検察が悪いという世間の認識が強いようですが、
こういった事件に関して具体的に検察はどうするのが正解なのでしょうか?
証拠となったDNA鑑定も少なくとも当時の科学ではそれなりに信頼のおけるものだったわけですし、
それがダメだと言うのなら現在の指紋認証やDNA鑑定も使えないことになります。
冤罪は防がなくてはいけないと思いますが、物理的な限界もあると思います。
1つ1つの事件についてすべて冤罪の可能性はあって当然ですし、
極端な話、1件の冤罪を防ぐために1000件の殺人が増える社会が正しいとは思えません。
取り調べの強引さの問題はあると思うので可視化には賛成です。
ただ、自白というのも一つの断片的な証拠にしかなり得ません。
そうじゃなければ、やってない人が「私がやりました」と言うだけで簡単に犯人をかくまうことが出来てしまいます。
あくまでも判断は複数の証拠による総合的なものですから、自白も含めて偶然の一致が重なればどうやっても冤罪は防げないと思います。
現状よりも『治安を守りつつ、冤罪を防ぐ方法』があるのかどうかが疑問なのです。
どんな証拠があっても「疑い」の範囲を脱することはあり得ません。
それが違法だというのならどのような対応が正しいと言うのでしょうか?
としか言いようがないです。
周りで強盗窃盗暴行殺人が日常的に行われてても同じことが言えるとは思えません。
捜査手法は数通りであっても、犯罪は全て個々なんだよねぇ。んで、裁判も全て「個々」。これはもーいろんな法律の原則として絶対であってさ。ここでどんなに議論してもこれが覆ることはありません。んで、捜査手法については、単純に捜査手法として優秀で結果を出すことが出来る手法が求められるだけのことであって、これは捜査官のニンゲン力もとてもとても大きいんだ。だから、このニンゲン力が極端に求められる捜査という世界において、「1件の冤罪を防ぐために千件の犯罪が増えるなんて馬鹿らしい」という理論を振り回すこと自体は、原則採用されてはならないんだ。ただ今盛り上がってる取調べの可視の件は、もっとディテールのことだっていう、そういう扱うをすべき。犯罪が個々で裁判も個々でしかないなら、容疑者だって、悪質なのから善良なのまでいろいろいるわけでさ、だから取り調べの可視の件は、1件冤罪防衛の件に含めるべきじゃないよねぇ。んで、法の精神ってのがあるんだってさ。これによると、やはり冤罪防衛こそが重要なんだねー。警察官だっていろいろいるわけでしょ。強姦したりさ。これも社会の経験則からの大原則を覆してはいけないんだよ。単純なこと言ってるといろんなヤツが出てきちゃうでしょw? グレーで裁判かどうかってのは、要するに単に検察や警察の判断なんでさ、裁判でイケると思えば起訴するしさ、裁判でも維持できねーなあなんて思ったら最初っから起訴しないわけで、1件冤罪千件犯罪の件と直結はしないだろーねぇ。
足利事件ってのはほんとーに簡単な話だよねw。
まだ精度が甘いDNA鑑定を警察トップが導入した、間違った、裁判所が有罪にした、、、ってだけですなw。
んで、冤罪にされた方は、まったくやってもいない犯罪で警察によって拉致されてしまって、社会とは隔絶した中で、「DNA鑑定の結果お前が犯人だと決まったよ。裁判所でお前はこのままじゃ死刑だね。自白してもしなくても、俺たちは君を有罪にできるけど、このまま否認してると君の軽は思いよ。」って言われてしまったわけさ。僕が彼でも、「警察は無実のヤツでも犯人に仕立て上げようとしてる。さからっても無駄だ。この上はやってもない罪を認めて量刑を軽くするしか方法はない」って思うねw。
じゃー誰が悪いのかw。それは、有罪にした裁判所も悪いけど、冤罪を有無ような無能な段階の捜査手法を導入した警察検察トップが、いかなる理由があっても悪いと言えるんだ。そんな無能なDNA鑑定じゃあ、精度50とか言ったところで、警察検察に帰責するとしか言えない訳ですなー。
今回の冤罪認定裁判で、取調べをした検察官がついには一言の謝罪も申し述べずにスルーしてニュースになったけど、その気持ちは分からないでもないし、彼個人の責任であるとは言えないねw。その理由は彼個人のニンゲン力じゃあ、DNA検査結果を排除して、冤罪にされそうな方を助けることは不可能だっただろうからねー。でも社会は厳しい。それであっても、曲りなりにも、恥ずかしくも職責があるニンゲンであるにも関わらず、このような結果について、今になっても謝罪を申し述べないということは社会的に許されない。そういう意味ではホントーは彼を処罰しないといけないところなんだけど、まwいいか。かわいそうだもんねw。
答えになってないです。
「あいつが悪い」と言うだけなら誰にでも出来ますよ。
>冤罪を有無ような無能な段階の捜査手法を導入した警察検察トップが
「100%冤罪を生まない手法」なんて世の中には存在しませんよね。
昔の捜査手法も、今の捜査手法も、そして将来の捜査手法もあなたが言うところの無能な段階にしかならないわけですが?
社会は厳しいからだとかそんな精神論は求めていません。
必要なのは「守るべき治安」と「防ぐべき冤罪」についての現実的かつ具体的な案です。
刑事裁判で妥協の産物みたいな有罪判決は違法なんです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%96%91%E3%82%8F%E3%81%97%E3%81%8...