年は随分暴れて御覧に入れます。しかしながら、二年、三年となれば全く確信は持てません」とか言ってお茶をにごすのが精一杯だったんです。

結局、ありえない可能性にすがって開戦してしまったのが史実ですが、もし仮に海軍が本音を話していたなら、「確信は持てません」ではなく「負ける」とはっきり言っていたなら、強硬派がなにを言っても戦争は出来なかったでしょう。

きっと東条陸相あたりは嬉々として陸軍強硬派を押さえますよ。なにせ海軍に責任の全てを押し付けることできるんです。陸軍強硬派の説得も随分とたやすくなるでしょう。

まあ海軍強硬派の動向が気になるところですが、何かしでかしても陸軍が鎮圧してくれるでしょう。


もっとも官僚である海軍上層部の人達が海軍を潰しても国を守るという決断を下すのは非現実的なことかもしれません。

でも、おそらくこれがラストチャンスだったと思います。

id:goldwell

かなり近い段階での具体的な阻止手段です。ありがとうございます。

それ以後となると、ハル・ノート時点くらいでしょうか。難易度を考えると、sdkfzさんの案の方がまだ可能性が高い気がします。


該当の発言は山本(ギャンブラー)五十六でしたか。どういう場での発言か記憶が定かでないですが、実際のところ実戦部隊の長としてそういう内容の発言は無責任ですよねぇ(おっしゃる通りの事情もあったのでしょうが)。

さて問題は、海軍強硬派(艦隊派の系譜とも言えるかもしれません)をどうするかですよね。

確か当時の海軍三顕職は山本五十六・永野修身・及川古志郎だったかと思いますが、このままでは難しいですね。

強硬派を押さえ込む為に、クーデターまがいのポストの挿げ替え。そして海軍の面子を潰す覚悟での対米戦反対。

天皇の内意を受けるなどという切り札が必要かもしれませんね・・・。

2006/08/06 22:54:18
id:Nekomanma No.8

回答回数11ベストアンサー獲得回数0

ポイント35pt

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E4%BA%9C%E8%AB%96

1.江戸時代における、鎖国を禁止する。天草君の反乱をやめさせて徳川秀忠を説得する。

2.大日本帝国憲法制定や文明開化の前にもっと使節団を海外で勉強させる。

3.脱亜論?そんなもん出版禁止!

4.文部省のお偉いさんになって軍国教育禁止させる。

といったところでしょうか。

なぜ太平洋戦争が起きたかといえば、日本が、西洋諸国をカタチだけ真似たから、アジアを蔑視しすぎたからということは、理由としてとても大きいと思います。

日本人は、西洋の文化を取り入れることは躍起になって行いましたが、権利や義務、社会のありかたといった思想や法制度といった本質的なものを見てこなかったのだからだと思います。

だから、国際社会で孤立し、アジアを蔑視するというファシズムに走ったのではないでしょうか。

ファシズムに走った三国でも、日本とドイツ・イタリアではその性格は違います。

ドイツ・イタリア

植民地抗争→第一次世界大戦→負けて制裁→ファシズム化→第二次大戦

日本

海外に追いつけ・追い越せ→そのためにはアジア諸国を植民地に→列強諸国からやりすぎじゃないかと批判殺到→国連脱退・孤立化→日中戦争で泥沼→太平洋戦争という流れだと思います。

戦争に人を駆り立てるには、それを支える思想が不可欠です。ムッソリーニ政権もヒトラーもそうでした。だったらその元を断ってしまえ!というのが私の考えです。

その場で思いついたものだから、ツッコミどころ満載かもしれません。あらら。

id:goldwell

Nekomanmaさん、ダイアリでは色々とお世話になっております。

さて、思想面やアジア外交から戦争への道を変えるということですね。

これもまた着眼点としてはなかなか素晴らしいです。


ツッコミというか、個人的意見を付けさせてもらいますんでお気にならずに。

1.江戸時代における、鎖国を禁止する。

天草四郎の乱ってキリスト教弾圧の象徴のように言われますが、実は武断政治による不平浪人達の最後の叛乱だったのではないかという見方もあるそうで。

要は文治政治をもう少し早く行っていたら、乱も起こらずなし崩しの鎖国もどうなっていったかですね。


3.脱亜論

うーん、日本としても最初は手を携えて欧米に対抗していこうと東アジアに期待していた人って少なくともいたと思うのですよね。

福沢諭吉にしたって、リンクにあるとおり開化派の金玉均の暗殺などによって、頑迷な伝統墨守政策に絶望したそうですね。

思うに、1の鎖国政策が史実と変わっていたら、朝鮮や明・清との外交関係も変化が生じるかもしれません。

そしたら史実よりもっと開放的な東アジアに変わっていたかも!なんて・・・

しかし史実通りの明治維新を迎えていたら、難しいかな・・・。


>思想や法制度といった本質的なものを見てこなかった

うーん、宗教とかでよく見られる換骨奪胎は日本人の得意技とは言え、これは悪い面が出た例ですかね。

>列強諸国からやりすぎじゃないかと批判殺到

帝国主義の是非を現代の視点では語るなんてことはしませんが、要するにやり方が下手だったんじゃないかと。植民地政策の先進国である英・仏という老獪な国は連合国側、後進国である独・日という急進的な国は枢軸国側になったわけですね。

2006/08/12 01:22:22
  • id:goldwell
    愚問にお付き合いいただき、ありがとうございました。
    こういった質問って正解などなく、歴史を題材にした、ちょっと頭を使ったお遊びみたいなものなんで。

    かなり力作な回答が来たことが嬉しかったです。
    ついコメントを打つ手にも力が入りました(笑)

    ポイントについては、かなり主観で割り振らせていただきましたので、何卒ご容赦のほどを。

この質問への反応(ブックマークコメント)

「あの人に答えてほしい」「この質問はあの人が答えられそう」というときに、回答リクエストを送ってみてましょう。

これ以上回答リクエストを送信することはできません。制限について

回答リクエストを送信したユーザーはいません