いわゆるA級戦犯者合祀問題に関してなんですが、分祀論の中でなぜA級戦犯者の合祀のみが議論で取り上げられているのでしょうか。「人道に対する罪」を犯した(とされている)C級戦犯者が合祀されていることをむしろ問題として取り上げるべきであると思うのですが。
仮にA級戦犯問題が分祀という形で解決したとすると、問題がB級戦犯に移り、そして次はC級といった形でどんどん議論のすり替えが行われていくんでしょうか。
それとも根本的に分祀論者の中ではA級戦犯者だけが問題であり、B級、C級に関しては特に「問題である」という認識はされていないんでしょうか。
意見をお聞かせください。
2番目のリンクは以前私も読みましたけれど、「戦争を肯定する軍国主義者による呼称」みたいなレッテルが貼られて久しい気がします。
でも、日本国家としては、こちらが閣議決定を経た正式名称なんですよね。
しかし、「太平洋戦争」という呼称も広く流布されている経緯もあり、私としては併記する時もあれば、面倒で「太平洋戦争」で済ませてしまう時もありますね。
どこに返信しようか迷いましたが、今回ここへ失礼いたします。
私も全て目を通せておりませんが、
「大東亜戦争 研究室」
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2687/home.html
はご参考の一つになるかと思います。
■ 戦史 甲 :大東亜戦争主要作戦概説
「大東亜戦争開戦経緯」と、
■ 戦史 乙 :近代戦争史概説
満州事変はまだ書かれていないようですが、「はじめに」と日清戦争からはじまる一連の話をざっくり読むと、大東亜戦争に至るまでの時代の大きな流れも掴むことできると思います。
あとは「大東亜戦争」と言えば、昔私が学校で習ったのは連合国側表記に合わせた「太平洋戦争」という名の戦争だったような記憶がありますけど、それも案外知られてないのではないかという気もしました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%...
また、戦犯となった人達が解放されていく経緯については、「日本会議」より
http://www.nipponkaigi.org/reidai01/Opinion3(J)/Opinion3top.htm
▼東京裁判の見直し
・「戦後政治の原点としての「東京裁判」裁判」 終戦50周年国民委員会
がご参考の一つになるかと思います。
また、原爆投下については、
・原爆投下容認論への反駁 長崎の原爆展示をただす市民の会
・我が国の「原爆投下批判」の原点(H14.10.5)
もご参考になるかと思います。
ちなみに余談ですが、実は私も広島の血が流れており、祖父は爆心地からわずか数キロで被爆、落ちた瞬間とその後の様子も若干耳にしているものの、祖父や祖母もあの当時の話は想い出したくなかったのか私に直接語る事はなく、私も当時は不勉強で興味持てなかった事もありこちらから聞くこともなく、原爆が落ちたあの日、ある事情がなければ私はこの世に生を受ける事はなかったという話も後から知ってからは、存命中にもう少し貴重な話を聞いとけばよかったと思う反面、敢えて聞かなくて良かったかもしれないという気持ちも同居している今日この頃です。
坂 眞 さんのブログのなかでのご指摘です。
富田朝彦・元宮内庁長官(故人)が残していたとされる、
「昭和天皇のご発言メモ」に関しては、 どうやら
「故・徳川義寛侍従長のメモだった」というのが真相のようだ。
A級戦犯で死刑にされた人、又、ソ連の社会主義革命が次第に広まる中、GHQの方針が大きく転向され、日本を社会主義からの防波堤につかおうという戦略で、一旦、A級として逮捕されたにもかかわらす、無罪放免、GHQが旧体制を一掃するのでなく、利用する戦略に変更します。
政治取引など、、
ヒットラー熱に浮かされ、能弁な松岡外相はこれらをドイツの仲介でソ連と締結、日独ソ伊と結ぶことで【大東亜共栄圏】(ラジオで使う)の完成させ、大英帝国領とアメリカ大陸(当時世界一の産油国)から食料、資源を得ようとした日本の安保と世界平和・安定に寄与する、という考えに立ちます。
又、「昭和天皇独白録」によると「5 月松岡はソ連との中立条約を破ること(イルクーツクまで兵を進めよ)を私の処にいってきた。こんな大臣は困るから私は近衛に松岡を罷めさせるようにいった。」
「昭和天皇独白録」に「松岡は帰国してからは別人の様に非常なドイツびいきになった。恐らくはヒットラーに買収でもされたのではないかと思われる」。
このメモの内容は天皇陛下のお考えに思えますが・・
坂 眞 さんのブログの中でのご指摘です。
「権力者は、体制の内部矛盾が深刻化すると、
必ずそれを逸らすために外部の敵を求める。
その恰好の相手が日本であり、その象徴が「靖国問題」なのである。」
「今の中共にとって、民族意識を煽り、対日(反日)カードとして効果がある
(と思っている)のは、「首相の靖国神社参拝」だということです。
この問題で安易に妥協してはならないのです。」
あのメモの部分だけを見て検証したという歴史学者がいるようです。
http://www.youtube.com/watch?v=Nx8P_RPJtxc&eurl=http%3A%2F%2...
「昭和天皇は敗戦処理および国家再建、平和国家の建設に大きく貢献された」
それはわかります。
昭和天皇ご自身は一貫して戦争の回避を望んでいたというのは有名な話です。
昭和20年8月9日に結論が出ない御前会議にて、「無辜の国民をこれ以上苦しめるのは忍びない」として慣例を破って「聖断」を下したのもそうです。
さて、ここは論点を分けてみましょうか。
「争いを避け、和を尊ぶ」という日本の伝統は何も戦後から始まったものではなく、古代から続いてきた日本の精神だと思いますが、戦後の「絶対平和主義」というのは何も昭和天皇の影響というより、「戦争によって散々な目に遭った。多数の犠牲者が出た。もう戦争はこりごり」という国民の思いや、戦前の一切合財を否定し、戦争を絶対悪とする教育など複合して出来上がっているのでは、と思います。
本当は「A級戦犯」と人括りに言うのは良くないのでは?と思います。
確かに三国同盟締結の推進派であった白鳥敏夫元駐伊大使や三国同盟を締結した当時の外務大臣松岡洋右は、天皇としては不快に思われた存在だったようですが、何かと悪名高い東条英機を実は評価・同情されています(『昭和天皇独白録』より)。
また先にkumonoyouniさんが言及されている、東郷茂徳などは、松岡・白鳥とは全く逆の立場ではないでしょうか。
つまり、一口に「A級戦犯」と言っても評価はそれぞれで、中でも松岡・白鳥は逆賊扱いにされていると判断します。
参拝はこの場合、臣下の屋敷などへの行幸と同じ範疇の行為でしょう。
形式上は靖国神社は分家扱いなのです。
とのご意見はすぐにわからなかったのですが、「明治2年に明治天皇が戊辰戦争で命を落とした人たちの霊を祭るために東京招魂社として創立し、明治12年に靖国神社に改名された。」という事実と、靖国神社「合祀基準」においては、後は靖国神社が審査し「天皇に裁可を貰う」となっていることを指しているのかと推測しました。
靖国神社とは国家の為に殉じた人を、戦闘員・非戦闘員の区別無く祀ったものですね。
ただし賊軍とされた西郷隆盛や白虎隊は本殿には祀られていません。
1978(昭和53年)以降、参拝されていないのは、先に述べたように「逆賊」が祀られてしまったことや、1975(昭和50)年8月15日: 三木武夫首相の参拝及び発言によって国内外で政治・外交的な問題に広がってしまい、あえて波紋を広げるのを避ける為なのかと推測しますが、真意については、はっきりしたことはわからないのでこれ以上の言及は避けます。
ただしFireBirdさんが挙げられたURL
http://www.sankei.co.jp/news/060802/morning/seiron.htm
や靖国神社には春秋二度の大祭に勅使が遣わされていることについてはどう思われますか?
http://www.wdic.org/w/CUL/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%...
ことの善悪を現在の価値基準で判断せずに歴史の流れを意識してみれば少しは真実に近づけるのではないでしょうか。
これは大いに賛成です。
難しいことですが、歴史的出来事を論ずるには、当時の状況をよく知ることが重要だと思います。まさに現在の価値基準で判断することが、誤解や偏見を招くと思います。
歴史教育と言えば、Nekomanmaさんの記事は読み応えがあって、考えさせられることが多かったですね。
っていうか、あの時のコメントでnobita_tさんの名を見ていたことを、こちらを見るまですっかり忘れていた私。
http://d.hatena.ne.jp/Nekomanma/20060530/p1#c
物忘れ酷すぎ・・・_| ̄|○。
ElekiBrainさんの書かれている通り、現状ではほとんど触れないか、自虐的な内容に終始するか・・・。
そして他国の干渉で、政府の対応にも腰が定まらない時があったり・・・。
やはり問題の先送りのツケがいつまでも続いているような気がします。
(この件については、別質問にした方がいいくらい根深いですが)
自由民主主義と平和主義は正しいです。
それらが意味するものはとても尊いものです。
共産主義・社会主義や軍国主義には 言論の自由がありません。
共産主義・社会主義や軍国主義を望む人は そういう国に行って生活してみることです。
日本人は自分の国家のために戦うときが来たときは戦うのです。
国家のために戦って命を失った人達を祀る場所に直接行って、
感謝の祈りと平和の誓いをおこなうことは大切で自然で尊いことです。
国民の代表である内閣総理大臣は毎日 靖国神社へ行って
感謝の祈りをおこなっても足りないくらいです。
これは日本人一人一人の心の問題です。
中国共産党の影響下にある新聞、マスコミの捏造報道や、
中国共産党の影響下にある言論人、官僚の扇動発言に
翻弄されていては絶対にいけません。
最近の言い方で翻訳すると「昭和天皇は敗戦処理および国家再建、平和国家の建設に大きく貢献された」ということです。メモの真偽はともかく参拝を中止された公人としての意思は明確です。そして絶対平和主義とでも言うべき争いを悪しきものとする態度は現在の日本人に引き継がれています。当時はあのような言い方が一般的でしたし(もう少し敬語が多かった)そのメモが発端となってA級戦犯に議論がなされるようになったのは意味があることなのです。靖国神社の武家の精神を引き継ぐ性格とは、正反対にも見えます。そして形式上は靖国神社は分家扱いなのです。ことの善悪を現在の価値基準で判断せずに歴史の流れを意識してみれば少しは真実に近づけるのではないでしょうか。とりあえず正義など求めるのは間違いです。もちろん平和主義が正しいとは限りません。
アメリカ政府が公式にそのようなことを行ったという話は確かに聞きません。良く文章を確認するべきでした。
しかし、この質問内での
「連投失礼致します。」
のスレッドに、あるリポーターの話を書いてあります。まずはそれを参照してください。そして、このような事例だけでなく、被爆者が平和の祈りをささげにアメリカに訪問し、アメリカ兵の墓を慰問した際にも、マスコミは「日本人がアメリカの落とした原爆の正当性を認めた」等と全く意図しないデッチ上げを報道したのです。アメリカ政府の公式見解ではないにしろ、アメリカ全般が当時の日本という国に対し、“一切の正当性はない(ここ重要)”と考えている空気がありありと浮かび上がります。
歴史観に口を出す、というより、冷静な第三者的立場に立っての歴史観や、被害者の戦史観を封殺した、と言い換えます。
>日本はかつて、現在の北朝鮮のような国であったと考えればほぼ正解なのでしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/ABCD%E5%8C%85%E5%9B%B2%E7%B6%B2
一般的な説明。
http://www.jacar.go.jp/nichibei/detail/index.html
当時の公文書。
日本と中国のあいだの宣戦布告なしの戦いが開始された後、アメリカ政府は、「日本を正気に返し」て極東に平和を回復するための外交上の努力に意を傾けた。これはまったく実効がなく、日本軍国主義者たちは、中国共産党がこれまでやってきているように、アメリカ人およびヨーロッパ人の宣教、教育、医療、そして文化の諸活動を中国から追い出そうと共同して努めた、アメリカの教会、病院、学校、大学の建物が、屋根の上でそれとわかるにもかかわらず、爆撃されたし、アメリカ人宣教師とその家族が殺された。
サミュエル・モリソン著『アメリカの歴史』第57章ファシズムの脅威より抜粋。
アメリカが日本のことを今の北朝鮮のような『ならず者国家』……いえここは『悪の枢軸』というべきでしょうか。兎も角そんな感じで見ていたのは間違いないでしょう。
だからといって当時の日本と現在の北朝鮮とでは、おかれていた立場も制度も雰囲気もまったく違う国家ですが。
>戦後の戦史観にまで口をだすアメリカ
アメリカが歴史問題で口を出したとは寡聞にして聞いたことがありません。正直ちょっと驚いています。
よろしけばどのような事例があるのか教えていただけませんか。
こちらも興味深い内容が書いてましたのでご参考まで
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa01/nanking1.htm
私もまだまだ勉強不足の身ですが、おっしゃるように事実や言葉の意味を正しく把握することは大切だと思います。
そして歴史的事実の検証は肯定、否定派、そして国を超えて双方協力しながら、何が正しくて、何が間違いなのか、一つ一つ見直していく必要あると思います。
(まぁそれやっても見解の違いは当然出るとは思いますが、明らかに間違いと思われるものについては後世に正しく伝えていけるのではないかと思います)
ここからは現時点での私の見解ですが・・・長文失礼いたします。
(前に失敗したことあるので最初に断っておきますが、これからお話しする内容はgoldwellさんだけに向けられたものではありません)
まず、東京裁判の正当性は、法的観点から見るとなかったんだろうと思います。
そしてその他戦犯とされた人達の中にも正しい判決がくだされてない方も中にはおられる事かと思います。
こう書いていくと、あの戦争を正当化するばかりで何も認めないように聞こえるかと思いますが、私はそうは思っていません。
「人道に対する罪」に反する行為は、日本側にもあったんでしょう。
それが戦争というものだと思いますし、記憶に新しいところではイラク戦争一つを取ってみてもそれを否定できる人など誰もいないのではないでしょうか?
ここで話は本題から少し逸れますが、「es」という映画をご存知でしょうか?
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=272...
これは、1971年、スタンフォード大学心理学部で実際に行なわれた実験を元に作成された映画です。
被験者は新聞広告によって集められた24名。
無作為に「看守役」と「囚人役」に分けられて、彼らがどう変わっていくのか実験を進めていきます。
最後に辿り着く先は・・・
私思うに、こうした実験に関わらず、人は過酷な精神状態に追い込まれていった時、潜在的な自己防衛機能が働くので、悪いのは自分ではない、全て周りが悪いのだとなりやすい側面を持っているのは否めないと思いますし、誤解を恐れず言うならば、もし私が戦争の最前線で極限状態に追い込まれ、人道に対する罪に反しないと誓えるかと言われたら、絶対にそんな事をしないとは言い切れないものがあります・・・。
例えば過酷な労働を虐げられている人達もそうだし、子育てで苦労されているお母さん達もそうだし、自分の意思に反して、生きていくために必要な食べる事、寝る事といったものまで削られはじめると、普段は冷静沈着な人だって、マイナスの方向に引っ張られていきやすくなりがちです。
こう書いていくとまた誤解されるかもしれませんが、私はだからといって、それが許されるものだと言っているわけではありません。
人を殺すのは理屈ぬきに悪い事ですし、虐待や陵辱についても同様で、その理由など言葉で語るまでもないでしょう。
それと「人道に対する罪」を犯したとされる人達をどう考えるかという点ですが、この平和な(?)日本で戦争と言われてもピンとこない部分あるかと思いますが、例えば学校などの「いじめ」の問題を考えてみた場合、それは想像しやすくなる気がします。
いじめる人が悪いのか?いじめられる人が悪いのか?ニ極論では語れない所はあるものの、どんな理由があれ、いじめる方が悪いんだ!というご意見について私はもっともだと思いますし、おっしゃる通りだと思います。しかしながら、今度は質問を変えて、
「あなたは同じクラスでいじめを目撃した際、どんな相手であっても、自分一人であっても必ず止めに入る事ができますか?」と聞かれたら、あなたは自信を持って「止めます!」と答える事ができるでしょうか?
(先生を呼ぶと言うのは無しですよ、戦争に先生なんていませんからね)
私は正直「はい」と言える自信がありませんし、理由がどうであれ、いじめてる人、それに加担している人も、見張り役も、囃したてる人も、見てみぬフリをする人も、程度の違いはあれ、いじめられる側からみれば皆「同じ」人間に見えるのではないでしょうか?
私は直接やってないし、同じ仲間として悪いと思ってたけど何もできなかったんだよなんて、被害者からすれば何の気休めにもならないでしょう。
今度はまた少し見方を変えてます。
例えばですよ、もし自分にも他人にも常にやさしかった父親が家族を守るために戦地に赴き、いつこちらが殺されるか分からない状況の中でそうした行為に及んでしまった後に、遺骨となって母国に帰ってきたとしたら・・・
私は被害者に対し心の底から申しわけないと思いますが、それと同時に父親の墓前でも手をあわせると思います。
その気持ちは相反するものでしょうか?
何もこれが全てであるとは言いませんが、それが戦争というものではないでしょうか?(違いますかね?)
そんな事を考えていくと、靖国神社の今後について私の考え方は、
http://q.hatena.ne.jp/1153475160/
のいわしでも書いた事なんですが、確かに日本として総括できてない部分はあると思いますし、大きな流れの中であの戦争は避けられなかったとはいえ、やらかした事は許されない事もあるでしょう。
が、小泉首相のパフォーマンスは置いといて、首相が「終戦」記念日に「平和」の誓いのために参拝する事がなぜダメなのでしょうか?
これまでの歴代首相が参拝していた時は何も言わなかった時代もあったのに、情勢変わった途端、それはおかしいと言いはじめる国にどこまで譲歩し、配慮する意味があるのでしょう?
謝罪と戦後補償はどこまでやれば納得してもらえるのでしょう?
仮に参拝をやめたら、その他の問題は全て解決していくんでしょうか?
私にはこの話はA級戦犯となった岸信介がこれまたアメリカの都合で戦犯不起訴になった話にも重なってしまいます。
岸信介はその後首相にもなって、晩年、国連平和賞までもらっていますが、この時は文句言ってたのでしょうか?
またA級戦犯の中には、昭和天皇のご意向もあり、開戦回避と終戦早期交渉に手を尽くしていた東郷茂徳も入っています。
そういう点も見ていくと隣国に配慮するというご意見にはいま一つ納得できないものがあるのです。
仮にですよ、A級戦犯だけ別の場所に移せたとしますよね?
そこへは政治に携わる人たちは一切参拝しないものとします。
そんな事でいいんでしょうか?私はいいとは思いません。
なぜなら人の記憶というものは、多忙であったり、時が経っていくにしたがって薄れがちになっていくからです。
また例えを変えるとね、あなたは友達から本を借りて、会うたびに「今度会った時に返すよ」と言いながら、気がつけばそのまま返していない経験はないでしょうか?
では、友達からジュース買うのでちょっとお金貸してよと言われ、お金貸したけど返ってこない経験はどうですか?
そんな時、借りた方は忘れてること多いけど、貸した方は言い出せないだけで結構覚えてたりしませんか?
つまり、臭いものには蓋をしろではダメなんです。
私は今の靖国神社という存在を通して、あの戦争から目を逸らさず、首相には今後も参拝して欲しいと思います。
少し立場は異なるようですがTomCatさんのお言葉をお借りするなら、本当に平和を願うのなら記憶を風化しないためにも毎年、広島で祈り、長崎で祈り、あの靖国に参るのです。
それを続ける事で、戦争を知らない私達がそうであったように、後世においても、あの戦争について考え語り続かれていくのではないかという気がしてなりません。
>この件で日本の無罪を主張したいのなら――
>日本の行動が正しい行いだったと言い切る自信――
別に日本の100%の正当性を主張しようとして言ったんじゃないんですけど。
ただ、ちらとそういう話を読んで、「これは一応視野に入れておかなくてはならないのでは」と思ったのですが、余りに論拠が不足していたもので。
ところで、リンク先、読ませていただきました。リンク先の内容にはsdkfzさんが仰られるような、
>ABCD包囲網ですが、これは日本の行動に対する報復処置です。
と言う記述はなかったのですが、日本はかつて、現在の北朝鮮のような国であったと考えればほぼ正解なのでしょうか? 当時の空気感がいまいち把握できなかったもので。まあ、それだからといって不当な極東裁判や戦後の戦史観にまで口をだすアメリカの横暴さを正当と認めるわけには行かない気がしますが。
http://www.history.gr.jp/~showa/232.html
こういうご意見のことですね。
個人的にはWTOもなかった時代の保護関税に文句つけても詮無いことだと思いますし、まともな報復関税一つ打てなかった貧乏人の僻みにしか聞こえません。
また俗に言うABCD包囲網ですが、これは日本の行動に対する報復処置です。
この件で日本の無罪を主張したいのなら、まずABCD包囲網を招いた日本の行動は正しい物でありその行動に対して報復を行うのは不当であるということを立証しなければなりません。
私には仏印進駐や三国同盟、それ以前の中国での日本の行動が正しい行いだったと言い切る自信はありませんね。
アメリカの対日石油禁輸など、アメリカ・イギリス・中国・オランダによる対日経済封鎖であるいわゆるABCD包囲網を突破するためには実力を行使するしかない、という形で太平洋戦争へ突入していった、と高校日本史で習います。実際にはABCD包囲網というのは日本側からの呼称でしかなく、上記各国が協力していたわけではなかったようですが。
私も高校日本史+α程度の知識しかないのであまり語れません。
以前、ダイアリーで中学校の歴史教育についてチラッと書いたことがありました。
こちらのアンケート(http://q.hatena.ne.jp/1147945365])を元に、思いつくままに書いたダイアリー(http://d.hatena.ne.jp/nobita_t/20060531#p1])。
歴史を古代から順に一年間で流してしまうので、第一次大戦以降を猛烈なペースで授業を行い、結果としてあまり定着していないという現状です。これでは知識の定着が図れないどころか、興味すら沸かないのも当然であるような気がします。特に、これからの子ども達は、祖父母の世代が戦後の世代になっていってしまうので、興味・関心が薄れていってしまうんでしょう。
これからの子ども達が「なんか知らんけど日本て悪いことしたの?じゃあ謝らなきゃ!」となっていくのか、「なんか知らんけどなんでいつまでも大昔のことをぐだぐだ言うんだ!ふざけるな」となっていくのか、どうなんでしょう。
>それは戦争に突入せざるを得ない状況をつくった近衛内閣からはじまる一連の政治的判断ミスを含めての事かと思っています。
http://q.hatena.ne.jp/1153475160
上記URLのコメント欄、kumonoyouniさんの発言を一部抜粋させて頂きました。ふと疑問に感じたのですが、戦争状態に突入した原因として、アメリカが日本の経済を先に追い詰める政策を行い、結果として上記のような判断が下された(経済状態を打破するための戦争を行った)、という話をどこかで読んだことがあります。しかし、詳しい内容を忘れてしまったため、その根拠をここで提示することができません。どなたかお詳しい方はいらっしゃいますか? 極東裁判以前の問題で、まず先にこの問題があったように思えてなりません。
まさに、学校教育ではこういった話は皆無ですね。
特に地元広島ではさも日本国が悪いかのような教育。極東裁判のことについては軽く触れただけ。
私は極左ではないため、アメリカの国民には一定の理解を示しますが、政府となると話は別ですね。日本の政府についても同じくです。真に憲法に則って個人の尊厳を尊重するならば、教科書は他国が如何に介入してこようと、易々と妥協する問題ではありません。
この話、教科書問題にまで発展しそうです。
goldwellさんおっしゃるように表記としてはどっちでもいいと私も思いますが、歴史を振り返るうえでは避けて通れないのではないかと思って書いてみました。
個人的な見解としては「太平洋戦争」という呼称に関しては、ここでも連合国側(主にアメリカ)の思惑が見え隠れしているようにも感じました。
・「降伏後」に名前を決めたというのがポイント。
・日本が行なったのは侵略戦争であった点は否めないと思いますが、当時彼らがアジアに対して行なおうとしていたのも侵略戦争だった。
(例:http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai-hokusin.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E6%BA%80%E5%B7%9E)
・アメリカとしては真珠湾攻撃をおこなった日本こそ卑怯者としたかった。
またロシアへの終戦交渉を無視させ、原爆の効果を試したうえで自国の力を誇示したかった。
・極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)において勝者が一方的に敗者のみを裁いた
などがあって「大東亜戦争」という呼称を残すと軍事色が強い事を懸念したのもあったのだろうけど、一番大きな理由はアジアからいつまでも目が離れないのは自分達にとってまずい。
国内外に反日感情をあおるためにも、悪かったのは全て日本であり、自分達こそ正当性があったのだとするためにも「太平洋戦争」と言った方が後々都合が良い(聞こえが良い)という思惑があったのではないかという気がします。
最後に・・・これまで足早に振り返ってきたせいもあって、日本の正当性を前面に出した書き方になってしまった感となってしまったのは私自身反省すべき点となりましたが、これに反する意見にも同じように耳を傾けて、事実は事実として受け止めなければならないだろうとは思っています。
また、結論としてこれで全て円満解というのはこの先もおそらくないんだろうけど(それはお互いに悪い点あると思うので)、いずれにせよ今後戦争なんてないほうがいいに越した事ないし、その願いは一般庶民レベルからすれば共通認識として持てると思うので、ボタンをかけちがえないように歴史についてもう少し勉強しなければならないなと私自身も考えさせられましたし、選挙の一票の重みも改めて考えさせられた機会となりました。
そういう意味で、この場を提供してくださったnobita_tさん、他の皆さんもありがとうございました。
それでは、皆さんまたどこかでお会いした際にはよろしくお願いいたします。
これでも抑えてはいるものの、わかる人にはもうバレバレかもしれません。
実は少年時代は軍事マニアのなりそこないで、そういう人間にありがちなように「何で日本人なのに日本のことをそんなに悪く言うんだ?反米反中。日本頑張れ!」みたいな気持ちもあったんですね。
まぁ、大人になって妙にバランスとることを覚えましたが・・・。
正直、昔も今もリアルで、戦争のことなどを語ることなど滅多に無い為、結構独りよがりな面もありましたが、こうして「はてな」で色々な人の意見を聞き、議論できたのは大きな収穫でした。
特にkumonoyouniさんのご意見は、まさに卓見で、よくぞ言うてくれた!と思いました。
>「太平洋戦争」という呼称
う~ん、まさに正論ですね。私も知らず知らずのうちに、「大東亜戦争」を避けていたのかもしれません。
現代の基準で考えると、悪いイメージを抱く人もいるだろうけど、歴史問題として考えるならば、「大東亜戦争」の方が誤解を与えないでしょう。
>日本の正当性を前面に出した書き方
これは、本来国民として至極当然なんじゃないでしょうか。
ただ、事実は事実として知る姿勢、これは重要です。
それも学校の授業のような単発で覚えるのではなく、歴史の流れとして把握しておかなければならないと思います。
えー、私も最近、昔の知識の誤解や忘却に気づいて、慌てて読んだり調べたりしているところです(^_^;A
最後にnobita_tさん、有意義な場を設けていただいて、感謝しております。
また機会があったら、ご一緒させていただければ、と思うところです。
質問者のくせして発言すればするほどしったかぶりの知識が丸裸になってしまって穴があったら入りたくなりました…。それもいいようにとらえて素人視点でしか気付かないような点を指摘できたらいいなと思います。
人間誰しも自分から話題が離れれば離れるほど、いい意味でも悪い意味でも客観視してしまうようになるものだと思います。この戦争から既に60年も経ってしまい、どこか遠い国での歴史上の出来事かのような錯覚をしてしまいます。でも、考えてみれば、我々の祖父母の世代の出来事であり、決して遠い国の出来事などではないはずです。
徹底した論理的議論の横で、もう少し実際に戦場で戦った祖父母の世代に思いを馳せるような心の議論が起こってもいいのかなと思うようになりました。
この先、本当の意味での戦争を知らない人間しかいなくなっていくのであり、祖父母から受け継いだ戦争の間接体験を下の世代に伝えていくことが我々の義務であるな、と感じます。そのために、お二方がおっしゃられているように、間接体験だけでなく客観的事実も確実に伝えていかなければならないと思います。
まだまだ質問したいネタが満載なので、その時もまた参加していただけるとありがたいです。