どうにかして本土侵攻を避けられる要素は無いかと考えてみたのですが、どうにも難しいですね。ヤルタ秘密協定によるソ連の参戦の決定。それにも関わらずポツダム宣言の時期までソ連の仲介の講和を期待していたわけですから・・・。
アメリカ軍としても、ダウンフォール作戦は作戦承認、そしてマッカーサーに対し作戦準備指令が下る段階まできていたわけです。
ただ、もう少し大きな視点から、米軍の立場を考えてみました。
- マキン・タラワから始まって、硫黄島・沖縄と本土に近づくに連れて、陸戦での抵抗が激しくなっているため、本土での戦いでは相当の被害が予想される。
- 既にドイツの分割占領という例を残してしまい、日本に対しても同様の結果が予想される。貧弱な海軍輸送力しか持たないソ連ではあるが、地理的に近い。
既に戦後世界を見据えて、主導権争いが始まっているわけですね。
戦争の終わりが見えているわけですから、日本を屈服させればおしまい、というわけではないでしょう。多少の領土がソ連側に取られてしまっても、日本の主要部をアメリカが主導する側に取り込めればベターかと。
そこでアメリカが描く(調子良すぎる)シナリオ。
1945年7月までにソ連の侵攻を日本にリーク(例えばアレン・ダレスなどの講和工作チャネルを使います)。日本の敵愾心や数少ない軍備をソ連に向かせる。
同時に積極的な講和条件の緩和によって和平交渉を進捗させると同時に本土侵攻準備も怠り無く、硬軟両面で進める。
8/8、ソ連軍満州侵攻、8/18千島半島侵攻。占守島の戦い(→これらは史実)
その後、北海道への上陸は、ソ連は大規模船団の準備に時間がかかるのと、真冬になる前ということで、10月頃実施を想定。(前述したように、海軍輸送力に不安が残るため、他の地域への上陸は無いと思われます)
1945年から46年にかけて、北海道北東部にかけて激戦がくりひろげられますが、沖縄と違ってソ連陸軍の得意な平野部が広がるために徐々に日本軍は押されるでしょう。
転じて日本国内における講和の障害は軍の強硬派ですが、本土作戦の為に各地に将校が分散されたのと、北海道での絶望的な戦況が伝わるにつれて、徐々に和平に傾きます。
そこで天皇による聖断がおりて、英米蘭といった国との講和が結ばれ(史実の無条件降伏よりノ若干緩和されています)、かろうじて英米軍による本土侵攻作戦は回避されます。
そして今度はアメリカの後押しによって、ソ連南下との戦いに全力を向けるわけですが、結果的に北海道の大部分か、全域は占領されるでしょう。
こうして、北海道には傀儡国家(日本人民共和国とでも呼ばれるか)が建てられ、本州以南との分割状態が長く続くことでしょう。
すいません。これはオリジナルではなく、ある仮想戦記小説からアイデア得たものです。要は、原爆の代わりにソ連による北海道侵攻が終戦のきっかけになったと解釈したわけです。そこをアメリカが自国の傷少なくうまく利用するかなと。
余談ながら、昔、たしか10代の頃に檜山良昭『日本本土決戦』というif小説を読んで、衝撃を受けたことがあります。
こちらはマンハッタン計画の実験失敗によって、原爆開発が遅れ、九州および関東への上陸作戦計画が行われたという想定でした。
制空・制海権を持たない絶望的な状況では日本軍・民に膨大な死傷者を出しますが、米軍の方も着実に占領地域を広げつつも、死に物狂いでの抵抗の前に相当な被害数を出します。(早い時期に行われたベトナム戦争のイメージです)
最悪、焦土と化す泥沼の戦いに発展したとしても、どこかで落とし所を決めるとは思うのですが。
また、質問者nhateは回答者さま方の自由な発想を尊び、
自分の期待した意見以外を無視するようなことはいたしません。
(というより、期待する意見を持ち合わせていません)
ポイント配分の基準は回答者さまがどれだけ綿密に考証しているかの一点です。
原爆使わなくてもよかったはずだ、という方のご意見もお待ちしております。
念のため。私は戦争も原爆も無差別空襲も嫌いです。
>それとも松本?
避難場所への移動中、甲州街道の何処かで、偶々偽装した天皇本人に、地域を巡回していたアメリカ下級兵士に出会って、射殺か撲殺と考えました。
マトモな兵力が無い状況ですから、米軍の首都進攻はこないだのバグダッド進攻よりもたやすいことでしょう。
渋る天皇を役人がなかば無理やり疎開させようとする筈です。
目立つわけには行かないので、リヤカーに乗せて運ぶような状況を考えました。
役人の机上プランですから、やってみれば、くたびれるということで、スケジュールズルズルに甲州街道を下るはずです。
(「本物」は伊勢と熱田にあったそうですが)、「三種の神器」もありますし、天皇本人が(天皇としての)責任を感じて嫌がってたそうですし、御真影や肉声すら恐れ多いという時代でしたから、ちょっとありえない気がしますが…。
死んだ人数で戦争の悲惨さを示すのはナンセンスだと思います。
そういう意味では某大臣、アメリカの主張に関してもナンセンスだと思ってます。
IFで考えることは、悪くないと思いますが、IFから始まる主義主張というのは難しいですね。
私の身近な親族が終戦間際に一兵士として戦死しています。
まだ私は生まれてないのですが、残された親族は戦後つらい生活を強いられたそうです。
家族全員(私を含めて)、政治・宗教的な関心は無いので詳しくは知りませんが、いちおう靖国神社に英霊として祀られてるそうです。口では語りませんが、あまりいい思いはしてないようです。
それで終戦間際のことに関心があり、理解を深めたいと思いまして、
ifででもいいので戦争のことをつきつめて考えたくて質問しました。
回答はもう少し募集を続けます。
きっかけがひとつ違っていたら、こうなっていたかもしれない、とより歴史を知り、理解が深まるのではないでしょうか。
歴史if小説好きの意見でした。
恩田陸の「ねじの回転」、福井晴敏の「終戦のローレライ」などは
お気に入りの小説ですね。
IFで考えることは悪いとは思いませんし、フィクションとしての
面白さも十分にあると思います。
私は、実際に広島の江田島に行って見たり、平和記念公園に行ってみたりして見聞したものが、戦争に対する考えの基となってます。
戦争に参加した人、戦争の犠牲になった方々のリアルな声は、
どんな主義主張よりも印象に残りました。
とりとめのない意見ですみません。
皆さんのご意見も、ごもっともだと思ってます。
というわけで昨日考えた補足
・1945年6月以降のアメリカ軍は、本土封鎖を中心として、攻撃の手は緩めてソ連や日本の出方を探る。(それまで空襲などによって官民ともども、散々痛めつけられている為。だけどちょっとこの辺は根拠が薄弱)
・ソ連軍が北海道上陸、橋頭堡を築くことに成功した1945年末、危機感を覚えた日本側の講和の動きが活発化して、翌年春には英米蘭中(国民党政府)との講和が成立。(→アジア植民地の再統治を進めたい英蘭と、共産党との確執が残る国民党を米が引き込んだ)
・東日本から送られた増援を含む日本軍の必死の反撃と、アメリカの影からの圧力で、1946年中にはソ連は撤退。代わりに共産主義の傀儡国家が建てられる。
・1950年前後、ソ連軍の装備で固めた傀儡国家との内戦勃発・・・。
原爆が無くとも、史実の朝鮮半島と同様に、大国の思惑の狭間で同胞相打つ悲劇が起こるかもしれませんねぇ。
>「ソ連参戦情報」は米国側からのリークだと信用がないので、スウェーデン辺りで工作を進めてたら可能性はあったかもしれませんね。可能性は限りなく低いですが。
ご指摘の通りですね。しかもダレスとのチャネルは日本海軍側なので、陸軍との調整が難しい。
>共産革命の連鎖は当時最も恐れられていることでしたし、日本が共産化すればどこまでドミノ倒しが進むか検討もつかないと思いますから、国体護持を認める密約付きで早めの降伏が認められるという可能性もありえますね。
この時期のポイントはそこですね。トルーマン(米)とスターリン(ソ)との対立。そこに日本の運命がどう転ぶか。
想像するにしても、終戦間際の日本を考えるには、世界の単位で史実をよく調べないといけないですね。
歴史的に見ても、興味深い質問でいろいろ考えさせられました。ありがとうございました。
>国連は戦後創設されていますのでありえません。
まさか、国際連合と誤解することはないと思いましたし、もちろん国際連盟のことを指して書いたのですが、連合国側の何かまとまりのある団体としては、なんだろうと思い書きました。連合国司令部?じゃ変ですし、、、重要度の高い部分ではありませんが。
>[天皇は7月上旬の時点で、降伏の意思を示す文書]
>これは本当でしょうか?初耳です。
>その資料の存在を伝えるニュースなり、資料そのものなり、ネット上でありましたら教えてください。
[近年になって公開アメリカ政府文書に、確かトルーマンの手帳か日記によると、その文書をトルーマンが握りつぶしたと記してある。]という
確か、アメリカ在住の歴史研究家のコメントで。
日本語に訛りがなかったので、日系人ではなく、移住した日本人と思われる。
ここのところ例の失言問題のおかげで、ラジオのニュースでも頻繁に出てきていたので、「証拠を出せ」とは言われるだろうとは思っても、まさか「初耳」と言われるとは思ってもみませんでした。
で、検索しても、予想通り出てきません。近年がいつなのか?も分かりませんし、公開された政府文書は、国立公文書記録管理局の記録を指していると思われますが、さすがに数十万ページの英文から探し出すのは無理です。歴史研究家という人がいうならそうなのだろう。と思い書きました。
http://www.ops.dti.ne.jp/~heiwa/kimura/doc/gennbaku.html
ただ、これが書かれたのが2000年8月で、これには書かれていませんので、もし正しければ、これより後に見つかったということになるのか、
あるいは、上記文書にある下記の記述の物的証拠が、すでに2000年8月より前に公開されているのかでしょう。
『一九四五年七月にポッダム会談が開催されていた期間中に、ソ連のスターリンから日本からの終戦仲介の依頼を受けた事実を知らされたトルーマン米大統領はそれを無視するようにスターリンに伝えたとも』
>トルーマン大統領についてはen.wikipediaを斜め読みしましたが、
>米国内でまで評判が悪いとまではいえないような。
http://en.wikipedia.org/wiki/Harry_S._Truman
#Soviet_espionage_and_McCarthyism
http://en.wikipedia.org/wiki/McCarthyism
President Harry Truman's Executive Order 9835 initiated a program of loyalty reviews for federal employees in 1947. Truman's mandate called for dismissal if there were "reasonable grounds... for belief that the person involved is disloyal to the Government of the United States.
英語版とすごい差が。日本版だとマッカーシズムや赤狩りの記述がばっさり欠けていますね、認識の差にびっくり。
アンフェアなことは、アメリカでも眉をひそめられます。
あの当時の赤狩りや拷問を指して「すばらしい行動」と賞賛する人はそういません。
アメリカ人の意見と言っても、見られるのはテレビでのアメリカ人の証言や意見レベルですし、それが大半とは言いにくいでしょうが。
”当時の”トルーマンの不人気ぶりについては、多々記述があるものの、
”今でも”不人気なのか?といったことは描かれてはいません。
これはwikipediaの性質上、あまり個人の心情に依ることを書くのは好ましくないからでしょう。
「なぜ」不人気だったのか?の部分は、断片的にKKKや朝鮮戦争がらみの記述は読み取れますが....
In the spring of 1948, Truman's public approval rating stood at a dismal thirty-six percent, and the president was nearly universally regarded as incapable of winning the general election.
1948年春の総選挙では、トルーマンの支持率は36%まで落ち込み、大統領への再選は無いに違いないと見なされていた。
Truman was so widely expected to lose the 1948 election that the Chicago Tribune ran this incorrect headline.
1948年の選挙では、トルーマンの敗北を確実視する見方が広まっていた。
そのためChicago Tribune紙は「トルーマン敗れる」という誤った見出しのまま刷ってしまった。
Truman's approval mark stood at 22% according to Gallup polls, the all-time lowest approval mark for an active American President.
トルーマンは、現役大統領としてはアメリカ史上最低の支持率22%をマークした。
私は、高校までは理系でしたので、トルーマンといえば、ユダヤ人科学者への迫害(政府機関からの閉出し)のときの
「これが自由の国アメリカのすることか!それではナチスと変わらなくなってしまう!」という批難の声が印象深いですが、この記述もないようで....
一般的な教科書に載っているかと思います。
なお、下記のように、原爆投下の是非については、「歴史家の間でも賛否両論がある。」程度の記述に留めています。
Others, such as the atomic bomb historian Professor Gar Alperovitz, have argued that the use of nuclear weapons was unnecessary and inherently immoral.
私が一番知りたかったのが
[天皇は7月上旬の時点で、降伏の意思を示す文書]についてです。
このことが事実だとすると、ここに立てた質問と頂いた回答の中でもっとも重大な事実となります。
議論の前提がなくなってしまうほどのものです。たいへんびっくりしました。
ここ最近はTVニュースを見ないので、報道のされ方を知りません。
ぜひ、その文書関連のニュースソースが見つかれば、ぜひにでも、教えてください。
私もこの質問を立ててから終戦前の歴史本を4冊ほど読みましたが、2000年以前にかかれたものだけだったので、そのような記述はありませんでした。
記載されてるものとしてはおそらくトルーマンの日記にはないでしょう。日記は公開されているはずですし。あるとしたら公文書関連でしょうか?