企業はだれのものか?
などという話題が村上氏が活躍をはじめた当初話題になりました。
企業は株主のものだ!
企業は経営者のものだ!
企業はそこで働く従業員のものだ!!
いや企業は社会の公器として利用者のものだ!!!
など、喧々諤々のしょーもない話が繰り広げられていたように思うのですが、
これは「子供は誰のものか?」と問うようなものだと思います。
経済的に援助をしたから父親のものだとか、育てたのは母親だから母親のものだとか、そんなケンカをする親にはまかせてられないから保護施設のものだ!とか言うようなものです。
法人は「法人格」という擬似人格をもつ存在なのです。所有権で人格を無視してすませられるものではありません。
彼の活躍はこのように未成熟な経営に対する姿勢、法人格の理解に乏しい経営者、従業員に対して理解を促すべく一石を投じました。企業はそこで働く人たちのものだからという理由からいまさら上場廃止を目指す会社さんもありますが、経営、従業員、出資者、すべてがそろってこその法人です。
いままではその関係があまりにもなーなー過ぎた。
株主はお金はだせども口をだすな!という風潮すらあった。
村上氏のようなアクティビストがいままで株主を著しく軽視していた会社に対して働きかけをすることにより、本来株主に対して還流するはずであった配当や死蔵されていた資産価値などを再評価するよい機会になったと思っています。
日本の市場にはいまだにその企業の解散価値より株価が安いものが多くあります。
((公告されている決算内容を信じるならその会社を買って即解散すれば買った価値より多くのお金が手に入るもの。
たとえば日本放送もそうでしたが、保有している資産の総額より発行済み株価の総額の方が安い。))
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/s_guide/sg040616.htm
このような現状はやはり株主側からすれば容認しがたい現実です。
資産評価額が不当に高すぎるか、その会社の株主になることに魅力がなさすぎるかのどちらかです。
市場から評価されず「株主になる魅力がない」ということは、将来性を感じらず事業存続価値に疑問があるということです。企業経営からすれば致命的な評価のはず。
そんな会社なら買い占めて解散した方が「世のためだ」、もしくは経営権を取得して経営陣を交代させたほうがその会社の資産価値を活用できると行動した、村上氏のような資本と行動力を併せ持つようなひとは日本にとっては必要な存在だった。公示している資産内容がおかしいのか、マーケットに適切に評価されない原因がほかになにかあるのか?それは改善する余地はないのか?という「経営を問う」株主の行動を積極的にとれるひとはやはり日本では稀有な存在だった。
彼の存在や行動は貧富の格差を増すという論調もあるようですが、それは違うと思います。
すくなくとも株式市場は誰にでもひらかれているものだし、もっと市場の透明性が増せば企業を適切に評価できる時代がきたことでしょう。奇しくも彼が退場したのはインサイダー取引でしたが、もし彼の取引形態がインサイダーと判例がでてしまうと日本は既得権益を侵されたくないインサイダーな企業体内でしか利益の得られない貧相なマーケットになってしまいます。
庶民が応援するなら村上容疑者や堀江容疑者のような既得権益に風穴をあける側だったんじゃないかな。とか思うのですが?? メディアに煽られて知らず知らずに既得権益を守る側になってしまっている既得権益にありつけてもいない人がなにか哀れです。。。