うんざりして虫唾が走るような本というのがあります。たとえば政治思想的に無理な本とか、いかにも皮相で見てるほうが恥ずかしくなってくるような本とかです。特に経済的に成功したひとが自分について語る、しばしば著者の写真が表紙にでかでかと写っているような本が非常に苦手です。そんな本を書店で手に取ってがんばってページをめくってみても正直言って1ページで嫌になることも少なくなく、レジまで持っていけるものはほぼ皆無です。
ただ、思想的に受け付けない本は読まないというのも何だか偏狭な物の見方という気がしますし、成功したひとから学ぶべきものだってある気がします。
そういう本に対する「そんな話聞きたくねえ」「そんな話に金出したくねえ」という精神的な壁を乗り越えるための方法とか心構えを教えてください。
(ちなみにこの質問ではノンフィクションを対象とし、つまらないフィクションの問題に関しては対象外にしたいと思います。)
その手の本を読まざるを得ない事がしばしばある身です。
そういう場合、その論理や思想そのものではなく、それを表現することにより、作者、もしくはそのバックボーンにどういったメリットがあるのかを考えて読みます。
次に、その本、もしくは思想を評価している人物を調べます。そちらでもなんらかの著書や発言があるとより良いです。
業界系のモノだと、非常にその著者の「都合」が見えてきます。
書いてある事柄そのものではなく、その裏を読む為のテキスト、と考えるのです。
プロジェクトXの真実を探る、みたいな感じが近いかな。
総じてその手の本の著者は、個人を捨てて主題に完全に沿う事ができず、自分自身の主張を捨て切れません。
読み進めると、少し違和感を覚える箇所がいくつか出てくるものです。
そこには必ずしがらみが見えてきます。
おそらく、うんざりして虫唾が走る質問者さんなら、そこを探し、理由を掴むのは比較的簡単だと思います。
で、ここまででは何の効果もありませんので、
その上で、その著書を出すことによるメリットを考えるのです。
学ぶべき事は、内容の真偽や成否ではなく、費用対効果やテクニックだと思います。
読者は、筆者がアピールして都合の良い相手から、筆者が直接利益を被らない人間まで幅広いはずです。
そういう時は理解するために読むよりも、
なぜその人はそういうことを書いているのかとか、
どうしてそういう方向に進んだのかとか、
内容を分析しながら読んだほうが比較的読みやすい。
結果その本は間違っていると思った時は最悪ですが。
回答ありがとうございます。
> なぜその人はそういうことを書いているのかとか、
> どうしてそういう方向に進んだのかとか、
> 内容を分析しながら読んだほうが比較的読みやすい。
「批判的に読む」とはつまりそういうことですよね。
私はどうも入り込んでいしまうので、そういうオトナな読み方に慣れていないのかもしれません。
特に外国語(私は英語しか読めませんが)のときは至難です。妙に甘くなってしまいます。
ちなみに結果間違っていても別にいいです。
それも「誰々がこんな間違ったことを言っている」という収穫ですから。
>「そんな話聞きたくねえ」「そんな話に金出したくねえ」
というのは、思い込みかもしれません。
本とは読み終えてみなければわからないものです。
無垢になりましょう(笑)。
無垢になればどんなものでも吸収できます。
そうやって腹をくくると良いでしょう。
そして、読み終わったら忘れてしまうのです。
回答ありがとうございます。
> 無垢になりましょう(笑)。
それが難しいんですよねえ。それに尽きるという気がしますが。
名著の条件 ~ 著者が勝者であるとは限らない ~
嫌いな本の読み方は、つまらない映画の観方に似ています。
ただし、わたしの経験では、なぜつまらないかを分析することにより、
しばしば有益な発見があります。
つぎの回答も、冷静に読めば、何らかの参考になるはずです。
http://q.hatena.ne.jp/1199984200#a793430
以下、さんざんの不評だった、わたしの読書論より。
「良書三原則、読んだら捨てよ。悪書三原則、読んでも語るな」
http://q.hatena.ne.jp/1158582401#a611700
わたしの読書術 ~ 浴槽読書のすすめ ~
書かれた順序どおりに読まない。
http://q.hatena.ne.jp/1112290743#a281695
わたしは(なるべく風呂場に持ちこみ)つぎの順序で読んでいます。
1.奥付(発行年月日、改版履歴、著者略歴)に目を通す。
2.あとがき・序文が面白くなければ、たいがい本文も面白くない。
3.目次を眺める(見出しに整合性のないものは、内容が貧しい)。
http://q.hatena.ne.jp/1199984200#a793429
わたしの読書術 ~ キーワード・チェック ~
http://q.hatena.ne.jp/1199984200#c112139
追記
以上は、すべて過去回答なので、オリジナル・エピソードを加えます。
わたしの幼児期に、泊りこみで手術してくれた青年医師が、ふとんに
入る前に「なにか本はありませんか?」と云われたのです。
母が「先生に読んでいたける本など、ありません」と恐縮したところ
先生は「いやなに、ボクはいつも、逆さまに読みながら眠るのが習慣で、
すじがきは頭に入らないんです」と答えました。
このような読書術は、かつて雑誌かテレビで(類似の例を)見聞した
記憶がありますが、いままでのところ出典不明です。青年医師は若くし
て亡くなられたので、もとの動機をたずねる機会を失ったのが残念です。
さらにつけ加えますが、わたしの手術は、当時の日本では未開拓で、
先生はドイツ語のテキストだけを頼りに、敢然と挑戦されたのです。
おそらく、もっとも厳しい読書の態度だったと、思いだされます。
詳細な回答ありがとうございます。個性的な読書論で面白かったです。
ただ、確かに詳細に読めば質問に対する回答になっているところもあるかもしれませんが、
逆に言うと、概ね答えになっていないような気もします。
反面教師の本だと思って読むといいと思います。
「こういうふうに書くと自慢に見える」とか、偏見ではなく世間の感性から見れば多くを学べると思います。
まったくその通りですね。単純に見えて結構大事な視点だと思います。
また、結果説得されてしまったとしても、それはそれで大事な学習ですね。
どうやって経済的に成功したのか?なんてことを本当に教える人間はいませんので、「経済的に成功した人の本で、写真がデカデカと表紙を飾っている本」が面白くないっていうことについては、だいたいには質問者さんの前提から正しいんだと、おおよその人も同じく判断するところでしょう。
つまり、情報ってものを有効情報と非有効情報に分けるのなら、そういう本に含まれる有効情報自体が少ないっていうことになるけれど、それが分かっているのにもかかわらずその本を購入するには、実際にニーズが必要なんです。質問者さんが自ら言うように。
でも、もう一方の現実で言うと、
業界のことだとか、実際に今動いている人のことだとか、そういう世俗的で現実的なライブ情報を、自分的なニーズから参考として取得したいと思っても、いやみんなそういう情報自体は喉から手が出るほど欲しいんだけど、それは上記のようにまさに「そんなことを誰が教える?」っていうような世界でもあるわけだから、じゃあ、有効情報の含有率が低いものでも仕方がない、買うか、ということになりますよねー
自分にとって、その釣り的な内容の無い非有効情報で殆どが構成されているだろうと簡単に見破れそうな書籍を、それと分かっていながら購入する程の必要性がどこにあるのか?を明確にして、その明確な必要性に対するコストだと、割り切るだけで、例えば、中学生や高校生が芸能人の本を買うときに、もしかするとファッションを参考にしたいのかもしれず、その芸能人の生き様に惹かれて学びたいのかもしれず、自分が芸能界に入りたいから学びたいのかもしれず、、、ところが他人から見れば彼や彼女が芸能人の本を買うなんて、客観的に無駄以外の何者でもないわけなんだけども、でも本人の立場を厳密に見てあげると、人生そういうことも必要でしょ?っていうことになる。
非有効情報とは言っても、その著者の書いたものであるならば、どこかしら現実的なその人を取り囲む世界が見え隠れしている、読み取れる、紐解く鍵が少しはある(嘘ばっかりだと分かっていてもあるはずだ)という視点だねー
詳しい回答ありがとうございます。
> 有効情報の含有率が低いものでも仕方がない、買うか、ということになります
> それと分かっていながら購入する程の必要性がどこにあるのか?を明確にして、その明確な必要性に対するコストだと、割り切る
なるほどと納得する話です。こういう本をいざ買うとなるとどうしてもコストパフォーマンスを低く評価せざるを得ないのが難しいところです。
> どこかしら現実的なその人を取り囲む世界が見え隠れしている、読み取れる、紐解く鍵が少しはある
これですね。あえて読まねばと感じるのはまさにここが理由なのかもしれません。
嫌いなひとにも人生があって、生活があって、思索があるのです。
それを否定するのはナンセンスだし、それを知らないでいるのは偏狭だと思います。
その手の本を読まざるを得ない事がしばしばある身です。
そういう場合、その論理や思想そのものではなく、それを表現することにより、作者、もしくはそのバックボーンにどういったメリットがあるのかを考えて読みます。
次に、その本、もしくは思想を評価している人物を調べます。そちらでもなんらかの著書や発言があるとより良いです。
業界系のモノだと、非常にその著者の「都合」が見えてきます。
書いてある事柄そのものではなく、その裏を読む為のテキスト、と考えるのです。
プロジェクトXの真実を探る、みたいな感じが近いかな。
総じてその手の本の著者は、個人を捨てて主題に完全に沿う事ができず、自分自身の主張を捨て切れません。
読み進めると、少し違和感を覚える箇所がいくつか出てくるものです。
そこには必ずしがらみが見えてきます。
おそらく、うんざりして虫唾が走る質問者さんなら、そこを探し、理由を掴むのは比較的簡単だと思います。
で、ここまででは何の効果もありませんので、
その上で、その著書を出すことによるメリットを考えるのです。
学ぶべき事は、内容の真偽や成否ではなく、費用対効果やテクニックだと思います。
読者は、筆者がアピールして都合の良い相手から、筆者が直接利益を被らない人間まで幅広いはずです。
回答ありがとうございます。
作者やそのバックボーンにあるメリットという視点が新鮮でした。
「学ぶべき事は、内容の真偽や成否ではなく、費用対効果やテクニック」という指摘が鋭いと思います。
その内容で出版することによる著者側の効用を見るというアイデアは確かにわたしにはありませんでした。
読みたくない本で、読む理由が特にない本を無理して読む必要はないと思います。
もっとほかに興味深くて読んだ方がいい本は(明らかに時間が足りなくなるほど)たくさんあるはずです。
読まないといけないが読みたくない気分になる本については、分析・解析・ツッコミを入れる態度で読んでみるというのはどうでしょう?
http://www.kotono8.com/2009/08/18kouhuku01.html
意地の悪い読み方ですが、これなら嫌であればあるほどじっくり読み込めるはずです。
裏読み、矛盾点探し、等々。
そして、もし、読んだ上で共感するところや学べると思うところが多いのであれば、評価を反転させればいいわけです。
回答ありがとうございます。
> 読みたくない本で、読む理由が特にない本
質問が舌足らずなのでそう見えても仕方がありませんが、そういうつもりではなかったつもりです。
内容に同意できて、精神的に快適な本しか読まない生活を続けることによって、
ある種のセクショナリズムに陥ってゆく自分に違和感と危機感を感じたのです。
リンク先はすばらしいと思いました。自分がやりたい「読み」の具体例と言っていいです。
そしてそういう時はどうしても意地の悪い読み方をしなければならないのだと思います。
するとどうしてもある種の良心が邪魔をすることになります。問題はそこをどう乗り越えるかですかね。
> 読んだ上で共感するところや学べると思うところが多いのであれば、評価を反転させればいいわけです。
それもその通りだと思います。わたしはぶれることを恥ずかしいと思わない人間なので。
どうしてその本が嫌いなのかを調べるという目的で読むといいかもしれません。
内容は気にせず、自分がなぜ嫌いなのかだけを調べます。
なるほど。
これはむしろ自分の嫌悪感にフォーカスを当てる「読み」ですね。
これも重要な視点だと思います。わたしにできるかどうかはわかりませんが。
そんなにいやならば買わなければいいのではと思うのですが、しごとや勉強で課題図書とかになっていて読まなければならない状況におかれていらっしゃるものと解釈してよろしいのでしょうか。
情報だけがほしいのですから、こんな順番にして、とりあえず、読んだことにしてしまいましょう。
著者の略歴を書いた、巻末やカバーを見る。
目次だけざっとみる。結論のページだけよむ。
関心をもった章だけ読む。
これだけで読書感想文くらいのものはかけるはずです。といっても、成功をひけらかす方の著作物は、結論までもなく、ただ事実を順番にしているだけのことが多いのですが。。。
この程度だから、あえて買うこともないのです。週刊の少年雑誌は、スタイルはまんがですが、こころに響く内容が盛りだくさんです。そろそろ読み方をかえてみてはいかがでしょう?
検討をお祈りいたします。
回答ありがとうございます。
別に誰かに強いられたわけではなく、単に「好きな本だけ読む」という行為が
どことなく自慰的で退屈なものに思えただけです。
何人かの方がおっしゃっているように、仕事以外で読みたくない本を読むのは時間がもったいないと思いますが、自分が都合のいい思想に閉じこもっているのでは、というおそれ、そこにいる弊害を防ぐために、という動機は理解できるような気がします。
ですがやはり共感がないと反感を持つ思想や立場を理解するのはとても難しいので、まず理解しようとする気負いを捨てると楽になるかもしれません。いやなものをやらなければならない(しかも報酬がない、あるいは実りが極端に少ないかもしれない)というのは誰でもいやなものです。そうすると取り掛かることそのものがますます義務めいてきていやになるものです。
理解、共感「しなくてはいけない」という義務感をおろすことで、まず肩の荷を少し軽くなさるといいかもしれません。
ではどうやって中身を読んでいくか
たとえば連続殺人犯の文章なら、犯人の書いたものだ、と思うだけでムカついてページをめくれない人もいるかもしれません。「犯人」ではなく、この時代、あの地域でこういう役職にあった(あるいはなかった)人、というように、できるだけキャラ色を薄くして読んでみるのです。この仕事、あの仕事と関連があり、こういうネットワークが出来上がった、と、キャラでなく「構造」を読んでいくのです。心理的なものも、心理的要素を一つ一つ組み立てて作っていくのです。
逆のやり方が小説などで感情移入して読んでいく方法で、「物語」を自分の中に作っていく方法です。私はこちらの方がやりやすいですし、多くの人はそうかもしれません。
が、どうしても共感できそうにない人物、あるいは共感してはいけない場合など、感情を遮断することが一つのメリットになることがあります。ご質問の動機からするとこういうやり方なら異なる立場の人の文章でも心理的につらい思いをせず読むことができる、かもしれません。
とはいえ、人間なので、精神衛生上時々毒出しなどするといいかもしれません。とりあえずはざっと構造を頭に入れておけば、評価は後になって生まれてきたりするのではないでしょうか。
詳細な回答ありがとうございます。
やはりどうしても感情を遮断して「物語」とは違った読み方をすることが求められますよね。
「とりあえずはざっと構造を頭に入れておく」というのは確かにいいかもしれません。試してみたいと思います。
・読者には誤読の権利がある
・著者が絶対ではない
・著者の言いたい事を理解するだけが本の読み方ではない
とある作家の言葉も混じっていますが、「本を読む = 著者の言いたい事を正しく読み取る」と思い込んでしまわないことが、第一歩のような気がします。
「誤読の権利」はわたしもどこかで読んだ覚えがあります。「本を読む = 著者の言いたい事を正しく読み取る」となりがちなのは、国語の授業の弊害でしょうかね。ただ、ここでは必ずしも自分に都合のいい解釈をしたいわけではなく、解釈が自分にとって都合が悪くなるような本をいかに読むかを考えたいところです。
逆に、その本を自分が批評・書評してやると思って読んでみるといいかもしれません。
虫唾が走るような本の著書より、あなたの方が賢い人だからからもしれません。
あなたにそれだけの素晴らしい能力があるかもしれません。
たしかにすでに↑で頂いているとおり、批評的精神をもって読むというのが基本なのだとは思います。
先の回答の補足のようなものなのでポイントは不要です。
私が書いたのは「著者の主張(意図)を正しく理解しようと躍起になる必要は無い」という事で、
自分に都合のよい形で内容を受け取る事を勧めている訳ではありません。
....というより、その読み方はさすがに面白くないと思います。(お山の大将的な気分の良さはあるかもしれませんが)
何より「著者の主張を正しく受け取る」の反対(否定)は「自分の都合の良いように受け取る」ではありません。
あくまで "精神的な壁を乗り越えるための方法とか心構え " の第一歩として、
著者の主張を追う事だけにとらわれず読むのはいかがですか、といった提案です。
> というより、その読み方はさすがに面白くないと思います。(お山の大将的な気分の良さはあるかもしれませんが)
ちょっと安心しました。
確かに好きじゃないことに力入れすぎてストレス溜め込むのは状況によっては本末転倒なことになりかねないですしね。
> 著者の主張を追う事だけにとらわれず読むのはいかがですか、といった提案
なるほど。著者の主張の好きじゃないところにばかり気をとられて、
そうでない価値のあるところを見落としがちというのはあるかもしれません。
わざわざ補足説明ありがとうございました。
私はその手の本は寝る前に読むようにしていました。
そうすると、最悪つまらなくても導眠剤にはなってくれます。苦笑
建設的かというと微妙なところですが、意外に実践的なアドバイスと思いました。ありがとうございます。
こっちまで興奮するような挑発的な本には不適切かもしれませんが、
ある種の本には有効かもしれないですね。
日本語としての言い回しや語彙を増やすために読むというのは
どうでしょうか。日本語のためと思えば、
ある程度、距離を持って読める気がします。
こういう例えを使うんだ、
こんな言い回し、日本語にあるんだとか、
そういう表現を学んでみてはいかがでしょうか。
私個人も、自分の読書傾向が偏っているので、
他も読まないとと思った時期がありますが、
無駄な本を読むくらいなら、好きな本を
読み続けた方がいいと思うようになりました。
たしかに、わたしも1冊の本を書けるほどの言葉の体力がない人間ですから、それが書けるひとは内容に関わらず尊敬の対象です。だからそういう読み方はありです。ただ、できればもう一歩踏み込みたいところ。
私の場合は読みたい本と交互に同時進行で読みます。
いわば、見るからに不味いが栄養が在るかもしれない料理を、しぶしぶ食うときと同じです。
なにがしかの栄養と考えて読む。仮に仕事や義務ならなおさら仕方ないかと。
もう一つは要点をさ~っとかいつまんで斜め読みして成るべく短時間で読んで(ルーチン業務的に)片付けます。
そのためにも、次に読みたい本をなにがしか用意してあると読みやすいです。
引き続き、私の読み方ですが、なるべく本を一つだけ読まないようにします。
本は思考を飛躍させてくれて新しい世界を教えてくれて夢中にさせてくれるものでもあります、
現実的には実際豊かになるものでもあるでしょう。正しいと思う事の反対も正論の場合はままあるわけで、
だので、一つよりは、なるべく二つ三つ同時に読む。それは思考の偏りを防ぐ為です。
なるほど。タメになります。並行読みはこれまでは極端に難しい本と軽い本の間でしかやったことなかったんですが、こういうときにも確かに効果的ですね。
他の回答者のかたも答えているとおり、批判的に読むのがよいです。
ただ実際は、意味のない言葉の垂れ流しをどう批判的に読めって言うのよ、と思うことが多いので、
1ページにつき例えば1分かける、と決めて、現在のページ数と時計をにらみながら読んでますね。
1時間60ページも集中して読めば、1回くらいはおっと思うようなこと見つけられますよ、きっと。
ほんとうは、「受け付けない本」を選ぶときに、書評家なり友人なりの意見を聞いて選べるといいんですが。
自分の信頼してる人がその本を評価してるってなると、ちょっと謙虚に読める気がします。
他人の意見というのは逆に変な先入観につながる危うさが心配ですが、確かに信じているひとの意見ということになると有効かも知れませんね。
また、時間を切ってというのはここまで見ても初めての話でおもしろいアイデアと思いました。試してみたいと思います。
回答ありがとうございます。
作者やそのバックボーンにあるメリットという視点が新鮮でした。
「学ぶべき事は、内容の真偽や成否ではなく、費用対効果やテクニック」という指摘が鋭いと思います。
その内容で出版することによる著者側の効用を見るというアイデアは確かにわたしにはありませんでした。