化学でも人生でもそうなのですが、
しらみつぶしで答えを探せばいいことはわかっていても、
設備も時間も体力(人手)も足りないことのほうが多いわけです。
だから、身の回りのオトナにも苦労した人ほど
その人なりの必要に応じて積み上げてきた哲学があります。
たとえば、
「悪法も法なり」といって、支配者からの毒杯を呷る人も
哲学者(兼科学者)にはいたし、
自分が何のために化学をやってきたのか、
わからなくなって宗教へ行ってしまい、
そしてオウム裁判を受けた化学者なんかもいますよね。
(宗教は哲学と非常に近いですから迷ったのですね)。
まあ善悪の軸でいうとオウムの人は結果として間違っていたわけですけど・・
年を重ねると無害な宗教にハマる科学者も多いです。
たとえばアメリカ人宇宙飛行士で後年
「宇宙から見る地球はキレイすぎて神がいるとしか
思えなかった」という理由で宗教を立ち上げた人がいます。
ごくごく簡単にいえば自分が何のために生きているか、
生きる手がかりをいくつか見つけておくことも
その哲学のひとつになるでしょう。
村上春樹の新刊を買って読み、
好きな歌手の新しいCDを買うために生きている、
それでもいいのです。
マネができそうなら、
漫画の主人公の「ジャイアンには逆らわないけど後で仕返し」とか
ゲームの主人公の
「使えるアイテムはすべて使う、使えないものは売る」とかでもくだらないこと何でもいい。だから、何を読んだって自分が受け取れるものがあればいいわけです。
(到底マネしたくないようなものはあまりプラスにならないでしょうけど)
もちろん、村上春樹の小説にでる主人公のように、
非常にあっさりした人間関係で、自分なりの筋をとおす真実へのこだわりを持つ
という点であってもいいと思います。羊に関する冒険で、
「お前の事務所なんかいつでもつぶせるんだぞ」といわれても
決して屈しなかったのが主人公の哲学の一端を示しているでしょう。
自分のものにしたと思っても実際はとても適用できない場面がありますから、
応用を深めることによって哲学にして高めていけばいいのです。
問うことであり、どんなことにでも疑問を持つこと。
誰も疑問に思わないことに疑問を持つことはとても大変で難しい。
化学にしろ哲学がなければ生まれてこなかっただろう。