生徒側は教育の経費を税金としてを支払っており、教師にタダでボランティアをしてもらっている訳ではありません。
教師側が給料を受け取る事は一つのビジネスとして成立している以上の理由付けは難しく思います。
「我が師の恩」と言う歌詞を歌う行為は、個人的に教師に恩を持つ人間がそれぞれの場で感謝し謳えば良い物であると考え、一斉に強制的される物ではないと考えます。
卒業式など重要に参加せざる得ない場所で、強制的に教師に向かって起立しを斉唱すべき事は「仰げば尊しに反対する者も少なからずおり、このような主義主張を持つ者の思想・良心の自由も、他者の権利を侵害するなど公共の福祉に反しない限り、憲法上保護に値する権利。 起立や斉唱の義務を課すことは思想・良心の自由を侵害する」
一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制することに等しく、教育基本法10条1項で定めた『不当な支配』に該当し違法すると考えられます。
先生は歌いたくなければ歌わなくても良いのに、生徒は強制されるのか?と生徒から言われたときに先生はなんて言葉を返すのかは気になります。
気持ちは理解できますがこれ(先生側も生徒側も)が増殖していけば学校とかクラスとか成り立たなくなるような気が個人的にはします。
以前、塾の講師を7年ほどしていた経験からお話しするので、
違法か、どうかではなく、生徒側の視点で。
まったくもって、ナンセンスだと思います。
都知事が、「国歌の強制は違法」判決にたいして、「判決を下した裁判官は、現場を知らない、崩壊しているから、必要」
みたいなことを言ってましたが、都知事こそ、現場をしらない。
生徒は、ネットメディアが発達したことで、多くの情報を得るようになりました。情報のない世界では、一歩的な情報支配による独裁で、言うことを聞かすことが可能です。北朝鮮のように。
都知事が言ってる、昔は・・・というのはこれと同じこと。
情報が少なければ、国歌を歌わして、仰げばと落としを歌わして、一方的に教育を、していけば、子供は言うことを聞いたでしょう。
しかし、今は違います。
生徒は、ミクシー・ブログで自主発信のコミュニティを形成しうる時代。強制するのではなく、自主発生させる仕組みが求められている。
講師をしていたときは、物理を教える時も、音楽好きの生徒には、ライブやギターの音の仕組みとか、興味をもっていることをベースに押していました。(こうすると、情熱がすごいんです。)
なので、将来的には、クラスという枠組みがなくなるんじゃないかと、。すんでいる地域でわけるのではなく、興味や、関心、ごとに授業を形成するなんて考え方もあるかもしれません。
まとめ
集団行動のための、ルールを教える(強制する)ことは、必要です。
が、仰げば尊し・国歌は、価値観を強制しています。
必要なし、悪影響のみ。
だと思います。