資本主義は生き延びるためにカンフル剤を打つことを選び、国家の資産を食い潰すために民営化を行い、東西対話を行なって冷戦終結=グローバル化の準備をはじめた。1986年が人類文明の成長の限界であり、破局のときであったのだ。
それから約22年が過って、サブプライム危機、製造業の不振は、カンフル剤がきかなくなって、いよいよ危篤状態になったということだ。日比谷公園派遣村のような終末風景をこれから日常的に見ることになるだろう。
人類は動物の一種であるのに、自分だけが偉いと勘違いして、自然を破壊しつくしたところに原罪がある。我々もこの原罪から逃れられない。
さて、これからの時代、何を考えて生きていけばよいでしょうか。何が一番大切でしょうか。
シベリアに抑留された日本兵たちも、短歌の会や俳句会を開いて、心を励ましていたと聞いたことがあります。(「石原吉郎 昭和の旅」)
デジタルな言葉を使うサルである我々にとって、心を清めて、詩を読むことは、不思議な力を与えてくれるのかもしれませんね。
今朝の朝日新聞にホームレス歌人についての記事がのっていました。
ホームレスになっても、詩心を持ち続けているところ、いいですねえ。
http://www.news.janjan.jp/culture/0902/0902087064/1.php
・(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ
・鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか(12月22日)
・水葬に物語などあるならばわれの最期は水葬で良し(1月5日)
・パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる(1月5日)
・日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る(1月19日)