発声器官から出るのはアナログ音声ですが、50音(50音は清音だけだから、濁音・促音入れると100以上の音節)を組み合わせて、言葉(符号、記号)を作って、それをデジタル処理しませんか。デジタル処理というのは、一音・一文字違うと、意味がまるで変わるという意味。桁ごと(digit-al)に意味があるからデジタルではないでしょうか。
これが可能なのは、(1)発音するにあたっても、聞くにあたっても、区別しやすい、子音、母音、音節がある。
(2)記号である言葉を聴いて、その言葉の意味が頭の中の辞書からすっと引っ張り出してこれる高速・大容量メモリーの脳がある。
その記号の意味をあらかじめ知っていなければ、コミュニケーションが成立しないので、各人が脳内に辞書を作り、それが意味と記号の変換装置(エンコーダー/デコーダー)と作用する。
この大容量記憶デバイス(大脳新皮質)のついた高速処理コンピュータ(基底核や視床下部など辺縁系)が我々の脳であり、そのおかげで言語コミュニケーションが成り立っている。だから、チンパンジーにいくら言葉を教えても、覚えるわけがない。
動物は、時間ドメインにおける周波数偏移で、アナログ的に記号を処理しています。
人間も普通の哺乳類として、初期はアナログ処理をしていた。
しかし、ある時点で、人間は、子音と母音を生み出し、それらを使うことによって、デジタル的に処理するようになった。
それが可能なのは、ターミナルプロセッサ(端末処理装置)である脳のメモリー拡大と処理速度向上があったからだ。
以上のようにデジタル言語を定義することについては、どうお考えですか。
ShinRai さんの「デジタル」「デジタル的」の意味から説明してください。
>しかし、ある時点で、人間は、子音と母音を生み出し、それらを使うことによって、デジタル的に処理するようになった。
これは「デジタル的」であって、「デジタル」ではないと言うことでしょうか?
子音と母音の組み合わせは工業技術的な意味でのデジタル処理とは言えません。あいまいな印象を与える言葉の使い方は排除してください。デジタル、アナログと言うのは誤解されやすく使われています。デジタル人間というとデジタル処理と関係なく機械に強い人、コンピュータオタクのようなイメージです。でもデジタル技術は動作を実現する為の1つの方法であり、アナログ技術もまた1つの技術なんです。
子音と母音で区別しやすい音を定義したので同じ言語を使う人同士はその音の連なりで単語を理解しやすくした。と言うことは分かります。それならデジタル言語などと言わず、「区別しやすい音節言語」とか言えばいいです。デジタル処理がされていない行為に対してデジタルと言うのはおかしいし他の人に説明するときに誤解を招きます。
ShinRai さんが区別できる音と言う意味でデジタルだと言うならば、それは広義のデジタルをShinRai さんとして定義していると言えるかもしれません。でもそのデジタルと言う言葉から、ターミナルプロセッサとかメモリーとかに結びつけるのはおかしいですよ。ただの言葉遊びになっちゃっています。
> ある時点で、人間は、子音と母音を生み出し、それらを使うことによって、デジタル的に処理するようになった。
つまり、ShinRaiさんのおっしゃる「デジタル言語」とは、「子音と母音の組み合わせ」を前提しているということですか?
例えば、
このように、音(音素)がひとつ変わることで、ほかが変わらなくても、別の「意味」が生じている、というような?
そういう意味ではないのなら私の取り違えなので、このレスは無視してください。
もしそういう意味だとすれば、それが該当するとは考えがたい言語もありますので(アラビア語とか)、その着想から「言語」一般、および「人間(の脳)と言語」を語ることはできないのではと思うのですが。
あ○こ:あんこ、あそこ、アリコ、我孫子、あげこ、歩こ、あいこ、青子、亜希子てな具合に一音入れ替わるだけで、まるで意味が変わる。
これはデジタルといえないでしょうか。基本的に南アフリカの黒人も50音だと聞きます。あえいおう、かけきこく、させしそす、と学校でやるそうです。人類の言語にとって、音節単位で記号を組み立てるのが実は一般的ではないかと思うのですが。
それが該当しない言語というのは、どういう意味でしょうか。
> 一音入れ替わるだけで、まるで意味が変わる。
> これはデジタルといえないでしょうか。
いえないと思います。(ちょっと屁理屈みたいなことを書きます→通販で「高枝切りバサミ」ってありますよね、先端のはさみをのこぎりに付け替えることも、長さを伸ばすこともできます、っていうの。あれは一部を変えるだけで――換言すれば、ハサミの機能をOFFにしてのこぎりの機能をONにするだけで――まるで機能が変わるのですが、ああいうのを「デジタル」とは言いませんよね。そう呼ぶことにしたら世の中おもしろいかもしれませんが。)
あと、挙げられている例が恣意的に過ぎます。一音入れ替わったって「意味」が変わらないものもあるでしょう(一人称の「おれ」と「おら」など)。音が入れ替わらなくても意味が全然違うもの(同音異義語)も山のようにありますよね。それ以前に、こういう場合の「例」として「アリコ」など固有名を入れるのは、反則にもほどがありますよ。
> それが該当しない言語というのは、どういう意味でしょうか。
前の投稿のリンク先をお読みいただけましたでしょうか。
母音は音韻論的には a, i, u の3つと長母音、2重母音 (/ai/,/au/) しか弁別しない。しかし、音声学的にはより多様な発声がなされると考えられている。
これが具体的にどのようなことかは、テレビのアラビア語講座をぼーっと視聴しているだけでもわかるかと思います。
それと、私は「該当しない」とは言っていません。「該当するとは考えがたい」と言っているのです。議論をするときにはそういった点も大切にしていただきたいものです。
このツリーの別の枝にもありますが、なんか全体的に、「文字」で表されているものと、「音」で表されているものを同一視しすぎておられるのではと思います。「音」はそんなに厳密なものではありませんよ。誰かが「“あーこ”が大量発生した」と言うのを「アオコが大量発生した」のであって「餡子が大量発生した」ではないと把握できるのは、もちろんイントネーションという要素が最も大きいのですが、何より「餡子」は「大量発生」するものではないからではありませんか? そういう補完は人は日常的にやっていて、ほとんど意識していません。
ようやく質問の文章でおっしゃりたかったことが何となくわかってきたような気がします。これでもまだ違ってるかもしれないけど。
質問の文章から:
> 発声器官から出るのはアナログ音声ですが、50音(50音は清音だけだから、濁音・促音入れると100以上の音節)を組み合わせて、言葉(符号、記号)を作って、それをデジタル処理しませんか。デジタル処理というのは、一音・一文字違うと、意味がまるで変わるという意味。桁ごと(digit-al)に意味があるからデジタルではないでしょうか。
つまり、誰かが発話している「あーこがたぁりょーはっせーした」を「アオコが大量発生した」と把握できるのは、その音声に適切な「音」(50音)を当てはめ、それを「言葉」をして「作る」こと(構成する、ということ?)ができるからだ、ということですよね。そしてその処理についてShinRaiさんは「デジタル処理」と呼んでおられる。
ここで例えば、「あーこがたぁりょーはっせーした」に別な音を当てはめて「たーこがかぁきょーたっせーした」としてしまうと、「多恵子が快挙を達成した」という文ができる、と。(イントネーションを勘案するとこれは無理ですけどね。少なくとも標準語では「アオコ」と「タエコ」はイントネーションがまるで違うので。)
つまり、同じ音であってもどういう音をマッピングするかによって「意味」が変わる。元の音が「アナログ」なのだから、マッピングの処理は「デジタル」だと仮定してみたら、確かに1つ1つの値を変えれば全体が変わってくるので「デジタル」であると考えられる――という思考が、この質問の質問文を書く前にありましたか?そして前提は「脳はコンピュータだ」という考え?
# 「マッピング」は私がここで一方的に使っている用語で、ShinRaiさんの文にはありません。
そして、「桁ごと(digit-al)に意味があるからデジタル」というのは、オノマトペのツリーにあるように、「音」に「意味」がある、という考え方?
オノマトペは別として、例えば「アカイ」の「ア」に意味はありますか? 「タカイ」の「タ」は? 「ワカイ」の「ワ」は? 「チカイ」の「チ」は? 今考えている「チカイ」は「近い」ですか、「誓い」ですか、「地階」ですか?――ってのが日本語ですよね。
また、ShinRaiさんのおっしゃるような「デジタル」で、「音」に「意味」があるのなら……確かに、「きいて」と「きって」は一音が違うだけで「意味」がまるで違います。でも「音」に「意味」があるとして一般化できるかというと、できませんよね。というのは、そうでないものがとても多いから。
日本語においては常に、一音が違うだけで「意味」が違う、と仮定すれば、「たかい」と「たっけっ」というのは別の「意味」を持つということになりますが、実際には「たっけっ」は「高い」が音便化したものです(昼間、お店で20歳くらいの子がつぶやいてました)。同様に「パネェ pa ne e」は「半端ない han pa na i」が音便化したものです。「ない」は音便化すると「ねぇ」になりますが、では呼びかけるときに使う「ねぇ」(「ねぇ、人の話、聞いてるの?」などでの)、同意を求めるときに使う「ねぇ」(「ちょっと高すぎるよねぇ」などでの)が「ない」と同じ「意味」かというと、違います。
>ShinRaiさんのおっしゃるような「デジタル」で、
「音」に「意味」があるのなら……確かに、
「きいて」と「きって」は一音が違うだけで「意味」がまるで違います。
>でも「音」に「意味」があるとして一般化できるかというと、できませんよね。
ええっと、いわしのすばらしさと限界(直接会って話ができないのはやはり寂しい、
言語はネットではなかなか伝わらないです。はてなはその点、いいほうですよね)
を感じています
記号言語において、音には意味はありません。
匙を、スプーンとよんでも、ブブーンとよんでも、キュイエールとよんでも、
キーキーとよんでもかまわないです。
それは、意味(シニフィエ)と記号(シニフィアン、言葉)のマッチングに
おいては、恣意的なマッチングができるということです。
デジタルというのは、そのマッチング(あるいはマッピング)という関係性
が構築されているときに、一音違うと、違う意味になったり、意味をもたな
くなったりするということです。
その例外は、オノマトペです。
もしかすると、オノマトペは、我々が哺乳動物としての、アナログ符号処理
をしていたときの名残りなのかもしれませんね。
宮沢賢治や、その他たくさんの日本の詩人がオノマトペをけっこう好きなの
も、なんとなく原初の言葉であるということを感じているからかもしれません。
信号のサンプリング(標本化)の理論からすると、アナログ信号(連続信号)をサンプリングしてデジタル信号(離散信号)に変換する為には、一定の間隔でデータを収集し、該当の標本値に置き換えていく必要があります。
例えば1ヘルツの周波数でデータを収集し1バイトの標本値に置き換える場合、毎秒耳に入ってきた音を2^8=256段階の数値にぴったり当てはめて記憶していく事になります。
しかしGay_Yahngさんの言うとおり、人間の脳は音素を該当の標本値にぴったりと当てはめて記憶するわけではありません。脳細胞やシナプスが記憶を行う際に取る状態には無限の形態があり、数値化できないアナログナなものです。仮にこの状態を従来の「デジタル化」していると言う事に当てはめるのであれば、一つの脳細胞だけで無限バイト分の「大容量」を保存できると言う事になってしまいます。
という事は、人間だろうが蟻だろうが、脳細胞一つで無限バイトの「大容量」を保存していると言う事になります。「高速演算機能」に関しても同様に、一つの細胞から渡される情報を処理できる=「大容量」を処理できる事になってしまいますので、もし仮に人間の脳が情報をデジタル化して保存、処理しているため言語が操れるというのであれば、同様の理由で蟻も言語を操れる事になってしまいます。
大よそのコンセプトは似ていますが、上に同じく、何か新しい名前をつけないといけませんね。
標本化に関する参照ウィキ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E7%B6%9A%E4%BF%A1%E5%8F%B...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A2%E6%95%A3%E4%BF%A1%E5%8F%B...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E7%B6%9A%E4%BF%A1%E5%8F%B...
蟻はしゃべらないでしょ。だから脳も小さくていいのです。
哺乳類でも、言語をデジタル処理しているのは、人類だけなのではないかと思います。だから人間だけが脳が大きい。
やはりデジタル処理、それに必要な大容量記憶装置(新皮質)にこそ、人類の言語の最大の特徴があると思います。
たとえば、サルやねずみが、「食べ物があるよ」というメッセージを伝えたいときには、時間ドメインの周波数変移で鳴き声を送るわけです。それも何回か鳴くかもしれませんから、途中で一瞬聞き落としたとしても、メッセージは伝わるわけです。
しかし、人間の言葉は、デジタルだから、同じ時間でもっとたくさんの情報を送受信できる。
その代わりに、誤りが生まれる可能性も高くなる。さらに、脳内に記号をデジタル的に処理する機能が必要となる。それは、レキシコン(脳内辞書)と呼ばれるもので、生まれたときから、言葉とそれにまつわるイメージを記録していくわけです。
だから、チンパンジーの脳の4倍も大きな脳を我々はもっているのだと思います。
皆様、たかがイワシ、されどイワシ、素人の議論にお付き合いいただき感謝しております。
量子化・数値化することがデジタルでしょうか? むしろ、既存のデジタルの場合には、二値化して、すべてを0か1かで表現するところがデジタルなのではないでしょうか。
音節の場合には、二進法ではなく、一つの桁に100種類以上の音が入る100進法のデジタルなのだと思います。
>量子化・数値化することがデジタルでしょうか?
そうですよ。
既存のというか、コンピュータで言うところのデジタル化の0、1と言っているのは0と1しかないのではなくて、0と1でアナログ量を数値化しているだけのことです。
10と言う量は2進数の1010というだけです。
音節を100に区別して100進法と言いますが、100個の音を組み合わせて音節なりを表すわけじゃないですよね?単に1から100までしか数字のない世界で、1から100に桁の考えを盛り込まず、それぞれ違う文字を当てはめているだけです。
デジタル化という言葉は技術的な言葉です。
あなたの感性で既存の言葉に新たな意味を付け加えられても混乱しますよ。
上にも述べたように、人間の脳は収集した情報を、数値で言うなれば「無限」のバラエティで処理します。
よって、100進法どころか無限進法でデータを収集、処理しているのです。
無限進法が適切な表現だとは思いませんが、これは明らかにアナログです。
繰り返すようですが、これは現在使われている「デジタル」の意味合いとは異なりますので、他の名前を与える必要があると思います。
我々の話す言葉は、アナログな音ではありますが、50音(清音、濁音、拗音など入れると100以上あります)は、それぞれ間違えようのない離散信号であるととらえています。
たとえば、「あ」と「い」の間の母音というのは存在しないでしょ。あるいは同じ母音を使ったときに「か」と「さ」の間の音というのも、存在していないでしょ。
確かにShinRaiさんの言わんとしている点も理解でき、個人的にも5割以上賛成です。50音は紛れも無い離散信号 - デジタルと表現しても良いでしょう。
しかし、僕らの会話は50音で行われていうと、話は違ってくると思います。例えば、普段話している言葉で50音と違う発音をしているものもありますよね。体育が良い例です。正確な文学的な発音は「タ・イ・イ・ク」ですが、実際の発音は「タイク」です。耳で聞いて言葉に出せても、実際に50音に当てはめる際に戸惑う単語や発音は他にも多くあると思います。
また、日本語の「か」と「さ」の間に当たる子音も外国には存在しますし、「あ」と「い」の間に当たる母音の発音も可能です。「a」と「e」の間の音を表す「ae」の発音記号が良い例ですね。他にも、語学的に存在していないが、使っている発音、認識している音は無制限に存在すると思います。日本語の五十音はその点非常に良く出来ていますが、西洋のアルファベットに関してはそうはいきません。
これに音の高低を絡めると、中国語に代表されるような多数の発音が出来上がります。音の高低による分別だけであれば離散信号としてデジタルに処理できますが、訛りや人それぞれの個性が絡まると文章上で同じであるはずの単語も多彩な母音と子音、高低のコンビネーションになってきます。声紋には同じものはありませんしね。
これらを会話の段階において50音に当てはめて認識しているかというと、これは微妙だと思います。最も良い例が、赤ん坊が言語を覚えたり、語学的知識が無い状態で外国語を習う時です。この場合、知識がないため音素を五十音やアルファベットに当てはめて情報を処理する事は無いと思います。典型的なファジーロジックによる処理が、あいまいなアナログからあいまいなアナログへと行われます。
確かに非常に「デジタル的」要素が強いと言う点はほぼ全面的に賛成なのですが、これを「デジタル」と称するにはちょっと無理があるかな?という雰囲気があります。とうのも、言語がデジタル化可能なのであれば、AIの技術が進めばコンピューターに言語を喋らせられると言う事に理論上なりますが、恐らく現在の半導体を使ったデジタル技術ではこれは不可能なのではないかと、個人的には思うんですよね。やはり何か有機的なもの、アナログなものを移植しないと。って、話がずれちゃいましたね、すみません。
でも、本当に面白い議題ですよね、これ。
音節を1つずつ追いかけて単語を理解していますかね?
私はむしろ節まわしの方が重要なような気がします。
タモリの北京放送のまねってあるじゃないですか?単語としてはでたらめでも、北京語なら北京語の語感、節まわしを似せるとなんとなく北京語のように聞こえる。
音節が明確に分けられると考えるのは「あいうえお」が表記と発音が同じ(と自分たちは思っている)日本語的な発想だと思います。
すみません、「タイク」と発音しても(日本語を知らない外国人ならいざしらず)、「タイイク」ととる、というのは、まさしく「デジタル」的な処理です。つまり、現象はアナログかもしれないが、閾値処理をしているわけです。この場合、「エラー処理」を実施していることになります。
人間の言語にも誤り訂正符号理論があったということですね、非常に意義あるご指摘ありがとうございました。ますます面白いですね。
「デジタル」的な処理 の意味が分かりません。
デジタル機器的コンピュータ的な補正と言うならまだ分かりますが、言葉を経験で補正することと、コンピュータ的補正は内容はまったく違うと思います。
前の方も指摘していますが、デジタルの意味が間違っています。既存のデジタルとは違う意味で使っているのに別の論拠にデジタルだから、脳の働きはコンピュータ的だと理論の跳躍をしてしまっています。
言語はデジタル的→コンピュータと同じ働き/処理ができる。
というのは言語は「既存のデジタル」的ではないのでコンピュータと同じ働き/処理ができる。と言うのは変じゃないですか?
音声をデジタル化している?つまり、量子化、数値化している?
音を分けてその1音を区別しているのは数値化しているとはいえません。
デジタルについてそういう定義をするなら、既存のデジタルと区別する為に違う名称をつけないと。