首班や企業トップ、スポーツマンの引き際に関して「○の美学」という表現が使われます。また「男の美学」や「生活の美学」のような使い方をする例も少なからずあります。
「美意識・価値感・矜恃」のような意味合いで「美学」の熟語を使い始めたのは、20世紀の日本なのでしょうか。「粋なやりかた、かっこいい生き方」「こうあって欲しい行動」のような意味で「美学」を使い始めたのは1980年代でしょうか。
「美学」のこうした使い方は、他の「数学」「科学」「政治学」「倫理学」「教学」「大学」「独学」「留学」「座学」「勉学」「男女共学」「実学」「医学」などにはみられないような気がしています。
明治期にも「美学」を美意識やさびやわびなどの日本文化の価値感の意味で使用した例はないと思いますが、、、、
「○学」の中で「美学」がそうした用法に使われたときに、おかしい用法として捨てられるのではなくて、そうした用法が広まり残ったのかについての考察はあるでしょうか。
参考になるものがありましたら、お教え下さい。
1950年には、石川淳が「生活の美学」という使い方をしています。(夷齋筆談 昭和27年4月 面貌について)
これ(下)をまだ読んでいません。もしも、美学という熟語の特別の用法についても触れられているのであれば、簡単に、その説のさわりやポイントをご紹介いただけるとありがたいです。
「世間話」も本来民俗学用語で、「私は狸がお腹を太鼓として叩いているところを見た」のようにフィクションなのに自分の実体験のように話すのを言いますが、本来の意味を逸脱した用法が定着しました。