私は基本的に小説というものを読みません。
理由は、①表現が回りくどい、②ある程度読んでつまらないと思った作品だと、それまでの時間が無駄に感じる③立ち読みして面白そうなのか全く判断がつかず、買う(借りる)機会がないからです。
例外として、歴史小説・自叙伝・ノンフィクションといった事実に基づくもの(知的好奇心を充たしてくれる)、シドニーシェルダン(表現が簡単、すぐ読める、単純に面白い)は大好きです。
小説が好きな方、嫌いな方はこんな私をどう思いますか?(好きな方は上記①~③の理由についてどう思われますか?)
又、小説を読むことでパーソナリティーに与えるものって何だとおもわれますか?(例えば感情表現が豊になる等)
最後に、「この一冊はお薦め」というのがあれば、是非、ご紹介願います。愚問ですいませんが。
小説を読んだことによって体験したこと(それは新しく知った知識かもしれないし「面白い」という気持ちかもしれない)に対して自分で価値を見いだせるかどうか、ということなのではないでしょうか。
確かに現実の人生の方が色々あって楽しいかもしれませんが、一人の人間が体験出来る人生はひとつしかありません。そのひとつの体験だけで満足出来ればそれでいいし、より多くの体験を感じてみたい、知りたいと思うのであれば小説というのはそういった望みが叶えられる比較的ハードルの低い選択肢のひとつだと思います。
あと質問自体を否定するつもりはありませんが、「お薦めの一冊」というのは本当に好きな人にはなかなか決められないものなので、こういった問いにあっさりと答えて出てきたものというのはおざなりなものが多くなりがちです。
なので突き放すような言い方で申し訳ありませんが、私が薦める一冊は、「あなたが自分の目と足で探し出した本」ということになります。
私は読書は好きですが、中々時間が取れず読む暇がありません。なので本当に面白い本を読みたいと思ってます。
面白い本は、眠るのを忘れて読みふけってしまうので休み前に読む事にしてます。読まなきゃいけない本は、普段寝る前に目を通すと自然に眠りに落ちていきます。読んでいる間は、その世界に入り込み笑ったり泣いたりととても疲れます。風邪など引いて熱が高く風邪グスリでボーとなっている時など感情移入しすぎるので要注意です。
シドニーシェルダンは私も大好きです、ただ分厚いので今はなかなか手が出せません。一度読んでしまうととまらないので。
本を読むのも漫画を読むのも私は同じだと思うのですが、ただ本だと絵がないので想像力と構成力はつくと思います。
最後に今の私のお奨めは、「停電の夜に』とゆうインドの女流作家の処女作です。長くなってしまってごめんなさい。
小説にとらわれず歴史書も読みますし ノンフィクション伝記自叙伝 マンガ 新聞週刊誌 回覧板からチラシまで 読んでしまう活字好きにも一言言わせてもらえるでしょうか
あなたの質問が読書しません なら考えますが、別に小説が好きでも嫌いでも 文を読むことが嫌いでなければ 構いはしないと考えます。何も読まないのは ちょっとねぇ。本読めよとかいってしまいます(笑)
とりあえず ①多くの小説は 伏線を張るという事をしなければならず どうしてもそのために表現が まわりくどくなるんではないでしょうか?その張り方が上手いと読後感がいいんですけどね。
②つまらない作品は多々あります。それはそれだもの 仕方がありません③書評を信じた自分が馬鹿だったってことも 多々ありますが それでも もし読んで面白かったら そう考えます。(近頃では はやりの ダ・ヴィンチ・コードもそうでした。文庫になるまで読んでいませんでした。)
駄作の上に成り立っている傑作
そう考えれば 気が治まるように感じられませんか(笑)
そうそう 読了することによって 達成感はもてるよね。1つの事をやり遂げたという たかが読書でも
あと 追体験という面もあるように感じます。
chiaki25さんと同じ見解です。ほぼ言い尽くされていると感じました。
本との出会いは人との出会いに似ています。
星の数ほどある本の中で、生きているうちにすべての良書に会い続けることは難しいです。むしろ読むのがつらいような本ばかり、という瞬間もあります。ですが読みつづけてさえいれば、それなりに次の一冊を探すアンテナも敏感になり、すばらしい一冊に会える可能性も高まっていくと思ってます。別に小説でなくとも問題なく、あなたのお読みになりたいものでかまわないと感じました。
映画も芝居も好きですが。
小説ってのは、『理解』に対して親切なメディアだと思ってます。
映画や芝居だと、その表情や仕草で多くのことを表現しているわけで、それを読み取れなかったり、見逃してしまうと理解できないことがあります。
小説は、もちろん作者の作風によりますが、それらの説明を詳細に記述するので誤解が少ないですね。その反面、情報量としては多くなってしまうのですが。また、自分のペースで読むことができ、場合によっては読んでいる途中で読み返してみたり、自分の都合で進めることができます。逆を言えば、自分が進めない限り終わらないのですが。
映画だと「なんじゃこりゃー」が、小説だと「面白い!」だったことがあります。最初にそう思ったのが瀬名秀明の『パラサイトイブ』でした。たぶんブックオフで¥100くらいだと思いますが。
本選びは、自分の好きな人、尊敬できる人などが良いと思っている本から始めるのが良いと思います。
パーソナリティーに与えることは、これは映画も小説もあまり変わりなく、僕の場合は『価値観が揺らぐ』だと思います。感情表現が豊かになったとは思ったことはありません。面白かった、というのとは別に「あの本を経て価値観が変わった」というのは自分によって意味のある作品だったのだと思います。
一応、おすすめをすると、僕は直木賞という賞を賞賛していて、この賞をもらっている作家は結構好きです。
あえてひとつ、この作品をあげておきます。
私の場合。小説を読むのはすごくすきだけど、普段は読みません。はまっちゃって、他のことが考えられなくなっちゃうんです。また、いろいろ考えるのに時間も体力も使うから。
だから、すごく時間が取れるときにしかよみません。
あと、小説って全般的に、前半はあまり面白いものではありませんよね。私の場合、途中から、あるいは最後に楽しくなるものが多いです。
宮部みゆきとか、結構おもしろいですよ。
ただし、嵌りやすいので注意ですw
歴史小説もシドニー・シェルダンも小説です。だから、じゅうぶん「小説が好き」な部類に入るんじゃないかと思います。
単に「おもしろい」と思える小説に巡り会っていないだけではないでしょうか。個人的には、最近の国内の小説については同じような感想をもっているので読みません。表現手法が固定化されてしまっていること、新しい価値観を提供してくれるストーリィが少ないことがおもしろさを感じさせない原因だと思います。
おもしろい小説を探したければ、
・海外の短編小説
表現も価値観も国内のそれとは異なり、手早く読める
・明治期の国内文豪の作品
価値観の変動期にうまれたものなので斬新。無駄に長いものも少ない
をチェックしてみることをおすすめします。
また、穴場としては翻訳モノのアダルト小説があります(フランス書院などを探してください)。少し古いものだと芸術性が高いうえ、「実用性」もあるので飽きません。たかが活字で興奮させられる自分を発見すると、小説というメディアの新たな可能性を感じると思います。
歴史書やら理論書は、その書いてあること自体に意味があるのですが、小説の場合は、書いてあること自体にはあまり意味がなくて、書いた人の経験や考えのほうに意味があると思うんです。
いっしょに食事に行って、話が面白い人と面白くない人といますよね。話が面白い人と過ごした時間は、得られた情報に関係なく有意義だし、仮定の話でも面白いです。でも話が面白くない人と過ごす時間は、情報が得られるとしてもあまり意義がないです。
小説もそんなもんだと思います。
あと、小説で、「仮定の話」を書く人と「ウソの話」を書く人がいて、「仮定の話」は面白いのですが、「ウソの話」はおもしろくないです。
例えば、司馬遼太郎なんかは、ちゃんと調べた結果、仮定をまじえてストーリーを組み立てているので、ぼくは面白いと思います。新撰組を描いた「燃えよ剣」や、「項羽と劉邦」は何度読んでもどこから読んでも面白いです。
最近の本では「いま、会いにゆきます」も人間描写に不自然はなく、どういう仮定だったかというのが最後あきらかにされて面白かったです。逆に「世界の中心で~」という本は、登場人物の行動が高校生としてはいちいちウソくさかったので、読む気になれませんでした。
小説は玉石が非常に混合していて、どうみても石でしかないものが宣伝戦略でベストセラーになったりしているので、拒否反応が出ているのだと思います。
いっそのこと、小説は読まないというスタンスも安全策としてはいいのではないかと思います。
一冊勧めるなら、ちょっと理系になっちゃいますが「ご冗談でしょう、ファインマンさん」です。ファインマンという物理学者の伝記です。ほとんど物語として楽しめます。数式や理系の知識が必要な章は読み飛ばせばいいと思います。小説を読まないのもそれはそれでアリかな、と思わせてくれる本だと思います。
この本は物理学者の本なので、抵抗があるかもしれませんが、他の本でも興味がある分野の本を読みあさる方が、ヘタな小説を読むよりいいと思います。
自分の嗜好のあった本がどこかにあるかもしれないけれど、それと出会えるのは別の話とわりきって、気になるジャンルをさ迷い歩きおもむくままに本を手にとりパラパラとめくってます。
私的には「面白い本と出会えたらラッキー」といった風に宝探し気分です。
小説だってテレビ番組や映画、ゲームなどと同じ娯楽の一ジャンルなんですから基本的には物語・文章を読む事で楽しいと感じるから読むものだと思います(少なくとも私はそうです)。
ただ小説を読む事で楽しさを感じられるかどうかは個々人の趣味なので、小説が苦手なんですといわれてといわれても「そうですか。それがあなたの趣味なんですね」としかいえません。
①の理由は私は物語そのものを楽しむたちなのであまり気になりませんが(比喩がまどろっこしくてなにを言いたいのかわからない場合は別ですが(苦笑))、sannoseさんにはとっては苦痛になるのなら、その考えに口出ししたって意味がないですし。
②と③に関して言えば、別に小説に限らず他のエンタテインメントにも同じ事は言えますから深く考えずにちょっと気になったものを読むという姿勢でいいんじゃないでしょうか。それでそこそこ面白かったらラッキーって感じで。
パーソナリティへの影響ですが、作品ならともかく行為自体には大して影響はないと思います。私の場合小説を読む行為そのもので得られたものといえばせいぜい漢字と慣用句を覚えるようになったぐらいですし。
「あなたはダメな小説ばかり読んでいる」と言われたことはありませんか、小説嫌いの方?
人間の出会いにも運・不運というのがあるように、小説の出会いにも運・不運というのがあるのかもしれないですね。
最初に出会った小説が最高の小説だったらラッキーでしょうけれど、そんな幸運は誰もが持てるわけではありません。
最初に読んだ小説がダメで、次に読んだ小説もダメで、その次もダメだった、というような不運な人は、小説が嫌いになっても仕方がないかもしれませんね。
私の小説の買い方は、小説を買うというよりも、本の装丁を買うという感じですね。
装丁やデザインが美しかったりすると、ちょっとぐらい内容がアレでも本として所有してもいいかな、なんて思ったりします。小説として面白かったら拾い物。過剰に小説に期待しないことです。
きみは、司馬遷ならぬ司馬遼太郎を贔屓にしているようだが、むかし
与太郎も大河ドラマの原作として《国取物語》や《花神》を読んでいる。
ところが、あるとき次の一節に至って、急に興ざめしてしまった。
たぶん《項羽と劉邦》だかで「……と云って、彼はニタリと笑った」
というくだりである。そんな表情を、誰が見たというのか?
このような論理回路に疑問を抱くと、歴史小説は読むに耐えない。
たとえば、ドラクロワの《民衆を率いる自由の女神 1830》も、ごく
最近まで、バスティ-ユ牢獄へ向う図だと思いこんでいた。
ふと、乳房を出しているのはなぜか、と疑問を抱いて虚しくなった。
つまり、寓話や神話は事実に拘束されないが、歴史的事実を寓話的に
語ることはルール違反ではないだろうか。
このような議論は《ロビンソン漂流記》以来のものだそうだ。
ところが、松本清張は具体的な結論をくだしている。将来の文学は、
警察の供述調書のような文体になるだろう、というのだ。
よって“司馬 vs 清張”の対立に、もはや与太郎の軍配はゆるがない。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20051129
── 《五十年の過客 ~ 畏友への返信 ~ 与太郎文庫より》
いいじゃないですか!多かれ少なかれ皆そんなものじゃないでしょうか。読み終わってつまらない作品だったと思うことも当然あるわけで、美味しそうな店かなと期待して入ったレストランでまずいものが出てくるのと同じです。「あ~この店不味かったなぁ~」と話のネタにすればいいのです。失敗したくないという思いが強すぎるのかもしれませんね。周りにも同じような人がいるのですが、常に満足できる結果を期待するあまり何も出来なくなり、自分自身で判断し行動できなくなるのです。「何を食べたい?」という問いに対して「美味しいもの!」という答えになってしまうのです。美味しいかどうかは食べてみなければ分かりませんよね。でも本人は失敗したくないので、初めての店や食べたことの無いものにチャレンジすることを躊躇します。勿論、それでもいいのです。別に、チャレンジ精神を発揮して、わざわざ不味いと思うものを食べる必要もない。自分が美味しいと思うものを食べ続ければいい。ただ、それにもし飽きてきたなら何か他のものにチャレンジしてみればいいのです。
お薦めは、時代小説のジャンルに入るでしょうか・・・
浅田次郎著「蒼穹の昴」
本を読む必要があるかと言われれば否です。
本を読まないから頭が悪い、文章が稚拙なんていうのは変だと思います。文章の良し悪しは人によって評価が違いますから。ただし、意味が伝わるということは前提条件だと思いますけれど。しかし、伝わる文章を書くということと本を読むということは必ずしも相関関係にないと考えます。
ただし、小説家が「ある心情をどう言葉で表現し伝えるのか?」と苦心しているのは非常に面白いことだと思います。他人が物事をどう捉えているかを知るためには深い対話が必要となりますが、本ではそれに似たようなことが出来ると僕は思います。
小説は読む必要なんてありません。しかし、読む人が多いということは魅力があるのだと思います。その魅力に辿り着くまで、自分の一冊をお探しになるのも悪くないと思います。
それなら絶対読みます!(思春期ではないですが)
途中経過を楽しみたい人もいれば、結論を求めたい人もいます。現代人は確かに時間に追われ余裕が無いと言われていますが、それでも読みたい人は読む。時間の無駄遣いと言えるかもしれません。何かをしたければ、時間は作るものですから。あなたと相性の悪い人はできるかもしれませんが、それはお互いでしょう。感受性はこの質問をされたことから優秀だと感じました。
「不撓・不屈」はノンフィクションでしたね。大分ボケてますので、すいません。
どう探してますか?書店に行っても、小説は作者別・出版社別になっているので、どういったジャンルなのかさえ分からないですよね(あの中から選べる人は凄いと思ってます)。
例えば、「不撓・不屈」という本を何年か前に読み非常に心に打たれる思いをしました。友人に話を聞いたから読んだのですが、友人の情報なしに本屋に行ってこの本をみてもぴくりとも反応しません。なんの話か想像つかないし、いちいち中を見てたらきりが無いと思うからです(ハードカバーなら帯封を見ればある程度、推測できるのでしょうかね)。
質問が「興味のある小説の探し方」に変わっていきそうな・・・・
このような表現は私には絶対できません。
文面から察するに「読書の幅を小説まで広げたい」というお気持ちがあると思いますので、それを前提にお答えします。
僕は小説を読むのが好きです。と言っても幅広く何でも読んでいるわけではなくて、気に入った作家の作品を集中的に読むほうです。なので読書の幅はそれほど広くありません。
②の理由の関してはごもっともだと思います。僕もたまに流行りの小説に手を出して読んでみるのですが「なんでこんなのが売れるんだよ…時間と金返せ」と思うことがあります。しかしながら読書というのはそもそもそれくらいのリスクを含んでいる行為だと思うので、仕方ないと思います。当たりもあればはずれもあります。たとえ好きな作家の作品だとしても、すべての作品を好きになれるわけではないわけですしね。
③に関してですが、小説は立ち読みしただけでは面白いかどうかわからないです。ある程度読み進めて初めて当たりはずれがわかるものだと思います。やっぱり信頼できる友人に薦められたら試しに読んでみるとか、シドニィ・シェルダンがお好きならシドニィ・シェルダンが影響を受けた作家、作品を調べて読んでみるとか、何かしらのきっかけから読書の幅を広げていくのがベターだと思います。僕はそうやって少しずつ読書の幅を広げるよう心がけています。
でも面倒なら無理に小説を読まなくてもいいような気がします。好きなジャンルだけしか読まなくても誰にも迷惑はかかりませんし。完全に個人の自由だと思います。山ほど小説を読んでいても感情表現にかけてるやつはゴマンといます。
ちなみに僕は村上春樹が好きなのですが、sunnoseさんの言う「表現が回りくどい」作家だと思われますのでお薦めはできません(笑)。でも村上春樹が訳した『心臓を貫かれて』というノンフィクションはお薦めです。これはアメリカのある殺人事件が題材で、殺人犯の実弟が書いたものです。途方もなく呪わしい家族の物語に僕は言葉を失ってしまいました。
それでは。