一年で三十万人近くものお腹の赤ちゃんが両親の意思で
命を絶たれることは表沙汰に問題視されないのですか?
先日の奈良県の事例に憤るマスコミが多いですが少なくとも家族や医師には妊婦さんと赤ちゃんを助けようという意志があったはずです。でもその時間は医師が足りておらず
医師間の伝達のミスもあって赤ちゃんは辛うじて助かったけど
妊婦さんは助けられませんでした。人はこれを悲劇と呼びます。
では両親の確たる意志によりお腹の中の子の命が絶たれていくのは悲劇ではないのですか。
そして産婦人科の医師が次々と辞めていき、残った者は多忙を極める原因の一つに堕胎手術があるのではないでしょうか。
ただでさえ妊婦の相談に乗り出産に立ち会い、未熟児の治療を行うのに
忙しいのに堕胎手術の仕事まで入ってしまっては医師の負担は大きくなります。
なぜこの事件で病院ばかりが糾弾され
堕胎を容認してきた法律や世間の風潮は問題視されないのでしょうか。
そしてどういう理屈で堕胎は正当化されているのですか。
私も中絶には反対です。反対ですが、少しコメントさせてください。
「避妊」は子供の命を絶つとは言いません。
なぜでしょうか。
精子→胎児→赤ちゃん のそれぞれの死は
避妊→堕胎→赤ちゃんの死 という流れになります。
今、なぜ3番目は問題視されて、2番目は問題視されないのか、という議論ですが
これは正確には3つしかないわけではなく、グラデーションです。
細胞分裂を繰り返していくとこういう風に流れていく、というものです。
もちろんそれぞれ着床、出生という区切り目があります。
なので名前が分かれているわけですが、新たな命そのものの区切りではありません。
さて、精子から赤ちゃんまで連続している、という話をしましたが、
これはもちろん
精子→胎児→赤ちゃん→子供→大人
と続きます。区切りとしては七五三、成人式あたりでしょうか。
精子から大人までが連続しているとしたとき、
我々はどこかで死に折り合いをつけなければいけません。
なぜなら精子の死を悲しむことは出来ないからです。
この「悲しむことは出来ない」というのが今回の本質的なテーマかと思います。
これは真理ではなく、ひとりひとりの感情的な問題です。
しかし、そのひとりひとりの感情のトータルが社会的な意思となります。
長くなりましたが、回答としては
「精子の死が悲しまれないように、胎児の死も悲しまれない」
という程度のものとなると思います。
私も友人が堕胎し、その話を聞いて初めてその悲しさを知りました。
まだまだ日本には堕胎のリアリティが欠如しているのかも知れません。
乱筆失礼致しました。
堕胎件数があまりにも多いからです。
その事実を糾弾し始めると,当事者や関係者を巻き込むからです。
自分が犯してしまっている過ちを,あたかも他人事のように報道したり追及することが気まずいからです。
と思います。
個人的には,堕胎は絶対反対です。
迅速な回答ありがとうございます。人力検索かけたの初めてだったので嬉しいです。
累計すれば数百万(もしかしたら数千万)もの人が当事者として関わってるのでしょうね。
それだけの人を一気に敵に回すのは恐ろしいことかもしれません。
鋭いご指摘です。
私は性教育の問題も絡んでくるかと思います。
ある程度の社会的地位(結婚,収入等)になるまで、「我慢」するのは無理な話でしょう。
本能ですからね、大脳新皮質に呼びかけるしかありません。
避妊という方法があるのですから、恥ずかしがることなく親の世代も議論すべきです。
社会的地位が不安定な場合、妊娠してしまったら罪と言うような風潮も、
即堕胎という風潮もこの問題を根深いものにしているのだと考えます。
女性の身体にもどれだけ負担がかかっているか相手の男性は理解できないことも
少なからず手伝っているのではないでしょうか?これも教育です。
医者の多忙は今始まったことではありません。
どこの国でも同じです。
奈良県のケースのように「本当に治療が必要」な場合に対応するのは難しいです。
ベビーブームの時は産婦人科はどれぐらいいたのでしょうかね?
ありがとうございます。 未婚者が子供を育てるのに否定的な風潮がありますよね。
でも教師が上から目線で教育に励んでも、メディアや周囲の人間が性的に奔放である様に煽ったら
そちらに流される人も多いんじゃないかと思います。
「医療問題」という政治的カテゴリがあるからです。
マスコミのなかにもそのカテゴリを扱う枠があるからです。
ご指摘のように
マスコミは医療制度というシステムを問題にして命の問題には言及してません。
世の中「表向き」と「実際」があります。
たとえば捕鯨問題を考えるとき、クジラは頭がいい哺乳類だから捕鯨反対という意見を立てれますが(表向き)実際は金と政治(実際)です。
パチンコやソープも実質は賭博と管理売春ですが、お目こぼし的に合法です。
堕胎も母体に命の危険がある場合等に限られてるはずですが
経済的な理由などに行われていますね。そういう法のグレーゾーンで行われる慣習的なものは沈黙されるのではないでしょうか。
ありがとうございます。堕胎が容認されてるのは政治・経済的要因も絡んでるからでしょう。
詳しくは回答終了後コメ欄にでも書こうかと思います。
マスコミは叩かなければならない所を叩くのではなく、叩きやすい所でインパクトが有る所を叩きます。
この場合だと、救急体制、たらい回し、行政、国、診療拒否、と言うようなキーワードをちりばめ批判をし、そこに人の死が絡んでいれば直ぐにセンセーショナルな記事に早変わりですから。
物事の本質や、その報道の影響などを考える事などないのです。
それと中絶の場合は理由に個人差が大きいのと、最終的には個人を叩く事になるので、賛否両論になりやすい。
記事が原因で自殺者などがでたら逆に集中砲火をあびる危険が有るので、せいぜい「若年の中絶の増加」ぐらいしか特集出来ないでしょうね。
堕胎が正当化はされている訳では無いですよ。
「必要悪」という表現が正しいと思います。
だから「絶対反対」と言う人は沢山居ますが、本気で行動する方は殆ど居りません。(日本では反対団体はパフォーマンスの要素が強いですね。)
まあ、この問題は「白」「黒」で片付けられる問題ではない一面も持っているし、「中絶禁止」にしたらその後に出てくる問題も多いし、その事による自殺者も出るかもしれない繊細な問題ですからね。
私も二十歳ぐらいの時には絶対に反対でしたが、色々な現実を見ているうちに、今は「人それぞれ」という考えですね。
(他人が子供を育てる事に私が手を貸せる訳では無いですからね。)
あと、産婦人科のスタッフ不足の原因はなにも中絶の作業が大きく影響している訳では無いです。全体的に医師不足、スタッフ不足なのです。
その一因として医療制度の改革後、診療報酬が見直され医師の報酬が減った事により、個人開業医の道が閉ざされつつある事と、近年の医療裁判の影響で外科医や産婦人科医が激減しているみたいです。(知人の話です)
普通の方は「ミスをする医者は藪医者」と思っている方が多く、「誤診なんてとんでもない」と言う方が殆どだと思います。
確かに医者はミスが許されない職業の一つですが、人間ですのでミスをします。
人間としてどうしようもない部分を責められるのですから、苦労して医者になろうとする者が減っても当然です。
産婦人科などは医療裁判のメッカだそうです。
その原因は「妊娠は病気じゃないから、出産は無事に出来て当然」と思っている人が多い様です。
一昔前は命を落としてもおかしくない一大事だったのに、医療技術の進歩が、かえって妊婦や家族の心構えに悪影響を与えているようで、行動も軽率になっている傾向が見られるようです。
その様な患者を治療して駄目な時には最悪裁判にかけられると思ったら、なり手は少ないと思いますけどね。
以上、長文失礼しました。
ありがとうございます。どんな悪条件が伴ったとしても、両親が助けたいと望めば
子供はハイレベルな治療を受けられる。 妊娠・出産時に特に異状がなくとも産みたくない
と望めば堕胎できる。 技術の著しい進化によって子供の生殺与奪権を自分たちが持ってる
とでも思ってるんじゃないでしょうか。 お腹の子は裁判所に訴えることできませんからね。
国が人工中絶を認めていますから問題ありません。
人工中絶する人にも様々な事情があるんですよ。
ありがとうございます。
国や世間が人工中絶を認めていることが問題だと私は考えてます。
人を中絶に追いやるような事情って何だろと色々推測してるところです。
殺人は大々的に報道されますが,自殺はほとんど報道されません。
自殺の方が圧倒的に数が多いですが,殺人の報道ばかりです。
今までたくさん自殺や人工中絶を問題視してテレビでも新聞でもやっったけど効果が全然無いんだよ。
これだけの人間がいれば,色々な考えを持った人間がいるし,その人が決めた事に他人がどうこう言ったってどうしようもないでしょ。どいつも偽善者ばかり。本気で問題解決しようとしてる奴なんてほとんどいないよ。
ありがとうございます。 中絶そのものを悪として糾弾しても、必要としてる人が
いる限りなくならないでしょう。 迂回ルートとして婚外子が育ちやすい社会インフラを
整備するとか、避妊具を手に入りやすくするとかそういうアプローチで行けばいいんじゃないか
と考えてます。 あるいは性衝動を抑制する薬でも開発して配るとか。
どっかのイスラムの国では男女が一緒に歩くことすら禁止しているようですがこれは
不本意の妊娠を避けるのに一役買ってるんじゃないかと。 日本での導入は無理だけど。
>人を中絶に追いやるような事情って何だろと色々推測してるところです。
ぱっと思い浮かぶ事で、強姦被害者でしょうがなく堕胎している人間も少なからずいます。
この場合に堕胎した人間を責める事は出来ません・・・
また、お産の負担に耐えられない状態の妊婦もいます。この場合もです。
どちらも、心に大きな負担がかかっているでしょう。
この人達を、責められた気持ちさせてしまう事は良くないと思います。
ありがとうございます。
性犯罪被害による妊娠や母体への著しい負担がある妊娠のために
堕胎するケースは例外とまではいかなくとも少数派でしょう。
彼女らへの配慮も必要ですが、一部分を根拠として全体を正当化するのは危ないかと思います。
私も中絶には反対です。反対ですが、少しコメントさせてください。
「避妊」は子供の命を絶つとは言いません。
なぜでしょうか。
精子→胎児→赤ちゃん のそれぞれの死は
避妊→堕胎→赤ちゃんの死 という流れになります。
今、なぜ3番目は問題視されて、2番目は問題視されないのか、という議論ですが
これは正確には3つしかないわけではなく、グラデーションです。
細胞分裂を繰り返していくとこういう風に流れていく、というものです。
もちろんそれぞれ着床、出生という区切り目があります。
なので名前が分かれているわけですが、新たな命そのものの区切りではありません。
さて、精子から赤ちゃんまで連続している、という話をしましたが、
これはもちろん
精子→胎児→赤ちゃん→子供→大人
と続きます。区切りとしては七五三、成人式あたりでしょうか。
精子から大人までが連続しているとしたとき、
我々はどこかで死に折り合いをつけなければいけません。
なぜなら精子の死を悲しむことは出来ないからです。
この「悲しむことは出来ない」というのが今回の本質的なテーマかと思います。
これは真理ではなく、ひとりひとりの感情的な問題です。
しかし、そのひとりひとりの感情のトータルが社会的な意思となります。
長くなりましたが、回答としては
「精子の死が悲しまれないように、胎児の死も悲しまれない」
という程度のものとなると思います。
私も友人が堕胎し、その話を聞いて初めてその悲しさを知りました。
まだまだ日本には堕胎のリアリティが欠如しているのかも知れません。
乱筆失礼致しました。
ありがとうございます。
私が読んだ本の話では事故で胎児を失った母親がその子に名前をつけて思いをはせる
一方で平然と罪悪感もなく子供を堕胎する母親もいるそうです。
そういう点ではグラデーションという表現は的を得てますね。
私も本で調べてるだけなので残念ながらリアリティ感じられません。
あとこの回答とは関係ないんですがここまで堕胎と中絶を混同して使っててすみません。
でもいまだに違いがよくわからない。
あと付け加えますと上記にあった2番目と3番目の違いについてなんですが
奈良の件では「生まれる直前の赤ちゃん」で赤ちゃんなのか胎児なのか
曖昧ですよね。
必ずしも正しい考え方とは思えませんが、人間は「生まれた者(生物という意味であって他の動物、虫、あるいは自分で作った工作などまで含んで)」には、存在、生命、愛情を感じますが、生まれていないもの、あるいは未完成、思い通りに生まれなかった場合は、その存在を認めない、単なる物質として認識するよう、親、宗教、慣習などに因って教え込まれています。そして、それが色々な都合に依って法律や教育となっている場合があり、倫理・道徳・善悪の判断の根拠となっているばあいが多いのでしょう。{人間は}と書きましたが。他の生物はそれぞれの摂理があるのではないでしょうか。
ありがとうございます。
そんな規範が浸透した結果、人類が次世代の存在を軽んじて
資源の大量消費、化学物質による汚染などを助長してると思います。
でも文化人類学の研究対象となるような先住民族は別の摂理を
持ってるんじゃないかと私は推測しています。
赤ちゃんには、人権があるけれども、胎児には、人権がないからのようです。日本ではどうやら、人権の根拠は、法律、すなわち、その大元の憲法にあるようです。
欧米では、人権の根拠は、神にあり、王様や国家も不可侵なものと信じられているようです。そして、その宗教という土台の上に憲法が作られています。政教分離が憲法の原則となっていますが、作っている段階では相当影響を受けています。
日本の憲法もアメリカからのもらいものだから、相当にキリスト教の影響を受けていますが、日本では、そういった宗教という土台がないために、憲法は努力目標であって、人権について、欧米よりも弱いものとなっているようです。
中絶問題は、アメリカでは大統領選を左右するほどの大問題です。下記URLでは、中絶問題は主要な問題ではないと言っていますが、本当にそうならば、話題にもならないはずで、逆に大統領選を動かすだけの力があったと私は読みます。
http://www.gallup.co.jp/election/election59.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E5%A6%8A%E5%A8%A...
しかし、どうなんでしょう。中絶する人たちにもそれなりの事情があるでしょうし、やむを得ず、泣く泣くそうせざるを得ない場合もあるでしょう。本当に難しい問題です。
ありがとうございます。
こうしてアメリカでは主要な争点の一つになっているのに
日本は語られる機会が少ないのは残念ですね。
この国の場合は遅くとも江戸時代から人工中絶やってるのである意味伝統かもしれません。
さっき調べたところ50年前は1年で100万人もの胎児が中絶されていたとのことで
現代はそれが大幅に減って少し「マシ」になったということでしょうか。
小さくとも、大事な命。
命の大きさへの考え方問題があるのかもしれないですね。
http://plaza.rakuten.co.jp/maxasayu/diary/200411040000/
参考までに
ありがとうございます。
wikiにも堕胎罪のページありましたよ。
誰にも適用されないけど条文として残ってることに意味あるのかもしれませんね
コメント欄が開いてないので、再投稿になります。
結局は中絶を法律で禁止しても、国民の意識が中絶とは「悪い物」「危険性のある物」との意識が高まらない限り、闇医者が増えるだけだと思います。
江戸時代がそうですよね。
その結果、中絶治療時の事故が大幅に増える事は目に見えているので、法制化よりは小、中、高校での教育がもっとも大事かと思います。
たしか、海外では小学生の時にこのような教育をしていたと思います。
日本でも教育はしている様ですが、形式的な物ばかりのように感じます。
まったく、この国は教育に金は使っているが有効には使っていないと思う。
アメリカあたりでは、子供の教育に金をかけてしっかり教育しないと、将来その子供が成長した場合に金が掛る(犯罪等で)事まで試算しているってのに。
だから公立離れに拍車がかかるんですけどね。
ありがとうございます。
私も中絶の法律禁止はかえって母体を危険に晒したり、
893が医者との仲介業に進出するスキを与えたりするので反対ですね。
ありがとうございます。
私が読んだ本の話では事故で胎児を失った母親がその子に名前をつけて思いをはせる
一方で平然と罪悪感もなく子供を堕胎する母親もいるそうです。
そういう点ではグラデーションという表現は的を得てますね。
私も本で調べてるだけなので残念ながらリアリティ感じられません。
あとこの回答とは関係ないんですがここまで堕胎と中絶を混同して使っててすみません。
でもいまだに違いがよくわからない。
あと付け加えますと上記にあった2番目と3番目の違いについてなんですが
奈良の件では「生まれる直前の赤ちゃん」で赤ちゃんなのか胎児なのか
曖昧ですよね。