お釈迦様の体得した悟りは、所を日本に移せば、修験道や神道における禊のようなものかもしれません。文明的なものを、禊ぎ、祓い、清めて、1匹の生物になりきる。言葉のない世界を生きる。
悟りと禊ぎは、同じものだから、天台宗では今でも千日回峯行が尊ばれるし、禅宗は言語を使うなというわけです。
さて、このように禊ぎや悟りを理解したときに、言語以前の人間の心や感情と、言語が生まれた後に形成される意識とを、別々のものとして扱うことが望ましいと思います。言語以前と言語以後とをうまく言い表す言葉を教えてください。
(ひとり一回だけにしますので、ご自身の言いたいことを、要点を明確にわかりやすく書き込みお願いします。)
ストーの「孤独」を読んでから、エッセンシャル・ユング、チクセントミハイの「楽しみの社会学」、マズローの至高体験(本の名前は忘れた)なんかを読んでみてはいかがでしょうか。言葉が人間の脳の局所的なところしか切り取っていない様子がよく分かります。コリン・ウィルソンの「超越意識の探求」なんかもおすすめです。だいたい同じようなことが書かれています。これについて明確に書くのは不可能です。言語ではあつかえない体験だからです。