個人的には、「事実は一つだが、真実は人の数だけある」と思っています。
現実に起きた出来事=事実について、人々がそれをどう捉えるかは各人にゆだねられていると思います。
そのため、その事実についての各人の思い=真実は、人の数だけあるのではないでしょうか。
歴史や文学の解釈が例になるかもしれません。
URLは「事実」でウィキペディアを検索してみて気になったものを。質問や回答に直接関係はありません。
先後関係と因果関係 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%88%E5%BE%8C%E9%96%A2%E4%BF%8...
真実はひとつです。
しかし悲しいかな、不完全である"人間"が事象を完璧に認識することができないので各人間の真実が他の人間達の真実と同一にならないのです。
真実はいつもひとつ!
其の通りです!
表面的には違うように見えても
根っこまで掘っていけば最終的に真実は1つなのに
気が付きます
真実は1つじゃないように思うのは
表面的なものしか見えていないのではないですか?
「真実」という言葉の意味を、その環境も含めてどう捉えるかですね。
原理主義者の立場は単純で明快です。
「真実」なのだから一つしかない。変化する「真実」は「存在しない」あるいは「存在してはならない。従って●◎は粛清されるべきだ・・・。」などと過激な考え方をされる宗教関係者がニュースに登場したりします。
原理主義の反対はたぶん現実主義だと感じるのですが、真実の解釈について正反対であるが故に現実主義という修辞的な呼び方をされるようです。
即ち「真実」を情報として捉えるという考え方です。
情報なのだから環境によって変化する。従って「ある時点でのある場所での<<真実>>は存在するかもしれないが普遍的なものではない」
また「真実の記録」さえも当時の環境に支配されるので現時点では再考する余地がある。
などと面倒くさい事を云うのが現実主義です。
どちらを選ぶかは好みの問題ですが、原理主義は歴史を逆行させようとする勢力であると言われています。
事実はいくつもあれど、真実は一つです。
警察の幹部がインタビューで答えた事例を挙げます。
「例え天気が雨であっても警察が晴れと言えば、晴れという事になりそれが事実となる。」
信じられないかもしれませんが、本当にあった発言内容です。
コメント(1件)
事実と真実、factとtruth、人によって言葉の定義とその認識に
微妙なズレがあってキョーミ深いのです。