http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20060921STXKE051821092006.html
ここで問題なのですが、現実的に管理責任を果たし酒気帯び運転を防止することは可能だったのでしょうか?酒気帯び運転に限らず、品行方正に関わるような行動を管理できるのでしょうか?
さて、あなただったら管理責任をどうやって果たしますか?
飲酒云々をいうんなら、プロドライバー以外自動車の運転はしてはいけない。
ちょっと我ながら論理飛躍してますんで、補足しますと、
人間という生き物は通常二つ以上のことを同時にこなすのは苦手なんです。
ところが、自動車というのは、生き物である人間に、あれもこれも同時にこなすことを要求する。
生き物は必ずミスを犯しますから、結果、交通事故が多発するわけです。
これを防ぐ(僕が今思い付く)唯一の方法は、ドライバーをプロに限ることです。
自動車の運転免許というのは、元々はそういう目的で作られたのでしょうが、
年間5万人以上もの人が取得する現代社会に於いては、そのような意義は薄れています。
僕は、車に乗っていたせいで交通事故に遭って、人生を棒に振りました。
僕の昔の夢は…
今から思えば、シートベルトさえしていれば、また違った人生があったでしょうが。
新聞社説など、ネットが引用しなければ、とうに絶滅していたのです。
前夜の酔いを残したまま、むりに書いた論説は、論理破綻しています。
えらそうに説教したがる連中は、おそらく依存症なのでしょう。
飲酒も運転も、それぞれは禁じられていないのに、飲んで運転すると
罰せられます。もちろん運転した後で飲んでも罰せられないのです。
この矛盾を分析しないから、論理的に破綻するのです。
宴会で酒をすすめたがるのは、アルコール依存症の習性です。
酒を呑まない者に、冷静に事態を観察されることが不安なのです。
みんなが飲めば、論理的な矛盾を追求されなくなるからです。
みんなが、群集の一人としてでなく、個人として自立するためには、
とても危険な薬物がアルコールなのです。個人として責任を取らずに、
集団の連帯責任にしておけば、いざというとき便利なのです。
野球部員の一人がタバコを吸ったとき、チームごと出場辞退すれば、
バレなかった他の部員まで同情されて、管理者責任が薄らぐのです。
そういうときのために、集団スポーツは都合がよいのです。
どの新聞社説も、飲酒そのものを咎めていないのは奇妙ですね。
自動車メーカーにも責任がある、などど論じていましたね。
飲ませた酒場や、同僚や、家族にも責任があるらしいですね。
酒を飲んで人を殺したら、シラフで殺すより罪が重くなるのですか?
アルコールは脳を萎縮させ、つぎのアルコールを催促します。
アルコール依存症には、結果よりも、医学的原因を問うべきです。