質問者に「おもしろい」「コメントしがいがあった」「勉強になった」などと思わせてください。質問者はコメントにてお答えします。一番心動かされた回答(質問)にいるかを。
◎基本的にネタですので、質問者のキャパを越えたものには正しいコメントがつくとは限りませんのであしからず。
◎また、私に対しての質問ももちろん可ですが、あんまり個人的なことはNGとさせていただきます。
この質問は
http://q.hatena.ne.jp/1157075945
から思いついたものですが、直接的には関係ありません。
ご質問します。
あるアメリカ人・男性・23歳が、アメリカで出会った日本人女性(同年齢)と、やや安直に(アメリカ的な離婚容易な感覚で)アメリカで結婚し、結婚直後に女性側の要望でそのまま日本に移住してきてしまいました。その辺は勢いですね。
で、年齢も若いため精神的にも発展途上な訳ですから、奥さんを愛しているのか他の女性を愛しているのかも定かではなくなり
(非常に明るく論理的な男なのですが)
(こういう愛という側面については柔軟な男であり、柔軟で安直なのでこういうことになる)、
(もう一つにはブラック文化っぽい男女関係感もある)
よくある話ですが、奥さんも若いのでやや子供っぽい考えが多く実家にべったりで、その男の子は時には浮気してしまいながらも、奥さんに対して不満や不足を持っています。上手く行っていないわけですね。
さらには、奥さんのために日本に来てしまっているので、仕事に関しても中途半端なわけです。家族とも離れてしまい、母国語の世界も懐かしくなり、ついにはタフガイ的なその男の子も、強度のホームシックになってしまい、仕事へのモチベーションが強烈に下がってしまい、困っています。一種の挫折、一種のハードな生活への行き詰まりですが。。。
「もう日本語も喋りたくない気持ちだよ」と日本語で言っている状態なのですが。。。
私はホームシックという概念が分からない人間なので、さしあたりこのホームシックを治すにはどうすればいいのかについて、妙案もあろうはずがありません。。。。
ですので、お尋ねします。この男性のホームシックの部分のみを治すには(他は全ておおめに見るとして)、つまり元気にさせる、仕事へのモチベーションを上げさせるには、ホームシックとやらを直すには、いったいどういう方法がありますか。。。
例えば暖かいキドニーパイでも腹一杯食わせれば、ホームシックも直るかなと、思ったのですが、そうすると余計ホームシックが酷くなるような気もしますので、お尋ねいたします。。。
時間不足で。。。乱文の程お許しください。
どうしてお宅のウサギさんは、
「ヤスーッ!」と言っているのですか?
なぜ階段から落ちているのですか??
http://q.hatena.ne.jp/1151387822
の時に出た話題の続きですね。
うちのアイコンはブログペットのうさぎ(飼った時はβ版でうさぎしかいなかった)をキャプチャしたものなんですが、
私が某コーヒー飲料のCMで「蒲田行進曲」の階段落ちのシーン(「ヤスーッ!」「銀ちゃんかっこいい…」の辺り)がパロディされている、といったことをダイアリーに書きましたところ、
ある日突然うちのうさぎが「ヤスーッ!」と叫びまして。
あんまりおかしかったのでキャプしましたよと。
こう次第でございます。
ちなみに蒲田行進曲をご存じない方は↓をどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E7%94%B0%E8%A1%8C%E9%...
世界には、たくさんの言語がありますが、もし、言語が一つだったら、どんな世界になっていると思いますか?
旧約聖書をうのみにするならば、
散らばって暮らすよう神に命じられていたにも関わらず、
同じ言葉を有していたがゆえに、
一つの塔を天へと伸ばしひとところに集まろうとしたようですから、
このまま互いの言葉がわからなくなるようなことがなければ、
究極の単一国家として、国境も宗教の違いもNO○Aも知らない人類が存在していたかもしれないですね。
ですが、既に意思疎通にギャップを持つ私たちにいきなり統一言語を渡されたとしたら、
これはかなり混乱を招くのではないかと思います。
住環境の違いと同じように、言葉の違いが文化や慣習の違いを生んでいるように、
言語が統一されることによって、それらの違いを統一しようとすることに軋轢が生じるのではないかと思うので。
ただ、言語がなくとも意思疎通ができるようになるならば、
人類は別の進化を遂げるかもしれません。
個が失われて究極の「地球人」という一つの生命集合体になってしまうのではと。
それが今を生きている私にとってはあまり幸せなことに思えないんですけどね。
…とここまで書いていて栗本薫氏の「セイレーン」に収録されていた「Run with the Wolf」という話を思い出しました。
人生は何のためにあるのですか?
現代科学では宇宙は無から生じたことになっていますが、それなら生命の発生も偶然の結果でしかないのでしょうか。
人間が動物の1種に過ぎないのなら、欲望のままに行動することが本来の姿ということになってしまいませんか?
私はポイントを消費してまで他人の質問に答えるような方が、動物の中から出現するとはとても考えられません。
渋い質問が続いて腕が鳴ります。
(まぁ、鳴るだけですが)
問いかけがいくつかにわかれているように思うので一つずつ。
>人生は何のためにあるのですか?
これは全人類にとってということでしょうか?
とりあえず地球上に限定してよいのなら、
人類に限定してよさそうですよね、「人生」を認識している生物は人類くらいしか知らないので。
その全人類ですが、「人生」とは人が生きる道筋そのものを言うものだと私は思うので、
そこに「目標」は見出せても「何のため」…意義を定義するのは難しそうです。
むしろjyousekiさんが聞かれたいのは「人はなぜ生き続けなくてはならないのか」ではないのかなと思ったりもします。
実際今を生き、過去未来へ渡ることが許されていない時間に縛り付けられた私にとって、
「人生」はまさに今も途中であって、
「死」という結末が至らないうちに「何のため」かと評価しても、所詮中途評価にしかならないのではないかと思います。
ちなみに現時点での私の中途評価は「生きてるだけでまるもうけ」です。
ただ、もし、「人生」という言葉に対しての意義であれば、
こうして人生と言葉が存在することによって思いを巡らせることができ、
他人に伝えることもできるので、そうした行為の補助としてあるのではないかと思います。
>現代科学では宇宙は無から生じたことになっていますが、それなら生命の発生も偶然の結果でしかないのでしょうか。
宇宙の外側の人にとってはどうかわかりませんが、
中の人の私たちにとっては、今その発生の仕組みがわからない以上、
偶然の結果として捉えていいのではないかと。
また、私たちが「無」と捉えているものが、外側の人にとってしてみたらもっと違うものなのかもしれませんね。
…あくまで外側の人がいれば、ですが。
>人間が動物の1種に過ぎないのなら、欲望のままに行動することが本来の姿ということになってしまいませんか?
人間が今の様態になったことを「進化」と考えるなら、例え欲望のままに行動することが本来の姿であっても、そこに敢えて戻る必要はないのではないかと思います。
それと人間が動物の一種であることとはまた別の論点のような気が。
>私はポイントを消費してまで他人の質問に答えるような方が、動物の中から出現するとはとても考えられません。
これは単に「動物」の定義と、「人力をどう楽しむか」という点についてそれぞれ思いが違うからだと思います。
私も「動物的な人間」から人力で質問する人は出てこないんじゃないかなとは思いますが、
私がこうした質問を立てるのは、お金を出してトリックに騙されるためにミステリを買ったり、
クロスワードの雑誌を買ったりするようなもので、
こうしてみなさんの質問に相対して鈍った頭をリハビリさせたいからだったりします。
いるか賞の「いるか」の名前は何なんでしょう?
杓子定規にお答えしますと、
http://hatenaquestion.g.hatena.ne.jp/keyword/%e5%84%aa%e7%a7...
--------------------------------------------------------
「いるか賞」とは「いけてるかいとう」の略で、一つの質問に投稿された回答の中で、もっとも優れた回答に対して付けられる勲章です。
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というわけで、3月のリニューアル前にはなかった新しい機能です。
基本的には回答はポイント配分で評価されるわけですが、
以前は回答者ランキングをポイントで算定していたものを、
リニューアル後はこの「いるか賞」を基準に算定しているんですね。
いるかは1質問に一つしかつけられませんし、つけなくてもいいものなので、
それだけに質問者の思いを伝えるには良い機能ではないかと思います。
(優良回答が二つあったときは葛藤しますけどね!)
ちなみにいるか絡みでおもしろかった質問を。
?は はてなまーく or クエスチョン‐マーク
では、
!は びっくりまーく or なに?
約物としての呼び方ということですよね。
エクスクラメーションマークと呼ぶと思います。
http://www.japanlink.co.jp/dtpjiten/e/ekusukuramark.html
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?stype=0&dtype=0&p=%A5%A8%A5%A...
この世には、人生において5回も落雷にあった男性がいるそうで(!)
落雷にあった当人は自分は呪われており、雷がついてまわるのだと語っているそうですが、ほんとうの理由はなんでしょうか?今までけっこうたくさんの友人と議論してきたんですが「運が悪い」という解答にいきつくばかりでした・・・。どうしてだろう?気になります。
もしかしたら…
http://www.sdn.co.jp/products/lightn/sikumi/higai.html
落雷の仕組み
http://www.garafaku.com/ele/03action/hold01.html
静電気体質
もちろん他に状況因があると思いますが、
(他に落ちるべき対象が少ないとか)
「その人」に落ちる理由で思いついたのは帯電体質の人のこと…。
いわゆる静電気体質の人ですが、これは外部のプラス電気を呼び寄せてしまうというものなので、
地表のプラス電気に向かって落ちてくる落雷の目標になりやすいのかな…なんて。
だとしても相当強力だとおもいますが。
(あくまで私個人の考えですのであしからず!)
ドラえもんが完成したらどうします?
または、ドラえもんの道具を手にしたらどうします?
まず友達とか知り合いが買うのを確認して見に行きますね。
後はネットでの評価とか。
(まるでPCのニューモデル扱い…ごめんドラ)
そして自分に使いこなせる代物かをよ~く吟味してから購入検討したいところです。
なにしろ我慢弱い人間なんで、そんな誘惑てんこもりの代物がおうちにやってきたら…。
もしかすると四次元ポケットのオプションはダミーで良し!とか言っているかもしれません。
(コミュニケーション用として欲しい)
そしてドラと昔話に花を咲かせたいですね、のび太との暮らしとか色々。
道具は結構いくつかの道具でほとんどのことが賄われてしまうような気がします。
タイムマシーン(は!あんな机うちにないぞ!)
どこでもドア(移動手段遠距離用/格安家族旅行)
タケコプター(移動手段近距離用/出勤とか、送り迎えとか)
もしもボックス(オールラウンド。でも使用法を誤ると悲劇)
タイム風呂敷(超エコロジー!でも家電業界軒並み倒産?)
とこの辺りを駆使してスーパー主婦を目指したいところです。
ありがちな質問かと思いますが、突然資産家のおじいさんと名乗る人が現れたとします。その人は戦争経験者なので、二度と日本が戦争に巻き込まれない事だけが願いだと切々と語り、涙ながらに「ワシが死んだら遺産はお前に託す。日本をいつまでも平和な国にするために使ってくれ」と言い残して去っていったとします。そしたらその後本当に、なんとそのおじいさんの財産を相続することが決まってしまいました。税金を払っても、手元に50億が残りました。この遺産、どんなふうに使いますか?自分のために使うには多すぎる金額ですが、おじいさんの遺志を実現するにはとても足りない中途半端な金額です。
ええと、色々考えましたが、とりあえず自分の趣味に走ります。
まず無人島を一つ買います。そうですね、できればタックスヘイブンなところがいいですね。
領土問題もクリアできればなおさらgood。
この島に訓練施設を作ります。
金にあかせてその道のプロを集めた諜報部隊の訓練施設です。
卒業生は随時世界各国に飛んでもらって、
情報操作で日本を平和に導く手助けをすべく、暗躍してもらいます。
多分余らないでしょうが、多少余るなら運用して活動資金にします。
もちろん施設にはおじいさんの名前がつく予定です。
あなたは神を信じますか~?(外国人風に)
(生真面目に)内なる神を信じます。
でも他人の神が皆私と同じだとは思いません。
合掌。
ちなみに以前同じように街角で声を掛けられて、
「あなたの神の名前は?」と聞き返して、
「残念ですが私の信じている神とは違うようですね、さようなら」
と言ってわかれたことがあります。
また、高校時代の小論文の師匠(高校教諭)は、
神の御使いを笑顔で家に招き、
その論法で相手を改宗させるテクニックの持ち主でした。
勉強をする意味はなんでしょうか?
どうして、勉強しなければならないのでしょうか?
世界には勉強しなくても生活している人はたくさんいます
勉強といっても色々あると思いますが、
基本的には自分が必要だと思うものを得られればいいのだと思います。
難しいのは、経験や知識などを積んでからでないと「何が必要か」がわかりにくいので、
果たして今「勉強」していることが自分のためになるのかがわかり辛いことが多いということでしょうか。
また、自分が「何が必要なのか」自体見つけるのも難しいので、
更に「勉強」の意味がわからなくなることも多いように思います。
そういう意味では早くに自分が必要とするものを絞ると、
どんな勉強をすればいいかということがわかりやすくなるのではないかと。
もちろん得たいものや目標もなければ敢えて勉強する必要はないでしょう。
求めるものがなく、ただ生きる伸びることが目的であれば、
必要な勉強は少ないでしょう。
大事なのはそういう自分をどう思うか…かと。
存外学生時代は学校の教科学習だけが「勉強」だと思いがちですが、
実は部活動などで学んだことの方が後々の自分の役に立つことも多いと思いますし、
バイト経験がいい勉強になることもあります。
社会人になってからも、会社の仕事自体もそうですし、
飲み会一つも勉強だと捉えれば学ぶこともあります。
私は勉強をする意味は今日よりもうちょっと明日が楽しいといいなと思えるためで、
目的は自己実現ですね。
人は何の為に生き、何の為に死ぬべきでしょうか?
私は己のために生きます。
その「己のため」の中に近しい他人も包括されれば、その人たちのためでもあるといい変えられるかもしれません。
ただしそんなに積極的な方ではないかもしれません。
ある意味最低限の幸福のために生きているとも言えそうです。
最低限の幸福とは、自分や大切な他人が消滅しない程度に色んなことがありつつ、
喜怒哀楽も四季の移り変わりも体験できる生活のことです。
ただ、私は何かのために死ぬことはないと思います。
また「死ぬべき」と定義されることもないと思います。
万一定義できる存在がいるとしたら、
生殺与奪権を握っているモノであって、
そういう意思が本当にあって「死ぬべき」と思うなら、その存在のために死ぬべきなのでしょう。
ただし自分の命を代償にして有り余る何かを守るためであったらその限りではありません。
rikuzaiさんは読書家のようなので…
日本における
・年間の新刊書籍(雑誌は除く)のタイトル数
・および1タイトル当たりの平均販売冊数
は、それぞれどれくらいかわかりますか?
http://www.ajpea.or.jp/statistics/statistics.html
出版科学研究所
http://www.jagat.or.jp/story_memo_view.asp?StoryID=9841
印刷界OUTLOOK
↑こちらのサイトさんがデータ分析を兼ねて「出版月報」のデータを参照されています。
それによると、2005年度の書籍推定が7億3944万冊とのことです。これは売上冊数なので、タイトル数はわかりませんでした。
冊数は出ているので「出版月報」のデータを引っ張ってきたら平均販売数の算出はできそうですが…。
つい最近、テレビを見ていて気がついたことがあります。
耐震強度偽装事件で、姉歯元建築士が国会で証人喚問を受けました。
その後、建築基準法違反だかで逮捕、起訴されました。
その初公判が行われ、裁判の様子のイラストなどが報道されていました。
その時に気付いたのですが、国会で証人喚問していた時には、黒々としたふさふさの髪がありましたよね。
ところが、最近報道された姉歯元建築士の頭には全く見受けられません。
前頭部は肌が完全に見え、後頭部も白髪が少しある程度の印象でした。
そこで質問なのですが、姉歯元建築士の黒々ふさふさの髪の毛はどこへいってしまったのでしょうか?
なお、回答(コメント)は推測で構いません。
もちろん根拠があれば、明示していただいて構いません。
以上思いつくまま箇条書きにしてみました。
残念ながらこれらを証明する根拠溢れるサイトを発見することはできませんでしたので、
全て憶測ということで。
何故rikuzaiさんには、煙突の中に忍び込みたいという欲求がないのですか?
それは、
雰囲気をふいんきという人が多いのはなぜでしょうか?言語学的に回答をお願いします。
確かにこれは興味深いですよね。
http://zakkan.racco.mikeneko.jp/010205fuinki.html
http://zakkan.racco.mikeneko.jp/041201fuinki2.html
なるべく発音が楽になるように変化していくのである.
アクセントによっては「ふんいき」より「ふいんき」の方が発声しやすいですね。
http://www.tt.rim.or.jp/~rudyard/kaego010.html
こちらでも原因の一つにアクセントを挙げておられますが、
「雰囲気」という漢字表記を知らない、あるいは失念しているということです。
…確かにそれもありそうです。音で聞いてから後で漢字を知った場合、なかなか正しい方になおりにくいかも。
http://nhg.pro.tok2.com/reserch-2/reserch1-99.htm
こんな統計結果も。
う~ん。決め手はありませんが、
私は「雰」という字を習うのが小学校の高学年くらいだと思うので、
漢字より先に音が入ってきてしまい、これが自分の言いやすい方に転換されて覚えてしまうためではないかと考えます。
そして後から漢字を見ても修正しきらないと。
こんな感じではないでしょうか。
電子レンジを途中で止めてまたスタートするとそれまでとは逆の回転をするのはどうしてですか?とても気になります。
http://page.freett.com/kiguro/zzz/z-kagaku/renjidai.html
http://www.discovery.panasonic.co.jp/electricity/lab/lab02mw...
↑みたいになんで回転するかは分かるんですが、どうして逆回転するかはわからないです~
(既にうちの電子レンジは回らない時代の…)
http://www.page.sannet.ne.jp/je3nqy/onechip/motor1.htm
想像の範疇ですが、
ターンテーブル下の駆動が単純なモーターだとして、
偏った磨耗を防ぐために電源が入るたび逆回転スイッチのような形でスイッチングさせているのではないでしょうか。
あは、これが精一杯です~
・何か資格を取ろうと思うのですが、比較的簡単に取れてしかも役に立つ資格はどんなのがあるでしょうか?
・私はかなりのマイナス思考なんですけど、どうすればプラス思考にかわりますか?
・私はアトピー性皮膚炎なんですけどどうすれば直る、もしくは気にならない程度によくなるのでしょうか?(アトピー歴は長く、いろいろな方法は試してみました。)
資格ですか~。
どんなことがお得意なのでしょうか。それによって「簡単」度も随分変わってくる気がします。
ちなみに「役に立つ」のレベルも、就職の際に武器になるとか、自分の教養となるとか色々ありますが、
実質的に実社会で有用な資格ほど難度は上がるというイメージです。
その中で「比較的簡単」の部分に特化して言えば、
TOEICや漢検などの低い級、
http://www.kanken.or.jp/index.html
オンラインの検定
http://www.kentei.co.jp/index.html
などは一般的な教養を伸ばしてくれるでしょうし、後々上級を狙っていけば就職にでも通用する資格になっていきますね。
また、ネットでもヤフオクなどをされているのなら
Yahooのインターネット検定なんていうのもありますね。
(資格とはまたちょっと違うかもしれませんが)
後、個人的に↓が気になってます。
http://cert.yahoo.co.jp/beginner/shokuiku.html
食育エキスパート
簡単よりもうちょっと上、勉強時間もちゃんととれますというなら、
日商簿記
とか
http://shikaku.biglobe.ne.jp/athuman/class/medical/
医療事務
とか
秘書検定
辺りも有用ではないかと。
目指す仕事内容によっては
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%BF%E7%90%86%E5%B8%AB
調理師検定
危険物取り扱い
辺りも。
次にマイナス思考→プラス思考。
ある意味想像力が豊かなんだと思うんですね。ただ、その方向性が後ろ向きという。
でも正直それを無理やり前向きにすることもないと思います。
まず最初にするのはマイナスでもプラスでもないフラットな自分をイメージすることかなと。
ただ負のイメージをかきたてるのではなくて、まず事実をきちんと把握して、
なすべきことを考えて、それから想像を働かせたほうがいいイメージを抱きやすいように思います。
例えば友人から別の友人が自分の悪口を言っていると告げ口されたとして、
言われたことに対して「きっと私が何かしたんだどうしよう」と一気にいってしまうのではなくて、
まずなんとかしてその真偽を確かめる行動からはじめるという感じです。
大抵動かずに考えるだけの時は私もマイナス思考になりがちなので。
そして最後はアトピーですね。
これは難しいです。正直いまだに正解がない病気ですよね。
私も友人でアトピーが原因で退社してしまった人がいますが、
そうとう症状が重かったので、彼女の結婚式では人事ながら泣けました。
実際彼女の場合もそうでしたが、
アトピーは体質的なものに加えて精神的な部分の影響も多分にあるようです。
体質に関してはこれも人それぞれだそうなので、ある意味化粧品のように自分に合う方法を探していくしかないと思うのですが、
精神的な部分はまずストレスの軽減からつとめるのが一番ではないかと思います。
先の質問で「マイナス思考」という言葉もありましたので、
プラス思考への転換はこちらの質問にも共通のように思います。
法と社会常識はイコールになるべきですか?
私はいたちごっこなのではないかと思います。
社会通念や常識といったものを明文化して、そのコミュニティ全員にいきわたらせるために法が存在していると考えているからです。
そして社会常識は時と共に変化していきます。
なので常に社会常識→立法ということですね。
これが逆転する場合は、むしろ法が社会常識を「想定」する行為になるかと思うので、
これを為政者が故意にすることは阻止した方がよいと考えます。
桃太郎は、いわれるがままに犬猿きじにきびだんごをあげ、一見頼りない動物を味方につけたのにはどういう理由があると思いますか?
それから、もしあなたが桃太郎だったらどんな動物を味方に3匹(羽、頭など)連れて鬼退治に行きますか?
rikuzaiさんが良く答える質問はどんな質問ですか?
自分の回答者としてのタイプを分析してみてください。
よくこたえているのは…
ただ、基本おっちょこちょいなので、よく勘違い回答なんかもしていると思います。
申し訳ない。なので最近は乗り遅れたら潔くあきらめてます。
またコミュニケーションを求めているところがあるので、コメントが全くない質問者さんの回答はちよっと遠慮気味かも。
ご質問します。
あるアメリカ人・男性・23歳が、アメリカで出会った日本人女性(同年齢)と、やや安直に(アメリカ的な離婚容易な感覚で)アメリカで結婚し、結婚直後に女性側の要望でそのまま日本に移住してきてしまいました。その辺は勢いですね。
で、年齢も若いため精神的にも発展途上な訳ですから、奥さんを愛しているのか他の女性を愛しているのかも定かではなくなり
(非常に明るく論理的な男なのですが)
(こういう愛という側面については柔軟な男であり、柔軟で安直なのでこういうことになる)、
(もう一つにはブラック文化っぽい男女関係感もある)
よくある話ですが、奥さんも若いのでやや子供っぽい考えが多く実家にべったりで、その男の子は時には浮気してしまいながらも、奥さんに対して不満や不足を持っています。上手く行っていないわけですね。
さらには、奥さんのために日本に来てしまっているので、仕事に関しても中途半端なわけです。家族とも離れてしまい、母国語の世界も懐かしくなり、ついにはタフガイ的なその男の子も、強度のホームシックになってしまい、仕事へのモチベーションが強烈に下がってしまい、困っています。一種の挫折、一種のハードな生活への行き詰まりですが。。。
「もう日本語も喋りたくない気持ちだよ」と日本語で言っている状態なのですが。。。
私はホームシックという概念が分からない人間なので、さしあたりこのホームシックを治すにはどうすればいいのかについて、妙案もあろうはずがありません。。。。
ですので、お尋ねします。この男性のホームシックの部分のみを治すには(他は全ておおめに見るとして)、つまり元気にさせる、仕事へのモチベーションを上げさせるには、ホームシックとやらを直すには、いったいどういう方法がありますか。。。
例えば暖かいキドニーパイでも腹一杯食わせれば、ホームシックも直るかなと、思ったのですが、そうすると余計ホームシックが酷くなるような気もしますので、お尋ねいたします。。。
時間不足で。。。乱文の程お許しください。
ホームシックですか…。
田舎とか故郷の概念が薄い私にも実感しにくいものではありますが、
私も日本を離れたらかかるのかもしれませんね。
(まだビザもとったことないんですけどね)
日本人が外国でホームシックにかかると、よく味噌汁が飲みたいとか、白いご飯が食べたいというなんてことを良く聞きますが、
キドニーパイが郷愁を誘うのであればそれも一つの方法ではないかと思います。
(しかしキドニーパイとは…実家はイングランド系なのかな)
できればどこかお店で食べるとかだけでなく、彼のアメリカの実家にレシピを聞いて、
できるだけ実家の味に近い方がより効果があるのではないでしょうか。
そこで気になるのは彼のアメリカの実家と彼の家庭の関係は良好なのでしょうか?
頻繁に手紙や電話などの交流があるのなら、ホームシックも和らぐのではないかと思うのですが。
知り合いでフランス人の奥さんと日本人の旦那さんのご夫婦がいらっしゃって、
基本日本で暮らしていましたが、子供が夏休みになると奥さんの実家の方にお子さんを連れて一月ほどステイしていましたね。
また、お互いの国の家庭料理を奥さんがよく作っていたのも覚えています。
推測ですがもしかして彼の奥さんと、彼の実家とはあまりうまくいっていないのではないでしょうか。
その辺りに奥さんへの不足の原因もあったりとか…。
もしそういう問題は全然ない、ということなら、
是非奥さんに実家のレシピを会得してもらってはと思います。
奥さんの努力自体が冷めた家庭をあっためてくれるかもしれませんし。
または、思い切って休暇をとってアメリカに帰ってみるのも一つかと。
(それで行ったっきりになってしまう可能性は捨てきれませんが)
いや、実はごにょごにょ…しかもちょっと修復は難しい…ということであれば、
日本在住のアメリカ人のコミュニティに参加したり、
(各自治体で主催していることがあります)
アメリカ人がよく集まるお店に行ったりして、
母国語に触れる機会を作ってあげるくらいではないかと思います。
幽霊は本当にいるんでしょうか?世の中の不思議なことはすべて、科学的に説明がつくんでしょうか。
「幽霊」は人間の脳が作り出したものなので、人間が一人でも「幽霊はいる」と考える限り「幽霊」はいなくならないと思います。
(まるで某先生の受け売りのようですいません)
ただ、肉体に対しての霊魂といった意味だと、これはやはり何かしら現実としてあるのではないかと思います。
問題はこの「現象」が物質的に証明ができるか、異なる次元でしか証明ができないかで、
物質的に証明できるなら科学の範疇でしょうし、
異なる次元であればその次元自身の存在を証明することが(現在想像はされていますが)必要になるのではないかと。
私の希望は実は科学の埒外であって欲しいですね。
というのは、人類の手に物質以上の人間の仕組みの秘密を渡してしまうのは怖いからです。
とりあえず私は「幽霊が見える」などの不思議な「現象」についてのメカニズムは科学的に証明可能かと思いますが、
存在自体を規定するのはかなり難しいと思っています。
最近よく起きている
・親による子殺し
・子による親殺し
について、どう思われますか?
また、このような事件が増えている原因は何だとお考えですか?
あえて引用なしの一個人としての見解を。
まず前提として、親殺し、子殺しは従来から日本にありました。
それは姥捨て、口減らしと言った名前でも伝えられていますし、
近代でも貧しさから子どもがたくさん殺されていた事件があったりします。
http://yabusaka.moo.jp/kotobuki.htm
寿産院もらい子殺し
こうした過去の多くは貧困からくるものでしたが、
近年の事件はそれ以外の原因から起こってくるのが特徴のように思います。
子殺しの場合、親の養育能力の低下が一番大きいように思いますが、
これは核家族化と地域コミュニティの崩壊から、
子育て技術の伝達がうまくいかないことや、親の未熟、育児ノイローゼ、母親の孤立といった問題の行き着いた先が子殺しなのではないかと思っています。
これと平行して親殺しは少子化などによって家庭内のヒエラルキーが逆転したり、
同等化したり、
愛情の集中によって子供が精神的に窒息してしまうためではないかと感じています。
また、横の繋がりが失われているため、逃げ場がないということもあるかと思います。
これは介護殺人などの親殺しも、制度の貧弱さもありながら、極々身内に全ての負担がかかってしまう現状に大きな原因があると思います。
こうした「殺人」について私がどう思うかと言うと…
辛いとか、悲しいとか、無力感でしょうか。
皆それぞれ精一杯で自分以外のことになかなか手を伸ばすことが難しいのだとも。
こういう機会をいただいたことですし、とりあえず隣人と仲良くしたり、
友人の愚痴を慶んで聞くことくらいから始めようかと思います。
以上通り一遍ですがこんな感じで。
「はてな」は何をどう改善したら、より楽しめるでしょうか?
あなたは「はてな」を楽しんでいますか?
改善ですか…ふうむ。
Web2.0の恩恵を受けているとはいえ、プログラム的なことはほとんど無知に近いので、
システムなどについての改善はアイデアにお任せして、
とりあえず人力に関して。
私は現在の状態でも十分楽しんでいるので、あまり強い改善の思いはないんですが、
荒れるのも覚悟でもう少し定連さんとご新規さんが手軽にコミュニケーションをとれる場があったらいいのになと思いますね。
確かにダイアリーやポイント送信を使えばコンタクトはとれますが、
はてなの使用方法自体を聞くのにもポイントが必要だというのはちょっとおかしいんじゃないかな?とおもうことがあります。
(正直機能は使っていかないとわからないことが多い)
ボランティアでナビゲーターのような人を設定するなんていうのも。
使い方がわかればもう少し質問も回答も活性化するように思うのですが。
あなたが今までの人生の中で一番誇れる
ことははんですか?
一番…
結婚できたこと、ですね。
コアな趣味をお互い理解できる愉快な伴侶を得られましたので。
ちょっと重い話します。
DEATH NOTEご存知ですか?
簡単に言うと重犯罪人を主人公がDEATH NOTEを使って殺してしまう物語。
重犯罪人を殺していく主人公に少し賛成してしまいます。
質問者様はどうでしょうか?
やはり重犯罪者と言っても殺しまではすることないでしょうかね。
DEATH NOTE 知ってますよ~
うちに全巻ございます。
さて、私がDEATH NOTEを使って「犯罪者」を「裁く」ことに賛成かどうかということですが、
まず結論から言うと賛成しません。反対です。
ただし、これは一般的な立場からだから断言できることで、
自分がその犯罪者の被害者や被害者の遺族であったなら、感情的な部分で「是」と言ってしまったり、ダメだとわかっていても衝動的にノートに書き込んでしまうかもしれません。後で後悔するかもしれませんが。
そういったことを抜きにして、第三者が罪を犯した人間を裁く手段として、
DEATH NOTEを使うことはあまり賛成できません。
確かに見せしめとして、犯罪の抑止力には効果があるだろうと思います。
でもそのDEATH NOTEを使う人間に「犯罪」の全ての判断を委ねることに恐怖を感じますし、
表向きのデータの裏側にあるものまで一人の人間が全て公平に見切って裁きを下すことは困難だと思うからです。
現在の裁判制度や死刑制度が完璧だとは思えませんが、
一つのケースに何人もの人間の意見をすり合わせることで、
少しでも社会的に公平な「裁き」を下そうとしていることは間違いなく、
そうした制度を通すことなく一方的に裁くと言うことは、
ある意味「個人の考え方による殺人」と同じではないかと思うのです。
私たちは未来を確実に知ることができません。
既存のデータから推測することが限界です。
実際何人の人間を殺した極悪人が数年後何百人もの人間を救う本を出版することだってありますし、
虫一つ殺せないような人が突然大量虐殺に走ってしまう事だってあります。
それを現時点で断罪してしまうことが果たしてよいのかわからないのです。
未来を確実に知ることができるなら、社会への今後の影響を数量的に表すことも可能かもしれませんが。
どうしても自分が手にしてしまったとするなら、
リュークに不幸な死に方をする人を教えてもらって、
少しでも楽に死なせてあげたいと思ったりするんですが。
(死に方も変えられるわけだから)
なぜペンギンは鳥なのに空を飛べないのですか?
http://www.kaiyukan.com/ask/pengin/
http://www.asahi-net.or.jp/~kw6a-tnb/penguin.htm#Q28
http://www.asahi-net.or.jp/~kw6a-tnb/penguin.htm#Q55
↑によれば、大昔はペンギンも空を飛んでいたようですが、
餌となる魚などが海の中であったことと、天敵がいなかったために飛んで逃げる必要もなく、結果飛ぶよりも泳ぐことに適応する身体になっていったからではないか、ということですね。
キリンの首が高木の餌に届くように長くなったようなものでしょうか。
ちなみに同じように飛べない鳥であるダチョウは、すんばらしい脚力の持ち主ですね。
まぁ、個人的には「飛べないところがかわいいから」とか思っていたりして。
最も寿命の短い多細胞生物って何ですか?
http://www.hikarigaoka.jp/naturalz/484.html
↑によると、「生物学」の教科書に「生物寿命表」なるものが掲載されていて、
この表では有名な「カゲロウ」が約二時間でトップのようです。
http://www.ne.jp/asahi/kikko/living/diary-musi38.htm
ではカゲロウならみんな短命かというとそうでもなく、
ある種のカゲロウの成虫期が1~2時間であるというのが正解の様子。
つまり幼虫時代から考えるともう少し長生きと考えられるかもしれない。
そこで単細胞生物と多細胞説物の境界にいるボルボックス君辺りを調べてみると、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%...
彼らのライフサイクルは48時間程度らしい。
これは生まれてから次の個体が生まれるまでの時間なので、
ある意味純粋な寿命ではないかと思うのですが。
粘菌辺りなどでライフサイクルが更に短いものもいそうですが、
私の検索力では発見できませんでした。
生物学に明るい方、是非教えていただきたいです。
なので私からは断定的にボルボックスということで。
引力って何ですか?
林檎は引力によって落下しますが、その力はどこから、なぜ
発生しているんですか?
「引力」だけならば、物理学上の基本的な4つの力の内の一つであり、
二つの物体の間に働く作用(相互作用)のうち、互いに引き合う力のことを言います。
反対に反発しあう力を斥力と言いますが、万有引力…所謂重力と言うものは、引力だけが存在しているとされています。ただしこの現象には地球が自転しているため、更に遠心力が作用しています。重力は引力と遠心力の合力で求められます。
なので地球上で林檎が落下するのは、厳密に言えば「重力」の仕業といった方が通りがいいかもしれません。
さて、この重力ですが、実は重力の発生自体の理論はまだ完成していないようです。
http://www.asu.ac.jp/~kubota/question/hoka/00_hoka_5.html
http://homepage3.nifty.com/UFOdev/Theory.htm
http://www.try-net.or.jp/~h-arita/gravity/gravity/pack1/stu3...
というか、わかった人は即ノーベル賞らしいです。
現時点での「人工重力」も基本的には遠心力を応用したものですしね。
重力のメカニズムが解明されて制御できるようになったら相当いろんなことができると思いますよ。
(そういうSF自体はたくさん読んでますが(*^。^*))
「音」は、空気の振動が「耳」という器官を反応させることにより認識されます。
では、動物など耳を持つ生物がいない場所で「木が倒れた」とします。
この時、音はしたのでしょうか。
仮にこの答えを「耳がないので音はしなかった。空気が振動しただけ」とします。
フト現地に赴くと、誰かが忘れていったテープレコーダーが録音の状態になっていました。
再生した場合音はするのでしょうか。
仮にこの答えを「テープは音の振動をマイクで拾っただけて、耳のないところに音はない」とします。
では、耳の聞こえない人だけがいる状態で、誰かが魂の叫びをあげたとします。やはり音はしないのでしょうか。
古典的な哲学のお話ですが、3つの質問を有機的に統合する回答をお願いします。
もしくは、第一質問に対して「音がした」理由を頂戴しても結構です。
http://homepage1.nifty.com/manikana/philosophy/philo1.html
http://www.melma.com/backnumber_31740_59772/
いわゆる「誰もいない森の中で木が倒れた」で始まる有名な命題ですね。
「音」の定義が人の可聴域の物体の振動だと既に定義付けられている以上、
答えは「しなかった」になると思います。
「木の倒れる」音を「音」として認識する対象がなければ「音」は認識されないのですから、
「音」として存在することはないでしょう。
それはあくまで振動に過ぎません。
「音」はすると思います。
なぜなら録音テープを再生することで、「音」を聞く対象があるわけですから(少なくとも再生者)、
対象の耳に入った段階でその倒木の振動は「音」として存在することになると思います。
なので、ymghさんが提示している「テープは音の振動をマイクで拾っただけて、耳のないところに音はない」という答えとは違うということになります。
ただし、このテープが再生(観測)されるまでは「音」たり得ない状態が維持されます。
この状態の時は「音はない」と言ってよいかと思います。
「音はしない」と思います。
例えそれが「音声」であっても、可聴でない限りその場の人にとっては「音はしない」と思います。
ただし叫びを上げた人以外の人にその叫びが伝達されたかされなかったかについては、別の論議かと思います。
以上の三点順次回答しましたが、これらの回答は
という考えと定義を元に発言しています。
なので、「音」の定義を変更したり、観測結果に対する解釈でなく命題そのものを吟味するということならば、哲学的なアプローチになると思います。
つまり、
「木の倒れた音を誰も聞くことがないのであれば、そもそも木は倒れていないことになるのではないか」とか、
「聞くことができるものがいない場所での声は存在しないことと同じではないのか」
といった命題ですね。
こちらはかなり難しくなるかと。
ちなみに↓の文庫に収録されている
「コカコーラ・レッスン」内の「質問集」「質問習続」はこういった命題を美しく表現しているなぁと感心したことがあります。もし未読でしたら是非。
ホームシックですか…。
田舎とか故郷の概念が薄い私にも実感しにくいものではありますが、
私も日本を離れたらかかるのかもしれませんね。
(まだビザもとったことないんですけどね)
日本人が外国でホームシックにかかると、よく味噌汁が飲みたいとか、白いご飯が食べたいというなんてことを良く聞きますが、
キドニーパイが郷愁を誘うのであればそれも一つの方法ではないかと思います。
(しかしキドニーパイとは…実家はイングランド系なのかな)
できればどこかお店で食べるとかだけでなく、彼のアメリカの実家にレシピを聞いて、
できるだけ実家の味に近い方がより効果があるのではないでしょうか。
そこで気になるのは彼のアメリカの実家と彼の家庭の関係は良好なのでしょうか?
頻繁に手紙や電話などの交流があるのなら、ホームシックも和らぐのではないかと思うのですが。
知り合いでフランス人の奥さんと日本人の旦那さんのご夫婦がいらっしゃって、
基本日本で暮らしていましたが、子供が夏休みになると奥さんの実家の方にお子さんを連れて一月ほどステイしていましたね。
また、お互いの国の家庭料理を奥さんがよく作っていたのも覚えています。
推測ですがもしかして彼の奥さんと、彼の実家とはあまりうまくいっていないのではないでしょうか。
その辺りに奥さんへの不足の原因もあったりとか…。
もしそういう問題は全然ない、ということなら、
是非奥さんに実家のレシピを会得してもらってはと思います。
奥さんの努力自体が冷めた家庭をあっためてくれるかもしれませんし。
または、思い切って休暇をとってアメリカに帰ってみるのも一つかと。
(それで行ったっきりになってしまう可能性は捨てきれませんが)
いや、実はごにょごにょ…しかもちょっと修復は難しい…ということであれば、
日本在住のアメリカ人のコミュニティに参加したり、
(各自治体で主催していることがあります)
アメリカ人がよく集まるお店に行ったりして、
母国語に触れる機会を作ってあげるくらいではないかと思います。