人類の言語は、環境や経験を共有する親密な集団の内部で、共通の個別脳内辞書(概念セット)を持つもの同士が意思疎通するためのものとして発達した、きわめて伝送効率がよいが、個々人の意識内部で言葉と意味を変換するにあたって誤りや誤差がうまれやすいきわめて不安定なものである。

したがって、コミュニケーションがうまく成立するためには、集団内部で信頼や共感があること、できるだけ言葉の意味や定義を共通化すること、誠実な心でできるだけ正しい言葉を使うことが求められる。

逆に、言葉の定義が不ぞろいなまま会話や議論をしたり、あるいは意図的に人を騙したり欺いたり、嘘をついたり、勘違いさせる表現を使うことは、人間の心を荒廃させ、言語に対する信用を失墜させ、人類社会を虚無的(ニヒル)な社会へと堕落させることになる。

今日の文明の閉塞感や社会の希望のなさは、言語に対する信頼が失われたためであるということもできるであろう。

皆様はどうお考えになりますか。

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回答63件)

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概念(言葉の定義)の不一致は日常茶飯事では? rin-hiro2008/09/09 03:17:07ポイント3pt

 確かに、言葉の意味(定義)をお互いが理解し合っていいないと、思っていることの伝達に違いが出るのは当然ですね。でも、たとえ違う言葉の概念を持っている人たちと接して、交流していけば自分と相手の間には徐々に言葉の信頼が生まれると私は思います。まぁ、些細なことから喧嘩になる場合もありますが、すべてではないでしょう。だから、"言葉の定義が不ぞろいなまま会話や議論をしたり"して社会がどうのとかにはならないと思ってます。

 "今日の文明の閉塞感や社会の希望のなさ"については、言葉の信頼からうけるものでなく、テレビ局、マスコミ各社の報道、また物価の値上がりなどから受ける生活、経済不安から、人を楽観的に信用できなくなっているためというのはどうでしょうか。

交流していけば ShinRai2008/09/09 07:54:52

でも交流が難しいので、みんな人間関係に悩むのでしょうね。

意外と、言語以前の段階で、あいつ憎たらしいとか、生意気だからやっつけてやろうとか、嫉妬や反発やその他の言語以前の感情によって、我々は行動を決めているのかもしれません。

いくら時間がたっても、溝が埋まらないときってありますよね。

マスコミは、なんでもかんでも大騒ぎするから、見ないほうがいいかもしれませんね。言葉によって無責任に扇動して、それで売っている三流週刊誌とテレビと大差ないかも。

言語と交流の仕方は sidewalk012008/09/09 08:01:48ポイント1pt

分けて考えた方が良いかと思います。

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