http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E6%86%8E%E3%81%97%E3%81%BF%E3%81%AE%E9%80%A3%E9%8E%96
私的にはこれもありだなぁー
と思うのですが皆さんはどう思います?
日本のようにきちんとした法治国家であればその考えは通用しますが・・・
それに復習の方法は、やられたことをそのまま返す事だけが復習ではありませんから合法的な方法だってあります。
法というのはあくまで人が決めたルールであって、頼るものではなく利用すべきものです。
極論ではありますが、もし戦争を始めた2つの国があったなら両方とも滅んでしまえば殺し殺されの循環はなくなりますよね。
あと利用と頼るは客観的には同じことでしょう
要するに、心構えの問題としてはどう捉えるのもありだけど、
破滅にまわりを巻き込もうとしたら回りは当然どうやってでも
(法を改造したり新作作ってでも)止めるよということ。
でももともと引用先の文章が論理的に整合してない悪文だから
これ以上の議論は無意味。
例えどんな愛し合った家族ですら自分以外は他人ですから、
言葉の意味を言うと『利用』は能動的、『頼る』は受動的意味合いです。
>>要するに、心構えの問題としてはどう捉えるのもありだけど、
私が言いたかったのはそれです。実際に復讐しなくてもそういう心構えをしていれば憎しみの輪が大きくなる事は無いんじゃないかと思っているわけです。
最後に、物事は大きな目で観ることが必要です。絶対的な事なんてありはしません。この考え自体も絶対ではありません。
が法学的には私的復讐は有ってはならない。
心の中だけにしまえればいいだろうし、
家庭や恋人では憎しみに憎しみで返すことも有りかもしれない
しかしひとたび「復讐」を行えば、
最終的に司法が裁くまでおちてゆく悪循環が起こる。
社会とか、人の目とかはそういうふうに働くものだ。
憎しみを(隠して)持っていることだけでも
そんな人とは付き合いたくないとか
そんなストレスがあっては長生きできないだろうという人も多い。
まして、自分のやり方で復讐しようとする
(=悪意を行動に出す)人はなんらかの社会的制裁を受ける。
法治国家で許された復讐は司法にゆだねるしかない。
でもまあ、例示のサイト自体が、
アンブローズビアス「悪魔の辞典」を踏襲するかのような
ネタサイトですし、復讐と憎しみを切り分けて書いてくれないのに
まじめに考えてもしかたのないことですね。
私ならこのようなサイトにはあまり近寄らず、
必要ならば「悪魔の辞典」を500円の文庫で買って読みます。