私は基本的に小説というものを読みません。
理由は、①表現が回りくどい、②ある程度読んでつまらないと思った作品だと、それまでの時間が無駄に感じる③立ち読みして面白そうなのか全く判断がつかず、買う(借りる)機会がないからです。
例外として、歴史小説・自叙伝・ノンフィクションといった事実に基づくもの(知的好奇心を充たしてくれる)、シドニーシェルダン(表現が簡単、すぐ読める、単純に面白い)は大好きです。
小説が好きな方、嫌いな方はこんな私をどう思いますか?(好きな方は上記①~③の理由についてどう思われますか?)
又、小説を読むことでパーソナリティーに与えるものって何だとおもわれますか?(例えば感情表現が豊になる等)
最後に、「この一冊はお薦め」というのがあれば、是非、ご紹介願います。愚問ですいませんが。
sannoseさんがお好みの、【歴史小説・自叙伝・ノンフィクションといった事実に基づくもの(知的好奇心を充たしてくれる)】作品は、多分?情報でもって、知的好奇心を満たしてくれる。。
一方、退屈だとお感じになる文学作品など小説の多くに、情報としての大方の価値判断をそのまま、ダイレクトに受け入れるには自分の気持ちや心で矛盾、抵抗を感じる、何かウソを感じる、、など精神面での葛藤confrictがテーマになってることが多いので、共感する人は言葉に出来ないでも!何か違う!というこみ上げてくる心の叫びのようなもので感動し、又、洞察を深めたりするのですが、こういう感情があまりない人には退屈そのものではないでしょうか?
映画でもたまに、現実の世界に戻りづらい感じになります。2人で観に行った時などは、その内容をあまり語らないので(普通、いろいろ語りあうものかどうか知りませんが)すぐ現実に戻れます。
一度じっくり観察
してみます。
登場人物同志の会話だけで構成されるということですか?とすると、状況を描写するのはどうするのでしょうかね。個人的にはその方が非常に読み易い気がします。
せっせとストーリーばかり追っかけてました。
小説というのは、
字を書くだけでどんな空想でも
表現できるわけですから、
永い間唯一の物語のメディアであったわけです。
たとえば紫式部の「源氏物語」なんかも
かなり最古の小説の部類になるようです。
で、まあフィクションということではありますが、
書き手の年代や生きた時代などを考えると、
とても役に立つことがあります。
簡単にいうと、
宇宙旅行、麻薬の経験、泥棒や詐欺のやり方、
推理小説みたいな殺人事件、刑務所の中の経験など、
現実ではうかつに手を出せないことも
小説ならとても安全で安価で手軽に経験できるわけです。
ただ、読むのが遅いと、面白さが薄まって、その同じ時間をつかって現実世界やテレビでも見てたほうが面白い、となっちゃう。
でも、そんな方にもお勧めの本だって存在します。
読書リズムのゆっくりめの方への私のお勧めは
これらは短編でドラえもんの世界っぽいです。
これは、実生活に応用できるかできないの
すれすれのお話。勉強になる本で、小説としても
面白いですよ。長いけど、勉強になる時間なので損はないです。
勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪―ヘミングウェイ全短編〈2〉
スペイン旅行の気分を楽しむ感じでしょうか
脱サラして小説家になる話です
まあ、小説は漫画テレビ映画と同じフィクションでしかないので、映画を見るのもいいと思います(世界の中心で愛を叫ぶとか、電車男とかは両方選べる)し、今や小説の有利な点といえば安価で図書館で無料で借りられるっていうことぐらいです。
スポーツと同じように自分に合う合わないがあると思いますので、合わなければ無理はなさいませんよう。
小説でも推理小説、歴史小説など一気に読めるものだけ読んでます。例外的に「本屋大賞」受賞のものも読みますが、本屋さんが推薦することだけあって結構面白いものが多いですね。
パーソナリティに与えるものとしては、結果論ですが、ボキャブラリが増える→かしこく見える、くらいですかね。
お恥ずかしい限りです。
しかも、細切れで読むと、非常に作品の印象が薄くなるんですよね。
だから、映画の場合、ハズレでも良く分からんなあとおもいつつ最後まで観るくのです。
これは納得できます。その作品を通して作者のトータルとしての考え方を読む訳ですね。ノンフィクションではできないことですよね。
「いっそのこと、小説は読まないというスタンスも安全策としてはいいのではないか」・・・なんだか笑ってしまいました。すいません。
正直でいいと思いますね。
読書家ぶって無理して
読んでいる人より好感が持てますよ。
漫画とかより読むのに
エネルギーがいりますよね、確かに。
俺も目が疲れるので
村上春樹とかしか読んでませんね。
ただ、
想像力を働かして読むという
小説にしかない楽しみがあるのも事実。
つまらないものが時間の無駄と感じるんであれば
他人の批評を聞いてから買うのがいいですかね。
オススメ・・は
「ノルウェイの森」
「ぼくの美しい人だから」
あたりですね。
俺もそんなに読んでないので・・。
まず、私“も”小説が好きです。そんなに沢山は読みませんけど。
①そういう小説もありますし、そうでないのもあると思います。
②あ、それはありますね。それはもうしょうがないと諦めますね。費用対効果を考えると、つまらない映画とかにあたった時はもっとダメージを受けますよね。
③アマゾンのレビューとか、平積みのやつとか(これって当たり外れが激しいですけどね)、評判の良さそうなのを買います。小説は立ち読みしないですね…。
sannose様の質問文を見て、身近にしきりに薦める人がいるのかな~と思いました。
それで質問文にあるような理由で反論すると、「読んで見なきゃわからないよ」って言われてたりしてるのかな~って。
で、『ほっとけ!』と思いながらも『そんなにいいのかな…?』とふと考える時もあったり。
…なんてことを想像しました!
で、歴史小説やシドニー・シェルダンが好きなら「小説好きです。読みますよ。」って言っていいんではないかなと思いますけど。
逆に「読みません。」って言うのはシドニー・シェルダンさんに悪いんじゃないかとすら思いました!
『良かったな~』と思う本を読んだ時って、『いい人に出会っていいお話を聞けたなぁ~。今日は面白かったな~』ってのと似てるかな。
いい出会いが人に与える効果って、色々ありますよね。うん。
個人的にはむしろ、真実や真理っていうのは、現実の世界ではほとんど見えてこないものなんじゃないかな~と思ってたりして。
私も去年の今頃までほとんど小説を読まなかったのですが、偶然知り合い2人に同じ作家(恩田陸さん)の小説を薦められて読んだのがきっかけで恩田さんにハマり全部読み漁りました
それまで読まなかった理由は、一冊読むのに時間がかかる、読むのに時間がかかって読み終わる頃には前半がどんなだったか忘れているから といったところです
なので、sannoseさんの②、③の理由はすごくよくわかります
小説をたくさん読んでいるから偉いとか、賢そうとか思わないのですが、やっぱり読むことで自分の引出が増えるのも確かだと思います でもそれは小説じゃないといけないと言うことはないので、マンガが好きなら色んなマンガを読めばいいし、写真集が好きなら写真集でもいいと思います
小説を読んでみたいけどどれを読めばいいのかわからないのであれば、センスのいい友達に聞いてみたり、ネットで人気の作家さんを試しに読んで見るのがいいんじゃないでしょうか
野坂昭如「てろてろ」です。すいませんでした。
例えばゲーテの若きウェルテルの悩み。若いうちに読まないでどうするか!と思いますが、生徒(塾のバイトの)は100%読んだことないです。古いものは、良い物も多いので、学生には本を読んで欲しいなーと思ってます。特に小説。教科書の詰まらない物より図書室に行って欲しい。図書館も。あれ、全部税金なのわかってるのかな。あの大量の蔵書、働いてる人みんな税金。もったいないから活用して欲しい...。
小説は若い頃に読むもので、大人になるとまどろっこしくて読めなくなってしまいます。でも、こどものころは他人が考えてることをトレースする訓練、他人の気持ちになる訓練としていいものなのになー。それだけじゃなく、「他の人間は何考えてんだ!?」という興味、覗いてみたいなーとかの好奇心を満たせるものなんですが。なんというか、そこには感動とかがあるんじゃなくて、汚らしいものとかを覗いてみたいとかの欲求でさえあるんだがなー。いわば、小説は覗きみたいなものです。
ええと、質問者の方は大人みたいなので特に小説なんか読まなくていいかと。自分も高校時と比べると、全く読んでません。毎日1冊ペースが、2,3月に1冊に。
村上龍はまだ好きですが、新刊も買わなくなったです。筒井康隆「てろてろ」を推薦。エロ、テロ、グロ3部作のテロの回。かなりぶっ飛んだ内容が自分は気に入りました。おそらく、本屋では手に入らないので図書館を利用してみては。
私は活字を読むのは苦手ですが、たまに読んだものに影響受けすぎるので、読まないようにしてます。映画も同じ理由。
本当は読んで楽しめたらいいんですけどね。
余裕のある日まで待ちます。
小説を読むことは好きです。
私もお気に入りの作家の作品を中心に読みますが、それだけだと飽和してしまいます。地方に住んでいるため、もっぱらAmazonで買って、「おすすめの本」で新しい作家を探しております。
①~③おっしゃる通りだと思います。ですが、試してこそ当たりを引くことができるのも、一つの側面だと思っています。(お気に入りの作家の作品で、ハズレを引くとつらいです)
パーソナリティーに与えるものですが、私にとってはたとえ一瞬ではあっても、とある事象に対して「知的好奇心」を芽生えさせてくれる。もしくは、それを満たしてくれることです。
一番のおすすめは歴史小説になりそうなので、敢えて違う方向で。
島田荘司氏による「占星術殺人事件」を。
小説や、ノンフィクションなどの売上部数をみると、100万部突破されると大ベストセラーとして取り上げられることから、
こういった本を愛読する人口は全体に比べて極めて少ないと思います。
ですので、小説を読まない(もしくは年に2冊くらいしか読まない)といっても、それはもしかすると珍しくない現象と思います。
ですので、あまり気にしないほうがいいと思います。(私も本は好きですが、あまり読むほうではありません。)
ですが、個人的にはせっかくなので、本との素敵な出会いを体験していただきたいと思っております。
その出会いは、有名な誰かも言っていましたが、最も親しい友人を持つことと一緒だそうです。
また、太宰治は小説について、「ひとつの約束」という題のエッセイを残しています。
(http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card43069.html)
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私は、海外の小説や、日本の小説を読むのが好きで、気に入った本は何度も繰り返し読むほうです。
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参考になるかわかりませんが、
私が小説を読むようになったきっかけは、高校で人間関係や将来のことで精神的に思い悩み、相談できる相手もいなかったとき、
国語の本で読んだ村上春樹さんの「ノルウェーの森」の一説がなぜか印象に残ったので、学校の図書館でその本を借りたのがきっかけでした。
意味の良くわからない小説でしたが、何かものすごいエネルギーをもらえ、元気になったというのが、正直な感想でした。
もしかしたら小説(もしくは物語や伝記)にはなにかものすごい力(人をある場所へ持っていく力)が秘めているのではないかと感じています。
その力が人をどこへ持っていくかは、わかりませんし、読者に対してどのような影響を与えるかもわかりません
(以前、小学校の朝の時間に読書を始めたら、学級崩壊が収まったなんて例(http://www1.e-hon.ne.jp/content/asadoku_tebiki.html)がありますが、
反対にある本に影響され、事件を起こすなんて例もたくさんあります(した。))
個人的には普遍的なテーマに触れられることのできる一部の小説には人の内面を揺り動かす力があると思われます。(と信じています。)
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私のお勧めする、たぶん一般的で読みやすい本は以下です。(シドニーシェルダンも素敵ですよね)
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ダニエルキイス「アルジャーノンに花束を」(http://d.hatena.ne.jp/asin/4152033932)
*知覚障害者と医師のお話。作者が医者なのでとてもリアリティーがあり、全体に繊細な感性が散りばめられています。(1996年ネピュラ賞長編部門受賞作)
村上春樹「レキシントンの幽霊」(http://d.hatena.ne.jp/asin/4167502038)
*ミステリーではなく短編集です。なんとなく、村上作品の世界が覗けます。
ル・グウィン(清水志砂子訳)「影との戦いーゲド戦記1」(http://d.hatena.ne.jp/asin/4001106841)
*童話に分類されていますが、非常に暗い面も描かれており、深い作品だと思います。映画化上映も決定しています。
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こちらは長くて読みづらいので、読むと小説嫌いになるかもしれませんが一生に一度は読んで下さいというお勧めです。
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村上春樹「ねじまきどりクロニクル」(http://d.hatena.ne.jp/asin/4101001413)
ドストエフスキー(原卓也訳)「カラマーゾフの兄弟」(http://d.hatena.ne.jp/asin/4102010106)
時間の無駄って思うなら、読まないほうが正解。
だって、映画とか小説とかって
もともと暇つぶしに使うもんぢゃないですか。
小説読むより、他のことしてて楽しいならそっちをすればいいと思います。
僕は、ぶっちゃけ小説とかあまり好きぢゃないです。
でも、たまぁーに、すごく暇なとき、読みたくなります。
読んだからといって、人生の考えが変わったりだとか、
そんなもんはありません。
友達と話したとき、「あれ、よかったわー」とか言って
話ができたり、共感したりできるくらいにしか役にたちません。
小説好きの女を口説くときのネタになるくらいぢゃないですか?
あと、最近読んだ本は?とかの面接の質問に使えるくらいww
取調官「その場で、被疑者は、何を見たか」
被疑者「黒い煙が、立ちのぼっているのを見ました」
取調官「そのとき、何時何分ごろであったか?」
被疑者「午前五時すこし前だったと思います」
取調官「その季節なら、まだ日は出ていない。辺りは暗いはずだ」
ここで取調官は、当日の新聞を取りだし、天気図の部分を示した。
被疑者「黒い煙ではなく、白い煙だったかもしれません」
取調官「暗いところで見た煙が、白いか黒いか区別できるのか?」
被疑者「午前五時を過ぎていたかもしれません」
このやりとりでは「暗闇で見えた煙が白いか黒いか」という矛盾を、
読者に考えさせることを目的にしています。
この場合の読者は、いうまでもなく裁判官であり、傍聴席なのです。
ところが、小説の手法では、しばしば作家が先まわりするのです。
「朝まだ暗い中に、彼は灰色の煙が立ちのぼるのを見つけた」おまけに
「あたりを見まわして、彼はニタリと笑った」と書いてしまいます。
つまり、その彼を見たのは、作家だけだったということになります。
ことほどさように(小説の功績を、認めないわけではありませんが)
遼太郎ファンの引用センスには、目に余ることもあるのです。
── 山本権兵衛が「海軍建設者としては世界海軍史上最大の男の一人」
で、「万能者のように自在に物事をなしえたのは」上に「春の野のそよ
風に吹かれているような顔」の「西郷という海軍大臣がひかえていたか
らだ」というような見解は、司馬遼太郎の小説的評言であり、「世の中」
や「世間」まして「世界」「世界史上」に通用するものではありません。
── 《産経抄 ~ コラムニストへの書簡より ~ 19990606 》