人間が遺伝子情報として生成文法(universal grammar)をもつという考えと、統語論の関係について、どのように考えられてきたのか教えてください。
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統語論(syntax)は、主として語順(単語、節、文)にかかわるものであり、乳幼児が保護者たちの話を聞きながら自然と覚えることができる「パターン認識」に過ぎないのではないかという気がします。
つまり、あえて「論」とするに及ばない、「日本人はこういう語順で話をする」、「フランス人はこういう時には、こういった言い回しをする」といったようなものの集成かもしれないと。
それで正しいでしょうか。それで正しくない事例や考え方を教えてください。
シンタックスをめぐるさまざまな議論が、そもそも何を問題としているのかも、教えてください。
(昨日の質問を途中で終了させてしまいました、書き込みいただいたsibazyunさんありがとうございました。途中で終了させ失礼いたしました。)