お釈迦様の体得した悟りは、所を日本に移せば、修験道や神道における禊のようなものかもしれません。文明的なものを、禊ぎ、祓い、清めて、1匹の生物になりきる。言葉のない世界を生きる。
悟りと禊ぎは、同じものだから、天台宗では今でも千日回峯行が尊ばれるし、禅宗は言語を使うなというわけです。
さて、このように禊ぎや悟りを理解したときに、言語以前の人間の心や感情と、言語が生まれた後に形成される意識とを、別々のものとして扱うことが望ましいと思います。言語以前と言語以後とをうまく言い表す言葉を教えてください。
(ひとり一回だけにしますので、ご自身の言いたいことを、要点を明確にわかりやすく書き込みお願いします。)
そうですね、言葉以前の存在として、すでにお釈迦様は、
我々のDNAやタンパク質合成の神秘について感じておられたかもしれませんね。
実際に、お釈迦様がお生まれになったルンビニは、ヒマラヤ山脈の麓です。
これは、インド亜大陸がユーラシア大陸にぶつかった接点であり、
ものすごい霊力のある場所だと思います。
インドでたくさんの聖者が生まれているのは、この大陸と亜大陸の衝突によって
できた聖地だからではないでしょうか。
もしかすると、そのインド亜大陸がゴンドワナランドから分裂したのは、
1億4500万年前のモロケン隕石衝突による衝撃かもしれません。
我々の体内にすみついているミトコンドリアも、20億年前のフレデフォート
ドームの隕石衝突の時代に登場しています。
我々の命は、まさに分子レベルで、宇宙の動きと連動しているのだと思います。
お釈迦様はそれを言葉にしていたかもしれませんが、弟子が聞いてもわからず、
残っていないだけかもしれません。
人間を含めて生物も分子の集合体ですものねぇ・・・
悩まないというのは、大切な教えですよね。
この世に執着がなくなれば、悩みもなくなります。
一匹のサルとして、いさぎよく分子に戻っていけばいいのでしょうね。
宗教には素人ですけど・・・宇宙とか原子と分子ってお釈迦様には無関係ですか?